「現在ゴラン高原にて国際平和協力業務(PKO)に従事しています。
帰国予定はまだ先です。
元気にがんばっています。」
という年賀状を受け取って、驚いた。
発信人は、小学校6年生時、一時的に不登校に陥ったことがあるHである。
今から20年以上前になるあの当時は、毎日毎日彼の家と連絡を取り、情報交換し合っていた。
Hの心身の状態を知り、その安定化を図ったものだった。
その彼が、今ゴラン高原でPKOとは。
現在彼は、自衛隊員で33歳となっている。
ゴラン高原といえば、イスラエルとシリアが領有権を主張しているため、国連平和維持部隊が派遣されている所だ。
家族と離れ、厳しい条件の中、たくましくその職責を果たしているHをとても頼もしく思う。
「子どものためにも、元気に働いています。」
あえて「子どものためにも」と書いたのは、夫と離婚したK。
比較的早く結婚し、子どももできたのに、夫とうまくいかなくなり、別れたのだとのこと。
とてもつらかったけど、子どものためにもがんばらなくてはいけない、と思って毎日仕事をがんばっているそうだ。
仕事はつらいけど、家で子どもの笑顔に救われているとのこと。
小学校当時は、恥ずかしがりで、友だちの後についているだけの子だったが、今はしっかりと自分の意思をもって生きているのが伝わってきた。
「元気な子ども3人に囲まれて、母ちゃん(として)がんばっています。」
多少気弱で、気になることがあるとたびたび学校を休んでいたM。
勉強も自信が持てず、休むからなおさら学習が遅れたものだった。
繊細な感じで、なんとか自信を持たせようと働きかけを多くしていた。
今は、「母ちゃん」の言葉に、元気な母となっているのがうれしい。
教育に携わった仕事をしていると、教え子たちが成人し、たくましく生きていることを知るのは、最高の喜びである。
直接そういう姿に会ったりしたときの喜びは、さらに大きくなる。
今現在の子どもが、どんなに困った様相を見せていても、きっと成長してたくましく生きていけるはずだ。
そう信じて、周囲の大人たちが見守ったり声をかけて励ましたりしていけば、きっと大丈夫なのだ。
そういうことを教え、勇気づけてくれる、かつての教え子たちからの年賀状である。
帰国予定はまだ先です。
元気にがんばっています。」
という年賀状を受け取って、驚いた。
発信人は、小学校6年生時、一時的に不登校に陥ったことがあるHである。
今から20年以上前になるあの当時は、毎日毎日彼の家と連絡を取り、情報交換し合っていた。
Hの心身の状態を知り、その安定化を図ったものだった。
その彼が、今ゴラン高原でPKOとは。
現在彼は、自衛隊員で33歳となっている。
ゴラン高原といえば、イスラエルとシリアが領有権を主張しているため、国連平和維持部隊が派遣されている所だ。
家族と離れ、厳しい条件の中、たくましくその職責を果たしているHをとても頼もしく思う。
「子どものためにも、元気に働いています。」
あえて「子どものためにも」と書いたのは、夫と離婚したK。
比較的早く結婚し、子どももできたのに、夫とうまくいかなくなり、別れたのだとのこと。
とてもつらかったけど、子どものためにもがんばらなくてはいけない、と思って毎日仕事をがんばっているそうだ。
仕事はつらいけど、家で子どもの笑顔に救われているとのこと。
小学校当時は、恥ずかしがりで、友だちの後についているだけの子だったが、今はしっかりと自分の意思をもって生きているのが伝わってきた。
「元気な子ども3人に囲まれて、母ちゃん(として)がんばっています。」
多少気弱で、気になることがあるとたびたび学校を休んでいたM。
勉強も自信が持てず、休むからなおさら学習が遅れたものだった。
繊細な感じで、なんとか自信を持たせようと働きかけを多くしていた。
今は、「母ちゃん」の言葉に、元気な母となっているのがうれしい。
教育に携わった仕事をしていると、教え子たちが成人し、たくましく生きていることを知るのは、最高の喜びである。
直接そういう姿に会ったりしたときの喜びは、さらに大きくなる。
今現在の子どもが、どんなに困った様相を見せていても、きっと成長してたくましく生きていけるはずだ。
そう信じて、周囲の大人たちが見守ったり声をかけて励ましたりしていけば、きっと大丈夫なのだ。
そういうことを教え、勇気づけてくれる、かつての教え子たちからの年賀状である。