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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

元アルビ監督反町氏の著書を読む~「サッカーを語ろう」(反町康治著;小学館)~

2024-12-15 19:42:18 | 読む

アルビレックス新潟、松橋監督退団。

また新しい監督の下でのサッカーになるなあ。

噂では、2003年、初めてのJ1昇格を決めたあの決勝ゴールを決めた「あの選手」が監督となって帰ってくるのでは…などという噂もある。

だけど、まあ噂は噂、誰が来るのかは今後のお楽しみ。ということにしておこう。

誰が来ても、監督は大変だね。

勝って当たり前、負けるとボロクソに言われるからね。

 

今回読んだのは、2003年当時アルビレックス新潟の監督だった反町康治氏の著書。

その名も「サッカーを語ろう」だ。

副題に、「~日本サッカー協会技術委員長 1457日の記録~」とついている。

 

反町氏が日本サッカー協会の技術委員長をしていたのは知っていたが、その日本サッカー協会のWebサイトでコラムを連載していたことは知らなかった。

本書は、2020年4月からの在任4年間に反町氏が書いた36回のコラムを、テーマごとに分けて章としてまとめたものだ。

第1章 技術委員会について語ろう

第2章 日本代表を語ろう

第3章 育成について語ろう

第4章 指導者養成を語ろう

第5章 サッカーとの関わりを語ろう

…となっていて、最後に反町氏と中村憲剛との特別対談「今一度、サッカーを語り合おう」が入っている。

 

技術委員長と聞くと、その仕事は日本代表を強くするための仕事かと思っていたら、そんな単純な仕事ではなかった。

現在から未来にかけて、日本を強くするための仕事をしていたのだった。

 

読んでみて、反町氏の誠実で真剣な仕事ぶりがよくわかる本であった。

誠実で真剣なのは、章の並べ方からも分かる。

最初に、技術委員や技術委員長の仕事はどういうものかについて語っている。

そして、そこから、読者が関心を持っている日本代表のこと。

そして次世代の選手を育成するためのこと。

選手を育成するためにはしっかりした指導者を養成する必要があり、どうしたらよいか、どうしているかということ。

そして、最後には、自分がサッカーに興味をもってきたことや、影響を受けた人のことなどを語っている。

特に、オシム氏のことは詳しく書いてあり、反町氏の感じた悲しみから、改めてオシム氏が日本のサッカーに与えた影響は大きかったことが伝わってきた。

 

こうして書かれている全てを読み終えて、代表のことだけでなく、日本が強くなるために今しなくてはいけないことを真剣に考えて真摯に取り組んでいたことがよく分かった。

だから、指導者の養成にも話が及んでいるのだが、若くから監督をする人が日本には出ないことから、どうすべきか考えたり策を打ったりしていることも知り、へえ~と感心したりした。

 

ただでさえ技術委員長と「長」の付く仕事で大変だろうに、反町氏の在任期間中は、COVID-19感染症の世界的流行期間と同時期であった。

だから、いろいろなことでそれが障害となっていたこともよくわかった。

そのような出来事があっても、前に進めなくてはいけないことがある。

あまり影響がないと思われる指導者養成だってそうだった。

 

新潟人としては、アルビレックス新潟の監督としてチームを指揮していたときのことがもっと書いてあるとうれしかったのだが、そうなると本筋から外れてしまうから、それは仕方ないか。

でも、湘南や松本を率いていたとき、監督として対戦相手にどれだけ時間をかけていたかにふれていたが、それは新潟の監督時代もきっと同じであっただろう。

そのような人物に率いられていたから、反町氏の監督在任時代は、強いとは言えなくても新潟が残留争いに巻き込まれることがなかったのだろう。

 

いずれにせよ、責任のある役職についたからには、しっかりしたビジョンをもち、情熱と責任をもって、やり遂げる強い意志が必要だということだ。

そのことを改めて思い知るような本だった。

 

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「滅びの前のシャングリラ」(凪良ゆう著;中央公論新社)を読む

2024-12-13 18:09:48 | 読む

「シャングリラ」という言葉やその意味を初めて知ったのは、私が社会人になった年。

1985年に出された吉田拓郎のアルバム名「Shangri-La」からだった。

「理想郷」という意味だったが、購入したそのアルバムには「あの娘といい気分」とか「いつか夜の雨が」とかの曲があった。

だけど、「シャングリラ」の意味するものが伝わってこないなあ、と思ったのを覚えている。

 

