ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

中越地震から8年

2012-10-23 22:48:55 | 生き方
そうか、8年か。
10月23日。
あの日は、土曜日だった。
あのときは、サッカーJ1の浦和を応援してテレビ観戦していたのだった。
浦和が、エメルソンの活躍で(?)勝利した放送が終わろうとしていた時だった。
ぐらぐらと、大きな、長い揺れが来たのは。

あのときには、余命半年と言われてから半年がたった母がまだ元気に生きていた。
次第に元気を失っていったのは、そのひと月後くらいからだった。

妻は、2度目の手の手術で新潟に入院していた。
息子は、まだ大学に入学して半年の1年生だった。
母と、妻の見舞いをするために専門学校の寮から帰ってきていた娘と、3人で揺れが収まるのをひたすら待ったのであった。


あれから8年。
被災状況がひどかった旧山古志村は、今は長岡市と合併している。
その後、復興し、箱根駅伝で優勝した東洋大学が合宿をはって、山古志を走って練習したのは有名な話だ。
しかし、住民の土地離れが進み、少子高齢化が一段と進んでいる。

山古志に近いところに勤めていた知り合いは、当日勤務先の学校の周年行事が終わってホッとしていた時だったそうだ。
ひどい揺れが収まると、学校の前の民家がつぶれて、目の前から消えていたのだそうだ。
100km以上離れた所に住む、両親は死んだのではないかと、覚悟したそうである。
周年行事だったため、なんと礼服で被災し、着替えは住居においてきたため、その後1週間、住民の避難先となった学校で、ずっと礼服で過ごしていたのだそうだ。

中越地震から8年。
そして、東日本大震災から1年半。
中越地震から真の復興ができたのかどうか、検証もしないうちに東日本大震災が起こってしまった。

地震の多い日本。
これからも油断できない生活が続く。
が、何よりも被災地の復興を急がなくてはならないと思うのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする