ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(58)

2014-09-23 22:49:02 | 生き方
ICUでお世話してくれた看護師さんたちは、昨年も2度にわたってお世話になった人たちであった。
知っている人たちだったのは、ありがたかった。頼りになった。
そこでひと晩を過ごした娘は、とりあえず危険な状態を脱したということであろう、幸いにも翌日の昼下がりに、一般病棟に移された。
一般病棟から迎えに来てくれた看護師さんは、娘が昨年入院中に結婚されて、苗字が変わったHさん。
車椅子で運ばれる娘に、「前にもお世話になった看護師のHさんだよ。」と話をすると、娘は思い当たるのかどうか定かではないが、首を縦に振ってうなずいた。
一般病棟のナースステーションには、娘が7月にも抱きついて別れたOさんや、よく漫画化してしまった男性看護師のNさんたちもいた。
知っている顔にこれで3度もお世話になってしまうことに恥ずかしさを感じた。

大部屋に運ばれた娘は、熱が高く、眠たがっていた。
けいれん止めのD剤の点滴や、心電図をみる機械を取り付けられたままであった。
長い入院生活で、娘の腕には、何か所も点滴の針が刺さってきた。
うまく付けられないようで、今回は、左の人差指に点滴針が付けられていた。
この日の夕方、食事がとれるようになった。
しかし、食欲のない娘は、半分も食べようとしなかった。
ただ、ひたすら眠たがっていた。

3日目になっても、眠くてたまらないようであった。
熱が少し下がり始め、立って歩くことができるようになった。
しかし、点滴しながら歩くのだが、その足元は頼りなかった。
点滴の支柱につかまりながら歩くのだが、キャスター付きの支柱が流れていくと足がそっちに向かってよろけるという有様であった。

4日目、D剤の点滴が外された。
熱は下がった。
食欲も出てきて、残さず食べようとしていた。
しかし、まだ何か書いたりする気にはなれないようであった。
頭の働き、手の細かい動きなどに自信がないのだろう。

5日目。昼寝もするが、起きていられるようになってきた。
ただし、まだぼうっとしている時間が長い。
手首近くにできた青あざを、「どうしてこんなふうになっているんだろう?」と、何度もつぶやく。
そのたびに、「点滴の跡だよ。」「今は指先にしている点滴をそこにしたあとなんだよ。」と教えると、「ふうん。」とうなずいて納得する。
だけど、その納得はしばらくすると消えてしまうようで、また手首を指して「ここ、青くなっている。」などとつぶやく。
やはり、けいれんが起こると、このように記憶・認識が定まらなくなるのだ。
そのことがやはりせつない。

前の病院を退院する時、医師から「最近調子がいいから、調子がいいとまたけいれんが起こりそうで不安ですよね。」と言われた。
そのとおりになってしまった。
再三今の病院に救急車で運ばれて、再三同じ人々にお世話になってしまっている。
仕方がないとはいえ、もう少しなんとかならないものか、と思ってしまう。

しかし、けいれん止めのD剤も外された訳だし、「ここは、どこ?」と聞くと「病院。」と答えている。
記憶は相変わらず積み重ならないが、以前に比べたら、多少はましだと考えたい。
深刻さも少しは薄れているかもしれない。
娘の現状、ありのままを受け入れながら、少しずつの回復を祈っていきたい。
それしかわれわれができることはないから。
コメント (2)
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