このたびは、その「シャングリラ」の言葉を含む本を、図書館から借りて読んでみた。

凪良ゆうの「滅びの前のシャングリラ」だ。

2020年の本屋大賞を「流浪の月」で獲得した翌年に発行され、この作品は、2021年本屋大賞第7位となっている。

 

今回この凪良ゆう氏の作品を借りてみようと思ったのは、図書館で本棚を見たら、その名札の本棚に、彼の作品が置いてなかったからだ。

凪良ゆう氏の本は、図書館に9冊おいてあるはずなのに、棚が空っぽ。

つまり、その著書は、すべて借りられていたということ。

そんなにたくさんの人が氏の本を求めているのか、と思い、機会があれば読んでみたいな、と思った。

そして、なにげなく返却本のコーナーの前を通ったら、この「滅びの前のシャングリラ」を見つけたので、借りて読んでみようと思ったのだった。

 

中央公論社の本書の紹介では、次のような紹介があった。

「一ヶ月後、小惑星が地球に衝突する」

突然宣言された「人類滅亡」。

学校でいじめを受ける友樹(ゆうき)、人を殺したヤクザの信士(しんじ)、

恋人から逃げ出した静香(しずか)、そして――

荒廃していく世界の中で、「人生をうまく生きられなかった」四人は、最期の時までをどう過ごすのか。

滅びゆく運命の中で、凪良ゆうが「幸せ」を問う。

『流浪の月』『汝、星のごとく』で

二度の本屋大賞を受賞した著者による 心震わす感動作

 

読み始めてみると、本書は4つの章に分かれていた。

初めは4つの短編かと思ったが、違っていた。

1か月後、小惑星が地球に衝突する、という滅びのパニックの状況下で、章ごとに中心人物を変えて、ストーリーが進んで行った。

3章目までの3人には、家族というつながりが見つかって話が進んだ。

だが、最後の4章目の山田路子だけはちょっと違っていたが、やはり家族や友人とのつながりが描かれていた。

 

この作品は、前半を中心に、ちょっと暴力シーンが多かったのだが、置かれている状況を描くためには仕方がないのかな。

ひと月後に小惑星が地球にぶつかって世界が終わる、そう分かって、人々がパニックになる絶望的な状況下で、殺人や暴力が横行する。

そんな中で、高校でいじめられている人物が、好きな子のために身を投げ出しても守ろうとする。

母は、生まれ来る子どものために、暴力を振るう相手から逃げ、何をしても子どもを守ろうと育ててきた。

殺人を犯してしまった人物が、家族とのつながりに心が許せることを見出したり、愛おしさを抱いたりして、荒れて油断のできない日々を、家族を守ろうとする。

「自分は独りではない」と分かることが、どれだけ人間にとって心の支えになることか。

ストーリー全体に流れているのが、「愛」。

それに包まれていることが、登場人物たちにとって「シャングリラ」となっているのだろうなあ。

地球が滅ぶという、どうしようもない直前のことではあるけれども…。

それでも、この作品からは、「シャングリラ」の意味が伝わってきた。

 

凪良ゆうの小説、他の作品はどんななのだろう?

2020年に本屋大賞を取った「流浪の月」にも関心がわいてきた。

機会があれば、読んでみたいな。

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「松岡まどか、起業します ―AIスタートアップ戦記― 」(安野 貴博 著;早川書房)を読む

2024-12-10 21:04:20 | 読む

これは、今年出た本だ。

本書の帯には、こう書いてあった。

22歳の非力な新卒社長のミッションは たった1年で 10億円企業を作ること⁉

AIエンジニア&起業家にしてSF作家が描く、令和最強のお仕事小説!

 

出版元は、早川書房。

早川書房と言えば、SFやミステリー関係のイメージが強い。

なのに、お仕事小説?

 

ということから、著者の安野貴博氏についてちょっとGoogleで調べてみると、

どーんと出てきてびっくりしたのが、

「安野たかひろ(東京都知事候補)公式ホームページ」という文字列。

えっ!?この人、東京都知事選に出ていたの!?

