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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「10years」(渡辺美里)の歌が前と違って聴こえる

2023-02-21 20:55:16 | うた

あれから10年も この先10年も 

行き詰まりうずくまり駆けずり回り

この街にこの朝にこの手のひらに 

大切なものは何か 今も見つけられないよ

 

渡辺美里の「10years」。

全部を聴くと、失恋の歌だとは知っている。

だけど、いつも愛や恋とは違う思いでこの歌が聴こえていた。

自分にとっては、時間が過ぎたなあと思うとき、いつも頭の中に流れる歌だったのである。

 

あれから10年も この先10年も

 

この部分を聴くと、いつも時の流れの速さを思う。

あっという間に10年がたってしまった。

きっと同様に、この先の10年もあっという間に過ぎていくことだろう。

そんなことを思うのだ。

10年たっても、自分は何も変わっていないし、これからも大きく変わることはないだろう。

そんなことを思ってきた。

 

最近は、少しこの歌の聴こえ方が変わってきた。

「あれから10年も」が、時間が早く過ぎたという意味で、変わらない。

だけど、「この先10年も」を聴いて思うことが違うのだ。

この先10年、生きているのだろうか?

そんなことが、頭の隅をよぎるようになってきたのである。

 

私の年齢が、父の享年からあっという間に10年。

そして、母の享年まで10年を切ろうとしている。

さて、自分の人生は、いつまでだ?

確かにずっと人生は、「行き詰まりうずくまり駆けずり回り」の連続できたよなあ…。

そこに付け足して、10年といえば、娘が突然の病に倒れてからの年数にあたる。

まさに、「あれから10年」…。

そんなことなどを思うようになったから、聴こえ方が変わってきたのだろう。

 

生きているか?

そんなことは考えずに、この先10年も、

行き詰まりうずくまり駆けずり回りながらでいいから、ゆっくり生きていくことにしよう。

この街に この朝に この手のひらに 大切なものを1つ1つ見つけながら。

 

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小椋佳のラストアルバム「もういいかい」を聴いて

2023-01-23 20:35:21 | うた

 

先日、ポチッと押して購入した小椋佳のアルバム「もういいかい」。

2年前に最後のオリジナルアルバムとして発売されたものだ。

ほどなく手元に届いた。

 

アルバムにはどんな楽曲があるのかというと、全13曲で構成されていた。

  • 開幕の歌
  • ラピスラズリの涙
  • 生きろ
  • 僕の憧れそして人生
  • 俺は本当に生きてるだろうか
  • 笑ってみよう
  • 花、闌の時
  • 朝まだき
  • 老いの願い
  • 置手紙
  • もういいかい
  • 山河
  • SO-LONG GOOD-BYE

 

この中で以前から知っていたのは、「山河」のみ。

五木ひろしに提供して、彼がよく歌っていたあの曲だ。

 

1曲目から全曲聴いてみて思った。

なるほど、「最後のオリジナルアルバム」だ。

「オリジナル」の意味は、「独創的」だとか「目新しい」という意味があるが、そこに「最後の」が付いているとおり、彼の人生での「最後」を意識した曲が多かった。

人生での最後、というと「老境」であることを意味する。

そう考えると、「老境」にいるソングライターが、それを意識した曲を集めてアルバムにした人はいなかったのではないかと思った。

かつての小椋佳のイメージどおりの曲は、「ラピスラズリの涙」「朝まだき」「花、闌の時」くらいであった。

それら以外、このアルバムには、まぎれもなく小椋佳が自らの老いをテーマに作った曲たちが散りばめられていた。

 

1曲目の「開幕の歌」は、コンサートの最初などに流されるのかもしれないが、思わず苦笑してしまう。

その2番は、

既にもう喜寿の歳 見返れば道遥か

年老いて体力の衰えは残酷で

ステージも最後まで持つかどうか不安です

兎に角に最後までお付き合い願います

…だもんね。

 

老境にいる小椋佳個人の今の思いや考えが出ている歌がずらりと並ぶ。

曲名を見ただけでも、それがわかる。

「生きろ」「僕の憧れそして人生」「俺は本当に生きてるだろうか」「笑ってみよう」「花、闌の時」「老いの願い」「置手紙」「もういいかい」「SO-LONG GOOD-BYE」…。

