18:24 2回目のけいれん
夕方5時過ぎにけいれんがあったと聞いているうちに、話しかけても反応なく、目の動きが止まり、2回目のけいれん。ただ今看護師さんが処置中で酸素マスク使用。私はしばらくいます。
19:05 また3回目のけいれん。
…なんということだろう。
ある研修会に参加していたが、18:24の妻からのメールで、急きょあわてて帰ることにした。
あせって、何を考えていたのかまったくわからないまま、30分の運転。(あぶない)
病院の駐車場に入ったとき、19:05、妻から再度のメール。
焦りながら、エレベーターに乗り、娘の病室に駆け付けた。
娘は、酸素吸入器をつけられており、呼びかけても返事はない。
ただ、両手には、ミトンの手袋がさせられており、その手袋のまま、酸素マスクを外そうとする。
頭を振り振り、手袋の中の手を動かすことしきり。
「大丈夫だよ、大丈夫だからね。」
と呼びかけるのも、聞こえてはいないとわかる。
看護師さんから、これは3回目のけいれんではなく、実は4回目だったと知る。
妻は、本人から聞いたものにプラスして2回見たから、3回だと思ったのだが、実は短い時間に4回目のけいれんが起きていたのだと知った。
せっかく、あんなに本人の気持ちがしっかりしていたのに、前兆はなかったのに、突然のけいれんの発作。
1か月以上起こらないので、「今度こそ」の思いで見ていたのに。
駆け付けた医師から、「ICU行き」を告げられる。
短い時間に4回もけいれんが起きたことから、手厚い看護ができるICUに行くことになった。
2か月余り前、11週間もいたというのに、また逆戻りなのか!?
ICUには、余計な荷物は持っていけない。
折鶴はじめ、化粧ポーチ、見舞いの花々など、たくさんのものを家に持って帰ることになった。
いくつかの袋に何もかも積め、病院の駐車場に止めた車に持って行った。
手にいっぱいの荷物を持ち、駐車場に向かう時、涙があふれた。
駐車場までの間、おいおい泣いた。
何で?
何で、まだ娘は苦しまなくてはならない?
あんなに、よくなってきていたではないか。
記憶は残らなくても、まともな人の対応ができるようになっていたではないか。
自分のことを客観的に病気だと思えるようになっていたではないか。
それが、なぜ、また悪化しなくてはならないのだ。
なぜだ!?
病気の理不尽さに、泣きながら心で叫んだ。
ICUで、主治医から説明を聞いた。
まだまだけいれん止めの効果に頼らざるを得ないようだということ。
おそらくけいれんの発作は、今の点滴の管が詰まってしまい、まともに薬が流れなくなったからではないか、など。
そんな説明よりも、またここまで回復していたのにという無念さが、大きかった。
娘のけいれんはなぜ起こるのか、その推測も聞いた。
ただ、納得できるものではなかった。
ICUでの娘は、自分にけいれんが起きたことは、まったくわからないでいた。
3回目のけいれんと4回目のけいれんの間に、前の職場で仲の良かったMさんが来てくれ、少しの間親しく話したことも、残念ながら覚えてはいなかった。
しきりに、「立ってトイレに行きたい」と訴えていた。
それに対して、「けいれんが起きたからね。自分が思っている以上にダメージが大きいから、ICUに来たんだよ。不便だろうけど、看護師の人に行って用を足すんだよ。」というのが精一杯だった。
来月、娘は、30歳を迎える。
本人の中では、一つの目標だったはずだ。
それまでの退院が。
最近の娘は、それは無理だと自分でも言っていたのだが…。
「年単位とは言いませんが、まだまだ長い時間がかかりそうですね。」
主治医は、そう言った。
間違いなくそうだと思う。
自分や妻の心の中で、何か音を立てて崩れていくものを感じた。
そんな日だった。
「明日、また来るからね。今日はゆっくりお休み。」
そう言って、ICUの娘にお休みを言った。
でも、今日も、娘は言った。
「今日も、すみませんでした。」
謝らなければならない、と感じてそれを口にする娘の心がいじらしくて仕方なかった。