 

 

そこをのぞいて、「プロフィール」を見てみたら、

テクノロジーを通じて未来を描く」活動をしてきた33歳・無所属のAIエンジニア&起業家&SF作家。 1990年、東京生まれ。東京都文京区育ち。

だって。さらに、

開成高校を卒業後、東京大学工学部システム創成学科へ進学。「AI戦略会議」で座長を務める松尾豊教授の研究室を卒業。外資系コンサルティング会社のボストン・コンサルティング・グループを経てAIスタートアップ企業を二社創業。デジタルを通じた社会システム変革に携わる。日本SF作家クラブ会員。

 

へえ~。

この安野氏、先の都知事選に立候補し、5位の得票数15万4638票を獲得していたのだそうだ。

AIエンジニアだけあって、「テクノロジーで誰も取り残さない東京へ」をスローガンに、AIやSNSを駆使した選挙戦を戦ったようだった。

 

さて、そんな安野氏が書いた小説だ。

これは、サイエンスに関するから、早川書房なのか、と思いつつ読んだ。

ちなみに、表紙のカバー裏には、こんな紹介文があった。

 

日本有数の大企業・リクディード社のインターン生だった女子大生の松岡まどかはある日突然、内定の取り消しを言い渡される。さらに邪悪な起業スカウトに騙されて、1年以内に時価総額10億円の会社をスタートアップで作れなければ、自身が多額の借金を背負うことに。万策尽きたかに思われたが、リクディード社で彼女の教育役だった三戸部歩が松岡へ協力を申し出る。実は松岡にはAI技術の稀有な才能があり、三戸部はその才覚が業界を変革することに賭けたのだった――たったふたりから幕を開ける、AIスタートアップお仕事小説!

 

出てくる社名等も、リクディード社、ビズリサーチ、ユアナビなど…よく聞く名称をもじっているから、連想できるのが楽しい。

おそらく自身の経験がもとになっている部分があるのだろうけれど、専門的な知識を持たないと分からないと書けないよなあ、と感心した。

それゆえ、ITの専門用語や経済用語は、私のような門外漢には聞きなれなくて分からない言葉の連続だった。

ローンチ、ギーク、アサインする、ベットする、ファインチューニング、プロンプトチューニング、エレベーターピッチ、ピボット、LLM…etc。

でも、門外漢でもシロウトでも、話自体は面白い。

なんてったって、主人公の松岡まどかは、起業するとはいえシロウト。

そのシロウトゆえ、様々な困難に会うが、AIを頼りにしながら前に進んで行くのだ。

色恋沙汰は全く出てこないが、とても面白かった。

 

SFの早川書房だから、これはサイエンスフィクションにすぎないのか。

いや、なるほどと思うところが多いから、きっとこの小説に書かれてあることは、もうフィクションではないのだろうな。

安野氏の専門的な知識が生かされた小説だ。

ドラマになったら、きっと受けるだろうなあ。

「ミッションはAIで働く人を助けること」

「世界に君の価値を残せ」

うーん。響いてくる言葉だなあ。

 

この松岡まどかのその後がどうなっているのか、続編が生まれてもいいな、と思った作品であった。

安野氏の広く深く豊かな才能、なかなかすごいですね。

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「こども六法の使い方」(山崎総一郎著;弘文堂)を読む

2024-12-03 20:08:46 | 読む
以前、「こども六法」なる本について、ここに書いたことがある。
困っている子どもを法律で助ける本ということだった。
その本のよさから、子どもに法律を教えた方がいいのではないかというようなことも思った。

だが、その考えは底が浅く、著者にとっては不本意なとらえ方だったようだ。
大人の読者から「『こども六法』の本があれば、子どもにやっていけないことを根拠をもって教えられる」という意見がたくさん寄せられたのだそうだ。
子どもが悪いことをしたときに、「『こども六法』に、法律でダメって書いてあるから、そんなことしちゃダメ!」というような使い方は、なぜ法律を守らなければいけないかという子どもの疑問に一切答えていないから、子どもの理解を得られない。
だから、本書で法教育の目的や重要ポイント、法教育の基本となる大切な考え方について、大人向けにできるだけやさしく興味を持ってもらえるように、と考えて書いたのだという。

興味深かったのは、後半、「大人」と「子ども」を分けるものは何か、という内容にふれていた所だ。
それを「責任を取る能力」ということで語っている。
民法では、18歳で成年になる。
成年になることで、自分の意思だけで自由に契約を結ぶことができるようになるが、同時に契約に対する「責任」も負うようになる。
ただし、「責任を取る能力」(正式には事理弁識能力というらしい)があるとする年齢は、刑法では、なんと14歳。
「責任を取る能力」をシンプルにいうと、「自分の行動を理解し、選択する力」があるということ。
責任とは、自分の選択に対して負うものだということ。
そう考えると、例えば殺人罪は、「相手を殺さないという選択ができたのに、あえて相手を殺すことを選択した」ことを非難するための刑罰であるといえる。
なぜ、ここを強調するかというと、人生は選択の連続だから。