「花、闌の時」は、「闌」を何と読むのか分からなかったが、「たけなわ」であった。

「闌」(たけなわ)の意味は、「盛り、あるいは盛りを少し過ぎたとき」の意味である。

この曲名には、人生の盛りを過ぎた意味が入っていると見たくなる。

 

「生きろ」は、自分や周囲の人に対する叱咤激励である。

この世に美しい死 などというものはない

讃えられたり 褒められたり みんなまやかしさ

腹の底の 命の声を 裏切ることなく

出来る限り 手だて尽くし 生きろ 兎に角生きろ

 

在らん限り 力尽くし 生きろ 兎に角生きろ

精一杯生きろ

 

「置手紙」という曲もある。

その曲名を聞くと、われわれの世代では、「かぐや姫」の名曲を思い出す。

だが、小椋佳の曲は、「未だ蒼く若い人」への「悔いなく生きよう」というメッセージソングであった。

 

アルバムタイトルにもなっている「もういいかい」は、こんな詩で終わる。

流石に喜寿 疲れました 疲れました もういいかい

 

ラストの曲「SO-LONG GOOD-BYE」は、

涙するほど ただ感謝です

心は満ちて 幕引きの時

SO-LONG GOOD-BYE

 

こんなふうに、老境小椋佳の独白のような曲ばかりであるが、これはこれでよいと思う。

ラストメッセージが、次々と並んでいる。

今まで、このような高齢者のつぶやきのような曲が並んだアルバムなんてなかっただろう。

そんな意味でも、聴いてみる価値があると思った。

 

だから、五木ひろしの歌う「山河」もすごいが、小椋佳の歌う「山河」は、歌のうまさでは劣っても、さらに人生の重みと迫力が感じられた。

顧みて、恥じることない足跡を 山に残したろうか

永遠の水面の光増す夢を 河に浮かべたろうか

愛する人の瞳に 愛する人の瞳に

俺の山河は 美しいかと。

美しいかと。

 

学生時代や社会人時代に買った小椋佳のアルバムもよかったが、こうして自らの詩を大切にした曲たちというのは、小椋佳ならではのものだろう。

私より人生の一歩先を行く先輩の、偽りのない思いにあふれた歌たちが並んでいるように思えた、小椋佳のラストアルバムであった。

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「花のコンサート」に行ってきた

2022-12-20 20:32:02 | うた
4年前に義兄の葬儀を関係するところで行ったこともあり、先日、その地元JA主催で行われるコンサートに行ってきた。



「花のコンサート2022」と名付けられたその催し。



ソプラノの声楽家、ピアノ奏者、ヴァイオリン奏者、フルート奏者の4名でさまざまな音楽を聴かせてくれた。



演目は、次のような曲たち。



さすがに、大切な人を亡くした人たちを対象にしたコンサートというだけあって、落ち着いた曲が多かった。

ピアノ奏者は、ずっと出ずっぱりだったが、ソロだけの歌あり、楽器奏者だけの演奏あり、とバリエーション豊かに聴かせてくれた。
規模が小さいとはいえ、音楽のエキスパートたちが聴かせてくれるものに引き付けられた。

最後には、聴衆からアンコールの拍手もわいた。
そこで4人が選んでやってくれたのは、おなじみの「ふるさと」だった。

この歌が、心にしみた。
災害時やその復興に向けた際にもよく歌われているのを聞いたことがあるが、その気持ちが分かるような気がした。

いかにいます 父母
つつがなしや ともがき


歌のこの部分で、不意に涙がこぼれてきた。
なぜなのか分からない。
けれども、失った大切な人たちはもう戻っては来ない。
思い出しか残っていない。
そんなことから、しみじみと感じ入ってしまったのだろうか。
単純に歳をとって、涙もろくなっただけなのだろうか。
あらためて、名曲であり、日本人の心を震わすものをもった曲だと思った。

時間は実質70分程度だったが、自分にとって何だかとてもよいコンサートだった。


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ちあきなおみの「ねえあんた」を聴きたくて「微吟」を買う 

2022-12-13 20:36:20 | うた
学生時代にFMから流れてきた歌に、聴き入ったことがある。
その歌声は、ちあきなおみの声だった。

ちあきなおみは、「喝采」でレコード大賞を受賞して、たしかにすごい歌手だと思ってはいた。
だが、それ以前に歌っていた「四つのお願い」とか「X+Y=LOVE」などは、学生の頃の自分には、色っぽさで売ろうとしているように感じて、あまりよい印象はもっていなかった。
それが、ラジオから流れてきた曲は、「もう一度聴きたい」と思わせるほどのものだったのだ。
どうやら、コンサートか何かで歌った1曲だったようで、歌い終わった後には、聴衆の大きな拍手も響き渡っていた。