夕方5時過ぎにけいれんがあったと聞いているうちに、話しかけても反応なく、目の動きが止まり、2回目のけいれん。ただ今看護師さんが処置中で酸素マスク使用。私はしばらくいます。
19:05 また3回目のけいれん。
…なんということだろう。
ある研修会に参加していたが、18:24の妻からのメールで、急きょあわてて帰ることにした。
あせって、何を考えていたのかまったくわからないまま、30分の運転。(あぶない)
病院の駐車場に入ったとき、19:05、妻から再度のメール。
焦りながら、エレベーターに乗り、娘の病室に駆け付けた。
娘は、酸素吸入器をつけられており、呼びかけても返事はない。
ただ、両手には、ミトンの手袋がさせられており、その手袋のまま、酸素マスクを外そうとする。
頭を振り振り、手袋の中の手を動かすことしきり。
「大丈夫だよ、大丈夫だからね。」
と呼びかけるのも、聞こえてはいないとわかる。
看護師さんから、これは3回目のけいれんではなく、実は4回目だったと知る。
妻は、本人から聞いたものにプラスして2回見たから、3回だと思ったのだが、実は短い時間に4回目のけいれんが起きていたのだと知った。
せっかく、あんなに本人の気持ちがしっかりしていたのに、前兆はなかったのに、突然のけいれんの発作。
1か月以上起こらないので、「今度こそ」の思いで見ていたのに。
駆け付けた医師から、「ICU行き」を告げられる。
短い時間に4回もけいれんが起きたことから、手厚い看護ができるICUに行くことになった。
2か月余り前、11週間もいたというのに、また逆戻りなのか!?
ICUには、余計な荷物は持っていけない。
折鶴はじめ、化粧ポーチ、見舞いの花々など、たくさんのものを家に持って帰ることになった。
いくつかの袋に何もかも積め、病院の駐車場に止めた車に持って行った。
手にいっぱいの荷物を持ち、駐車場に向かう時、涙があふれた。
駐車場までの間、おいおい泣いた。
何で?
何で、まだ娘は苦しまなくてはならない?
あんなに、よくなってきていたではないか。
記憶は残らなくても、まともな人の対応ができるようになっていたではないか。
自分のことを客観的に病気だと思えるようになっていたではないか。
それが、なぜ、また悪化しなくてはならないのだ。
なぜだ!?
病気の理不尽さに、泣きながら心で叫んだ。
ICUで、主治医から説明を聞いた。
まだまだけいれん止めの効果に頼らざるを得ないようだということ。
おそらくけいれんの発作は、今の点滴の管が詰まってしまい、まともに薬が流れなくなったからではないか、など。
そんな説明よりも、またここまで回復していたのにという無念さが、大きかった。
娘のけいれんはなぜ起こるのか、その推測も聞いた。
ただ、納得できるものではなかった。
ICUでの娘は、自分にけいれんが起きたことは、まったくわからないでいた。
3回目のけいれんと4回目のけいれんの間に、前の職場で仲の良かったMさんが来てくれ、少しの間親しく話したことも、残念ながら覚えてはいなかった。
しきりに、「立ってトイレに行きたい」と訴えていた。
それに対して、「けいれんが起きたからね。自分が思っている以上にダメージが大きいから、ICUに来たんだよ。不便だろうけど、看護師の人に行って用を足すんだよ。」というのが精一杯だった。
来月、娘は、30歳を迎える。
本人の中では、一つの目標だったはずだ。
それまでの退院が。
最近の娘は、それは無理だと自分でも言っていたのだが…。
「年単位とは言いませんが、まだまだ長い時間がかかりそうですね。」
主治医は、そう言った。
間違いなくそうだと思う。
自分や妻の心の中で、何か音を立てて崩れていくものを感じた。
そんな日だった。
「明日、また来るからね。今日はゆっくりお休み。」
そう言って、ICUの娘にお休みを言った。
でも、今日も、娘は言った。
「今日も、すみませんでした。」
謝らなければならない、と感じてそれを口にする娘の心がいじらしくて仕方なかった。