大人でも、何かを選択して失敗したとき、他人のせいにすることがある。
「アドバイスどおりにやったのに失敗した」「本当は違う方法でやりたかったのに」など。
子ども時代に親の教育・躾の中で「選択する機会」を奪われてきたのではないか。
刑法の14歳という年齢は、自らの責任において「犯罪をしない」という選択をできる力は、14歳までに身につけておかないといけない、ということ。
この力は、その4年後、18歳になったときには、約束(契約)を守り、債務を果たす力につながっていく。
さらには、将来にわたって自分の人生を選択し、責任を負える力になる。

このような考えには、深く同意する。
こういう責任を取る力が、子どもだけでなく大人にもついているのかについては疑問符がつくような現代日本になってはいないだろうか?
年齢だけは大人となっているが、自分の言行に責任を負えない、いや負うことができない身勝手な人が多くなってはいないだろうか、と思う。

自分の選択に責任を持てる大人になること、それこそが人生を自分のものとして生きる基礎であることは言うまでもないでしょう。大人が子どもに教えてあげられることのゴールと言っても過言ではありません。法教育に携わる者としては、ぜひ法律をツールとして子どもたちにその力を身につけてほしいと願っています。

親子といえども別の人間で、それぞれに別の人生があります。親が子に対して責任を負うべきは、子どもの人生ではなく、成長なのではないでしょうか。
つまり親の責任とは、子どもが自分の人生に責任をもって一人で生きていけるように育てる責任であって、いつまでも子どもの一挙手一投足に目を光らせる責任ではないと私は考えます。

これは、子育てで本当に大切なことだと私も常日頃から考えていたことだ。
若いながら、著者がしっかりした考えを持っていることがうれしかった。
これ以外にも、読んでいて非常にすっきりする考え方で、うなずける部分の多い本だった。

また、著者は、自身が子どもの頃ひきこもりだった経験で、大人に助けてもらえなかったうらみがあったという。
助けてもらえなかった大人に対する不信感が大きくて、どうしても法律を自分の側、子どもの側に有利なように活用することばかり考えがちになっていたと、現在はみとめている。
だから、今は、子どもの側にも大人の側にも目をやって子どもたちを救おうとしている。
素直にそのことを書いているのも好感が持てた。

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「想い出にかわるまで」(内館牧子著;角川文庫)

2024-11-27 18:24:05 | 読む

 

別れたらそれっきりというのは、淋しすぎる。

想い出にかわった時、元恋人は「一番大切な他人」になっているんだわ。

 

久々に恋愛小説を読んだ。

その書名が「想い出にかわるまで」(角川文庫)。

著者は、内舘牧子。

この文庫本が出たのは、平成5年だったから、今から30年以上前になる。

手元にあるのは、平成10年の第19刷のものだから、本当に昔のものだ。

本棚の陰にずっと隠れていた一冊。

 

この本の最も印象に残る文章は、冒頭に載せた2文。

60代後半の自分だが、胸がきゅんとする文章だ。

「一番大切な他人」かあ。

言い得て妙だなあ…。

しかも、それが「想い出にかわった時」だというのだからなあ。

 

ストーリー自体は、主人公のるり子が、婚約者のエリートサラリーマン直也を、実の妹の久美子に強引に奪われるというもの。

そんな妹の姿には、多少おどろおどろしさがあった。

印刷屋の町工場の父母、るり子と妹、弟を交えた家族のつながりについても描かれているから、ああ、あの頃はまだこんなふうな家族関係だったな、とか跡継ぎの問題は必ずついてまわっていたな、などとも思ったりした。

恋愛小説に家族小説の要素が入り込んでいたのは、いかにも、という感じで懐かしさを覚えた。

 

この作品について調べてみると、あの金妻(金曜日の妻たちへ)のシリーズと同じ夜10時の時間帯に放送されたテレビドラマから、放送終了後、書籍化→文庫化されたものだった。

金曜10時台のドラマは、それこそ「金曜日の妻たちへⅢ」しか見たことがなかったので、ドラマ放送されていたとは知らなかった。

この「想い出にかわるまで」のドラマは、1990年1月から3月までの放送で、主演は今井美樹と石田純一だった。

私にとっては、魅力的なシンガーとしてしか知らない今井美樹が出演していたことなんてあったんだね。

しかも、姉から婚約者を奪い取る妹役は、当時21歳の松下由樹だったなんて、「へえ~」だった。

おまけに、主人公のるり子に心を寄せ、時には彼女の支えになるカメラマンには、あのチューリップの財津和夫が起用されていたというのも、興味深い。

財津氏は、ドラマに出たこともあったのか、…知らなかったよ。

…と、いろいろと珍しいことを知ることができた。

 