後日調べてみると、「ねえあんた」という曲だということがわかった。
リサイタルで歌い、その録音盤から流していたらしい。
もう一度聴いてみたくても、2枚組の実況録音盤レコードとしての販売では、さすがに、とても高価に感じられて買うことはなかった。
ほかの聴きたくない曲まで入っているわけだし。

その後、いつの間にか、ちあきなおみは歌手活動を休止してしまっていた。
1992年に夫を亡くしてから、そのまま引退してしまったような形になっているとのことだった。
その歌唱の実力を知っている多くの人が、ずっとその復帰を願っていたようだ。

10年ほど前には、「ちあきなおみに会いたい」(石田伸也著;徳間文庫)という本を読んで、私ももう一度落ち着いて彼女の歌を聴いてみたいな、と思うようになった。
ただ、「全曲集」や「ベスト」のようなものには、いわゆる聴きたくない曲も入っているので、なるべく気に入ったものだけを聴きたいと思っていたが、特によいものはなかった。

私が聴きたかったのは、
「ねえあんた」のような、まるで一人芝居のような曲や、
友川かずきから提供された「夜へ急ぐ人」、
石川さゆり、稲垣潤一、岩崎宏美、高橋真梨子、吉幾三、さだまさし、中森明菜、薬師丸ひろ子らがカバーした「黄昏のビギン」
…などを中心にした選曲のものだった。

先日、急に彼女の「ねえあんた」のことを思い出し、聴きたくなった。
それでAmazonで調べてみると、自分好みの曲ばかりが集められたアルバムが、3年前に出ていたことを知った。
そのアルバム名は、「微吟」という。



微吟…びぎん…ビギン?
てっきり彼女が歌って発掘された名曲「黄昏のビギン」から漢字を当てたものだろうと思っていた。
だが、「微吟」という言葉は造語ではなかった。
辞書によると、
「微吟」とは、「小さい声で詩歌をうたうこと。低くかすかに吟ずること。詩歌を口ずさむこと。」なのだそうだ。

注文して届いたCDで、久々に「ねえあんた」を聴いた。
やっぱり、とてもよかった。
男性に語りかけているような歌なのだが、その彼を心配している様子の表現がすばらしい。
一人で、話すように歌う声を聴くと、その近くに誰か男性が本当にいるように聴こえる。
歌に登場する女性の悲しさが伝わってきた。
すごいなあ…。

そのほかに、「黄昏のビギン」や「星影の小径」、「喝采」などもやはりすばらしかった。
「微吟」というアルバムタイトルは、確かにぴったりだと感じた。
1曲だけなら「ねえあんた」だって、YouTubeで金をかけずに聴ける。
だけど、それ以外の曲も聴けるから「微吟」を購入したことは、自分としてよい選択だったと思った。
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「人力ヒコーキのバラード」(杉田二郎)

2022-11-10 20:00:32 | うた
退職してから毎朝、NHKの朝ドラを見るようになって久しい。
今回放送しているのは、「舞いあがれ!」
ヒロインが、空を飛ぶ夢に向かっていく物語だ。
大学生になったヒロイン、舞が、先週の放送から人力飛行機に乗るという展開になった。
大学のサークルで作る人力飛行機に乗って、がんばったが飛行記録には遠く及ばなかった。
それでも、空を飛んだ経験は、舞に空への憧れをより強いものにした。

サークルの学生たちの夢であった人力飛行機作りと飛行。
若者たちの夢に向かう雰囲気がすごくいいなあ、と思って見ていた。
若いときに、自分の夢の実現に向かって努力するって、いいよなあ、それに近いことがあったなあ…なんて、思わせてくれた。
これからのドラマの展開も楽しみだ。

さて、「人力飛行機」という言葉の響き、あまりなじみがないけれど、何か自分のもっているCDで、歌を聴いたことがあったと思い出した。

そう、これこれ。

杉田二郎氏が歌っていた、「人力ヒコーキのバラード」。


1970年に「戦争を知らない子供たち」がヒットしたジローズの杉田二郎がソロになって、2枚目のシングルとして1972年に出された曲だった。


ある日 僕は夢見た ヒコーキを作る夢を
自分の足でこいで ブンブン プロペラまわし
空を飛ぶんだよ



曲を作ったのは杉田氏だが、作詞は、「ふれあい」や「聖母たちのララバイ」など名曲の作詞もある山川啓介氏だった。
2人ともまだ20代だったから、こんな夢のある曲を作ることができたのだろうなあと思う。

誰も僕を知らない そんな国へ行きたい
いいのさ笑われても 人には出来ない何か
やってみたいだけ


でも、この部分には、若いがゆえの悩みから逃れたい思いが感じとられる。
他者から笑われたり干渉されたりして、つらい思いもしているのじゃないかとの憶測も生じる。

飛べよ大空高く 僕の作ったヒコーキ
汚れた悲しみには もうさよならさ


「汚れた悲しみ」とはどんなことを指すのだろう。
今の自分は、本来の自分ではなくなってしまっているから、さよならしたいというのだろうか。
単純な詩だしメロディーだから、なおさら感じるものもある。

ある日 僕は飛び立つ 昨日の世界はなれ
車も人も家も あんなに小さくなって
僕を見上げてる

飛べよ大空高く 僕の作ったヒコーキ
汚れた悲しみには もうさよならさ


2番では、つらい現状から、勇気を持って脱出しようという決心をしたことを歌っているのだろう。
「僕の作ったヒコーキ」という部分から、自分の力を信じて前に進もうという挑戦的な意思も伝わる。

久々にこの曲を聴いて、少し忘れていた「挑戦」や「前進」の気持ちを思い出した。
以前に聴いていたときよりもいい歌だなと思った。

歌っていた、かつて「戦争を知らない子供たち」だった杉田二郎氏も、もう76歳であることに、青春時代がはるか以前に過ぎ去ってしまったと思い知ったりもするのである。
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苦しいときは、心の中でいつも「イノキボンバイエ」を流してきた ~アントニオ猪木氏の逝去を悼む~

2022-10-02 20:33:43 | うた
30代の働き盛り(?)の頃、仕事上いやなことがあっても、自分ががんばらないといけない場面では、自分の頭の中に、いつも自分を励ます音楽を流していた。
その音楽の曲名は、「炎のファイター イノキボンバイエ」。

プロレスラーアントニオ猪木の入場曲だった。

理不尽な状況に追い込まれたとき、自分を励ましたいとき、自分を勇気づけたいとき、私は、いつも心の中に、あの「イノキボンバイエ」の始まりのメロディーを流し、「負けるもんか」と勇気を奮い起こしていた。

私は、プロレスファンでもなかったし、アントニオ猪木のファンでもなかった。
なぜ、その曲で奮い立つのだろう?
よくわからないままに、何度も窮地に追い込まれた自分は、とにかくこの曲を想起しながらそこで踏ん張りがんばることができた。

今になって考えてみれば、やはりその曲で登場するアントニオ猪木の生き様が格好よく見えていたから、というのはあっただろう。
深くは考えたことはなかったが、アントニオ猪木は、心を揺さぶるカッコよさをもっていたのだ。

私の学生時代、「世紀の一戦」と言われながらのちに「世紀の凡戦」と言われた、モハメッド・アリとの異種格闘技戦があった。
寝転がってばかりいる猪木の姿に、がっかりした人は多かったが、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンと戦うプロレスラーのすごさを感じた。
また、異種格闘技戦といえば、当時世界最強の空手家と言われたウイリー・ウイリアムスとの一戦が思い出される。
場内に殺気が満ちていて、怖いくらいの雰囲気の中で行われていたのを思い出す。
最後には、第4ラウンド、リング外で猪木が場外で腕ひしぎ十字固めを決めたまま試合終了。
猪木は肋骨にヒビが入り、ウィリーは腕十字で右ヒジの腱を痛めたことによる両者ドクターストップの引き分けとなったが、まさに真剣勝負に見えた、あの緊迫した雰囲気は忘れられない。

