ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

娘よ(62)

2014-11-06 22:31:41 | 生き方
娘に残っている主な障害は、大きく言って3つ。
①1つは、記憶の障害。
②1つは、運動の障害。
③1つは、言語の障害。

最大の困り感は、本人も言う「物忘れ」。
実は、物忘れどころではなく、本当に困ってしまうほどの記憶の積み重ならなさ、なのだ。
それを、妻は嘆くように娘に対して指摘するのだが、娘曰く、「母に怒られた」なのである。
妻にしてみれば、もうちょっとしっかりしてほしい、という思いもあって、娘に対して強い注意を与えるのだが、娘には「怒られた」ように感じるらしいのである。
今夜は、「母に怒られた」と言いながら、洗面所から茶の間に戻ってきたのだが、「何を怒られたの?」と尋ねると、「…忘れた」である。
なるほど、妻があきれる訳である。
でも、まあ、その辺の一番つらいのは娘本人のはずだから、仕方ない。

それから、最近は、立ち上がる時などのふらつきが目立つ。
特に、手に何か持って立とうとすると、それに気が向くせいか、よたよたしたり立ち上がれずひざから崩れたりしている。
疲れがたまると痙攣につながるのではないか、と懸念するので、あまり足腰を強くするための運動はさせられないでいる。
通院しても、足腰を強くするためのリハビリを行う訳ではない。
9月の退院後すぐの痙攣を思うと、あまり疲れさせてはならないと妻が考えるのも理解できる。
もう少し足腰を強くしなくては、とは思うのだ。
10年前に病気だった母に使わせていたステッパーを使わせてみる時もあるのだが、娘本人の木が向かないとやらせられない。
そのために、体重が日々恐ろしく右上がりである。

体調が悪くなければ、日中、妻と二人で買い物に出かけたり近所の公園へ散歩に出かけたりもできるのだが、最近は少し不調である。

それから、しゃべる時の、声の低さと滑舌の悪さは、なかなかである。
時々、「えっ??」ともう1回言ってほしいと言ってしまう。
うまく言えなくて、カミカミなことも多いのである。
時には、今日したことでないこともしたように感じ、口走ることもある。

それでも、朝私が仕事に出かける時や、夜家に帰って来た時、娘の顔を見るとほっとする。
今日も、特におかしなことはなかったのだろうと思うと、それが何よりである。
もっとも、一日中寄り添っている妻は、ふらついたり調子が良くないように見えたりする娘の姿に、また痙攣が起きるのではないか、と恐々としているので、毎日疲れているように見える。
私ももっと早く帰れればいいのだが、時期的に仕事が忙しく、毎日夕食の時間に帰れないでいる。
とはいえ、毎日娘がとりあえず無事に過ごせていることには、大いに感謝したいと思っている。

「また、明日も元気に過ごそう。おやすみ。」
そう言って、寝床に行く娘に声を掛けている毎日の私である。
病院でなく、家でその言葉を言えることは、間違いなくうれしいことなのだ。




コメント
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