こういう恋愛小説を読むと、自分と違っていてうらやましくなったり、自分が経験したこととの共通点を見出したりしてしまう。

終盤に移ってきた自分の人生と比べながらも、気持ちが若くなるような気もするものだなあ。

 

 

話は変わる。

ああ、アルビレックス新潟。

今日は島田譲選手の契約満了の報せだ。

連日の満了発表、つらいなあ…。

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この頃古い児童書を読んでいる

2024-10-04 20:21:51 | 読む

最近は、図書館に行っていない。

その理由は、古い児童書によるところが大きい。

 

もうアラフォー世代となったうちの子どもたちの部屋にあったものの片づけもしているのだが、そこで見つかる本がある。

しばらくぶりに見ると、ほこりだらけになっていたりしみができたりしている。

さすがに汚くなっているので、これを古本として買い取ってもらおうなんてことはしない。紙ごみの日に捨てるしかないだろうと思っている。

先日ここで書いた「西遊記(1)」もそんな本のうちの1冊であった。

だけど、本を捨てる、ただのゴミに出しちゃうなんてことは、ちょっともったいないのだ。

本って、やっぱり自分にとって宝の1つなのだよな。

そう思えてならない。

ならば、本は読まれてこそ本なのだから、捨てる前にもう一度読んであげなくては、なんて思ったりする。

だから、子ども向けの本でも、ちょっと気になって読んでみようかな、と思ったのだ。

ここに挙げた4冊の児童書は、いずれも「フォア文庫」のものである。

子ども向けだから、短い時間で一気に読むことができた。

 

 ところで、裏表紙を見たら、同じフォア文庫なのに出版社が違っていることに気がついた。

「目をさませトラゴロウ」(小沢正・作;理論社)   A010

「ぬすまれた教室」(光瀬龍・作;岩崎書店)     A074 

 「ふしぎなアイスクリーム」(手島悠介・作;金の星社)A044

 「学校で泣いたことある?」(末吉暁子・作;岩崎書店)A059 

なぜかな?と思って、もう一度本の終わりの方のページをよく見てみた。

すると、こんなふうに書かれてあった。

フォア文庫

 この文庫は、岩崎書店、金の星社、童心社、理論社の四社によって協力出版されたものです。

 …なるほど、そうだったのか。

4つの出版社が協力して出版しているから「フォア(four)文庫」なんだね。

 

そして、ナンバーの前についている「A」は小学校低・中学年向けであることを示しているのだそうだ。

もし、「B」なら小学校中・高学年、「C」なら小学校高学年・中学向けというわけだ。

60代の後半になって30年以上前の児童書を読むのも、意外と悪くない。

文字は大きめだし、理解しやすいし。

さらに言えば、想像力を使って読むから、なかなか楽しい。

まともに考えれば、動物たちが人間の言葉をしゃべったり、宇宙人が日本語を使えたりするわけがない。

でも、その壁を乗り越えて読むと、作者が子どもたちに託したい夢が伝わってきたり、読み手として優しい気持ちになれたりするのがいい。

 

そんなわけで、最近は、少し古くなった児童書ばかり読んでいる私であります

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子どもにも大人にも勧めたい 「こども六法」(山崎聡一郎著;弘文堂)

2024-09-25 21:04:04 | 読む

これ、子ども向けにいい本だな、そう思った。

その本の名前を「こども六法」という。

 

著者の山崎聡一郎氏は、いじめや虐待に悩む子どもたちが「法律を知ることで自分を強くする」ことができるようにと願い、この本を作ったといっている。

著者自身が、小学校の高学年でひどいいじめにあい悩んでいた時、授業で「日本国憲法」に「人権」というものがあると知ったという。

その後、中学の図書館で読んだ六法全書の「刑法」を読み、「もっと前から知っておきたかった。知らないから自分で自分を守れなかった」と後悔したのだそうだ。

 

前書きでは、子どもたち向けにこう書いている。 

 この本では、たくさんある法律の中で、子どもたちにも関係のある法律、知っておいた方がよい法律をピックアップしました。ただ、法律は、ふだん聞きなれない難しい言葉で書かれています。そこで、その法律の文章を小学校高学年以上の人が読めるように、なるべくふだん使っている言葉に近づけました。