そんな異種格闘技戦を、自らは傷つきながらも切り拓いたという生き方は、とても真似できないと、あの頃は思ったものだった。

その猪木の格好よさを、私に再び印象付けたのは、彼が現役を引退するときに披露された「」という詩を通じてだった。

この道をゆけばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ 行けばわかるさ。

この詩は、また別の機会にも口にしていたのを見たことがあるが、彼の生き方そのものがよく表れているのだな、と思ったものだ。

迷うより悩むより、まず自分を信じて行け!
勇気をもって、一歩踏み出せ。
その踏み出した先にこそ、後悔のない人生がある。

そんなふうに聞こえる言葉たちだった。

そうなのだ。
そういう思いを持って有言実行してきた人の登場曲だから、「イノキボンバイエ」は私を、いや私たちを奮い立たせてくれたのだろうか。

仕事を持たなくなってから、自分が窮地に立たされることはなくなった。
だが、時々この曲は聴きたくなる。

「元気ですか~!?」
「元気があれば なんでもできる!」
そう言っていた、元気をくれた人、アントニオ猪木が亡くなった。

元気に生きていきたいと思う。
「イノキボンバイエ」を時々聴きながら。

合掌。
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「かんかん照り」(井上陽水)の気分

2022-08-08 20:30:12 | うた
いやな夏が 夏が走る
あつい夏が 夏が走る


今まさに、この歌の気分。
50年前に井上陽水が出したアルバム「陽水II センチメンタル」にあった、「かんかん照り」という曲。


初めて聴いた時は、大げさすぎてそんな馬鹿なことがあるか、と思ったものだった。

やけついた屋根がゆらいで見える
お日様は空であぐらをかいて
スズメたちはやけどをするのがこわいのか
どこかに隠れてる


…ここまではいい。
そんな馬鹿な、は、次以降だ。

水道の水がぐらぐらたぎり
セッケンはすぐにどろどろとける
恋人はレモンのジュースを作るのに 困った顔してる
いやな夏が 夏が走る


さすがに、「水道の水がぐらぐらたぎる」そこまではないだろう。
どろどろとけるセッケンのことは、いかにも50年ほど前の話だと思う。

帽子を忘れた子どもが道で 直射日光にやられて死んだ
僕の目から汗がしたたり落ちてくる
本当に暑い日だ

あの頃は、「直射日光に当たらないように。帽子をかぶって家を出なさい」とはよく言われたものだ。
熱中症とは言わずに、日射病と言っていた時代だった。

動かないことが一番いいと 寝転んでいても汗ばむ季節
恋人はやさしくよりそってくるけれど 心も動かない
いやな夏が 走る
あつい夏が 走る


井上陽水の「かんかん照り」は、こんな歌だった。
あの時代は、エアコンのことをクーラーと言っていたし、クーラーがある家はまだ限られていたのだった。
でも、50年あまり前は、今みたいに、35℃を超えるような日はめったになかった。
31,32℃になると、とてつもなく暑く感じたものだった。

今は、35℃を超える猛暑日が多いのも事実。
陽水のこの「かんかん照り」が、妙に現実味を帯びて感じるのは、酷暑のせいだろう。
今日も暑かった。
そして、夜になってもなかなか暑さが収まらない。
昨日は、立秋だった。
その日が過ぎたというのに、この暑さ。
困ったものだ。

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最も好きな海の歌 「海を見に行く」(小林泉美&フライングミミバンド)

2022-07-18 21:14:14 | うた
今日は、祝日、海の日。
私が若い頃は、海の日なんてなかったから、祝日が増えるのはうれしいことだった。
もっとも、この時期に増えてうれしい理由は、休めるからとか海に行けるから、ということではなかった。
私も、周囲の同僚も、うれしかった理由は、「仕事ができるから」だったのだ。
この時期は、夏休み直前でありながらも、まだ授業日が残っているという状況で迎えている学期末直前の日。
終業式が24日ごろだったから、もうやることはいっぱいあって、てんてこ舞いする時期なのだ。
そんな時に、まる一日、たっぷりたまった仕事ができるというのはうれしかった。
この海の日には、家の子どもたちを海に連れて行くなんて余裕は到底なかったのである。
(…以上、回想…。)


さて、海に行きたい気分を抑えて仕事をしていたわけだが、海の歌は好きなものがいろいろあった。
学生の頃は、自分だけのお気に入りの歌やアーティストを見つけるのが好きだったと、以前何度か書いたことがある。
海の歌で、最も好きな歌も、あまり知られていなくて、実は自分だけとってもお気に入り、という歌なのだ。
その歌の曲名は、「海を見に行く」という。
歌手名は、「小林泉美&フライングミミバンド」
1978年に出された「オレンジ・スカイ」という10曲入りのアルバムの、B面の1曲目の曲であった。



海を見に行くの あなたと二人で
空は青く晴れて 二人をつつむよ
白い波に花を浮かべ あなたの瞳みつめ

海を見に行くの あなたと二人で
淡いロマンティックな 詩の中のように
赤い花を髪にさして 乙女のように走る

ララララ空は ララララ夢は
ララララ風は ララララ季節(とき)は
ララララ夢は 
もう消えてしまうのねえ

何も言わずに 見つめる海は
揺れる心 のせて
ララララ季節は
ララララ夢は
もう消えてしまうのねえ

海を見に行きたい もう一度あなたと
海を見に行きたい もう一度あなたと



けだるく長く始まるイントロから、「海を見に行くの あなたと二人で」と、小林泉美の甘い声が始まると、言い方はおかしいが、いつもゾクッとしてしまう。
曲の中には、波の音や海鳥の鳴き声も入っていて、聴いていると、幻想のような南の海が目の前に浮かんでくる。
海、いいなあ…とあこがれる。

そして、後半の「海を見に行きたい もう一度あなたと」の繰り返しに切なさもある。
現実として感じた、真夏の空、風、季節(とき)なのに、過ぎてしまえば、やがて夢となって消えて行ってしまう。
あの頃は、そんなはかなさが、若さがもつ不安とともに感じられたのだった。

今はもう65歳のジイさんになってしまった私だけれど、今でもこの「海を見に行く」は、時々聴きたくなって流している。

この歌が好きな人は、やっぱり私のほかにもいるんだね。
今の時代、ちゃんとYouTubeにアップしてあるのだから。
聴きたければすぐに聴けるので、ぜひどうぞ。

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「ウイークエンド」の山本コウタローさん、逝く

2022-07-16 18:03:29 | うた
先日、山本コウタロー氏が73歳で亡くなったというニュースが流れた。
ああ、また私が若いときによく聴いた歌い手が亡くなってしまったなあ、と残念に思った。

「走れコウタロー」や「岬めぐり」などのヒット曲で知られている山本氏。
一橋大の卒業論文が吉田拓郎に関するものだったのは、有名な話だ。

最初のヒットとなった、「走れコウタロー」は、氏がソルティ・シュガー時代のものだった。
軽快なメロディーは楽しいし、歌の中の当時の美濃部東京都知事の真似をしたセリフはコミカルだったが、競馬に興味はないし、好きな曲ではなかった。

その後、新たに「山本コウタローとウイークエンド」(のちに「ウイークエンド」)を結成して、1974年に「岬めぐり」をヒットさせた。

私の家には、このウイークエンドが出したレコードアルバム5枚のうち、4枚がまだ残っている。



シングルレコードも2枚ある。



実は、私よりも、私の弟がこのウイークエンドのファンだったのだ。
だからか、中学・高校時代にはバンドを作って文化祭などでよく歌っていたが、ウイークエンド同様の3人組のバンドだったなあ。


【弟が買ったウイークエンドの1stアルバムと2ndアルバム】

家にまだ残っているレコードは、弟の買ったものと私の買ったものの両方がある。
だから、「ウイークエンド ビッグ ライヴ’76」というライブアルバムが2枚ある。



当時東京にいた私が買ったものと、新潟にいた弟が買ったものがある、というのがその真相。
学生の私がいた大学にウイークエンドが出演するコンサートがあり、語りも楽しかったので、ライブアルバムを買ってみると、弟も買っていたというわけだ。

ウイークエンドが出した曲で、私が最も好きだったのは、「カリフォルニア・ドリーム」という曲。



カリフォルニアドリーム 心のままに
空にのびる ハイウエイをかける

カリフォルニアドリーム 風にまかせて
果てないこの道を


開放的な曲で、青空と海と車窓から広がる風景が想像できて、聴いていて心地よくなるから、アレンジも軽く、ゴキゲンな曲だった。

語りも楽しかった、と書いたが、山本コウタロー氏は、深夜放送TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」のDJもやっていたと記憶する。
そして、後年は、環境学者・社会学者として、大学の教授となって教鞭を取ったり、講演活動にいそしんだりもしていたというが、そちらの方の活躍については、私はあまり知らなかった。


【ウイークエンドが解散するときのラストアルバム】

先日は、吉田拓郎氏の活動終了のニュースがあり、今度は山本コウタロー氏逝去のニュース。
自分が若者だった頃によく聴いたアーティストたちの終止符の報せが続くのは、なんともさびしい。

でも、彼らが、自分の若いがゆえに揺れる心を歌で支えていてくれたことは、事実なのだ。
当時の歌は、今も残る。
心の中には、何度も何度も流れる。

今、独特の笛の音のアレンジと共に、「岬めぐり」を歌う山本コウタロー氏の声が聞こえる。

岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ

悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう




…合掌。

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吉田拓郎のラストアルバム「ah面白かった」を聴いた

2022-07-05 18:32:32 | うた


先週、吉田拓郎が、自身で「ラスト・アルバム」と位置づけるニューアルバム「ah-面白かった」が発売された。
「フォーク界の若手旗手」とか言われた彼も、もう76歳。
のどに衰えを感じ、2020年のライブツアーを最後にしようと決めていたのだが、この感染症禍でできなかったのだという。

………
私の高校時代に、拓郎は「結婚しようよ」とか「旅の宿」とかをヒットさせていたけれど、なんだか歌の内容が軟弱に感じた。
おまけに、なんだか気が強くて負けず嫌いな言動が目立ち、好きになれずにいた。

それが変わってきたのは、アルバム「今はまだ人生を語らず」を聴いてからだった。



もっとも、聴くきっかけとなったのは、「それがいい」「拓郎に夢中だ」というコがいて(もちろん同年代の女性だ)、そのコから何回も聞かされると、気になってしかたなかったということだったのだが。
ただ、ひねくれ者の私は、すぐには買わなかった。
よく聴きもしないで、あんな軟弱な歌い手の曲なんか聴くものか、と思っていた。

結局買ったのは、そのアルバムがリリースされてから2年以上もたってから。
池袋にあった古レコード店で見つけて思い出し、購入して聴いたのだった。
出だしからノリがよく、アレンジも印象的な曲が続いた。
「ペニーレーンでバーボン」
「人生を語らず」
「世捨人唄」
「おはよう」
…もうここまで一気に聴かされると、それまでの拓郎のイメージが変わった。
非常に男っぽい!
なるほど、あのコが推していたのも分かる!
そう思ったのだった。

それ以来、何年もアルバムが出るたびに購入し、彼の歌を聴いてきた。
また、エッセーもよく出版されていたので、「俺だけダルセーニョ」とか「自分の事は棚に上げて」などの本も、買って読んだものだった。

そんな彼の曲は、10年間くらい聴かなかったこともあった。
だが、自分が50代に近づいたころから、10歳近く年上の彼がまだがんばっている姿に、どんな歌を歌っているのか知りたくて、また楽曲を購入するようになった。

その拓郎も、もう76歳。
のどがもたないとは聴くが、“ラストアルバム”とは、非常に残念だ。

そのアルバム「ah-面白かった」を購入し、聴いた。
CD等と一緒に入っていたライナーノーツには、全9曲について、1つ1つ書かれている文章があった。



1曲1曲じっくり聴きながら、それに合わせてライナーノーツの文章を1つ1つ読んでいった。
ただ曲を聴いているだけではわからない、拓郎の思いが、歌と文章の両方を一緒にすることで、よりはっきりと響いてくるものがあった。
それによって、KinKi Kidsの両名や篠原ともえとの出会い、小田和正との付き合いなどに対しても、人生を通じて感謝の思いをもっていることが伝わってきた。
感謝の思い、ということでは、最後に、母への思いも綴られていたのが印象的だった。

このアルバムの各曲が、それなりにいいなあ、と思った。
だが、このアルバムの曲たちが発表されても、これらがコンサートで披露されることは、もうないのだ。
そのことをとても口惜しく思った。

若い頃から、レコードやCDをたくさん買い、たくさんその曲を聴いてきた。
そのヒーローの一人が引退する。
寂しさと、それに合わせて自分の年齢も同様に上がっていることを、今まで以上に痛感した今回のアルバムであった。
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