 この本の使い方はあなたの自由です。この本を書いたわたしとしては、すみずみまで読み込んでほしいところですが、おすすめの読み方は、まず10分くらいでパラパラと読み通すことです。そして、「おもしろいな」と思った部分をじっくり読む。または…(中略)。

 この本で身につけた知識は、いざというときに、きっとあなたのことを助けてくれるでしょう。

 

そういうなら、とパラパラとめくって読んでみた。

すぐさま、結構引き付けられて、読み進んでいった。

 

左側には、子ども向けに分かりやすいテーマが書いてある。

例えば、このページ。

気軽に『死ね』って言ってない?」と書いてあり、その下にはわざと動物にして問題場面を絵で表している。

そして、その下に、具体的な法律を載せる。ここでは、

第202条 自殺関与及び同意殺人

人に死ぬことをすすめたり、手伝ったりして自殺させた人、

または本人に頼まれたり、殺してもいいと同意を得たりし

て殺した人は、6か月以上7年以下の懲役か禁錮とします。

 

そして右ページには、それに関係した内容を載せている。

例えば、「199条 殺人」とか「204条 傷害」とか「205条 傷害致死」などの罪の内容とそれに伴う罰則が、子どもにもわかりやすいように具体的に述べられている。

 

次のページには、「ケガをさせなくても暴行になるよ」として、

第208条 暴行」を扱っているが、関連した内容で「206条 現場助勢」「207条 同時傷害の特例」「209条 過失傷害」「210条 過失致死」「211条 業務上過失致死傷等」などが並んでいる。

子どもに分かりやすいということは、大人も納得できる表現内容だ。

難しい表現でないので、大人がきちんと読んで理解しておくということも大事なことだよな、と思って、次々読んでいった私であった。

 

なお、「六法」というタイトルなのだが、本書では子ども向けに刑法・刑事訴訟法・少年法・民法・民事訴訟法・憲法・いじめ防止対策推進法の7つの法律が紹介されている。

困っている子どもを法律で助ける本、ということでの選択となったようだ。

 

大人もよく知らない法律の世界。

子どもではなくても、大人が読んで知っておくべき内容が多い本であった。

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「西遊記(1)おれは不死身の孫悟空」(作・呉承恩、文・吉本直志郎;ポプラ社文庫)

2024-09-17 20:06:45 | 読む

学校が 好き 好き 好き

勉強が 好き 好き

おそうじ 好き 好き 好き

留守番 好き 好き

そんなやつが 悟空の大冒険をいっぺん見たら

びっくりして ひっくりかえってドイン…(以下略)

 

小学生の頃、「悟空の大冒険」というアニメがテレビ放送されていた。

「鉄腕アトム」の後番組だったから、それなりに楽しんでよく見た覚えがある。

タイトルから、それは「西遊記」のアレンジ版だということが分かる。

冒頭の歌詞は、エンディングに流れていた歌。

自分でもまだ覚えていて歌えることに驚いてしまう。

子どもの頃のすり込みは強いものだね。

 

「西遊記」の歌といえば、そんなアニメのエンディングよりも、これだろうという人が多いだろう。

Godiegoが歌った「ガンダーラ」だ。

私がまだ学生だった時代のヒット曲。

この歌のヒットによって、「ゴダイゴ」の名前が知られるようになった。

それは、テレビドラマ「西遊記」の主題歌だったのだが、ドラマも歌も両方ともヒットしたのだった。

なにしろ、登場人物を演じた俳優陣が個性的だった。

主役の孫悟空が堺正章、三蔵法師が女優の夏目雅子、そのお付きの者に猪八戒が西田敏行、

沙悟浄が岸部シローだった。

ほかにも、観世音菩薩が勝呂誉、釈迦如来は高峰三枝子、太宗皇帝が中村敦夫と、不思議な顔ぶれでもあった。

それが当たっていたのも、人気の秘密だろう。

ただ、いくら俳優陣が豪華でも、内容が面白くなければ,ウケなかっただろう。

やっぱりもともとの原作、「西遊記」が面白くなければ、「悟空の大冒険」もこのドラマ「西遊記」も人気作品にはならなかったと思う。

 

このたび、小学校時代に読んだ「西遊記」を久々に読んでみた。

今、アラフォーとなった娘が、いろいろと片付けをしているのだが、子ども時代の本も片付けている。

その中の1冊に、本書「西遊記(1)」があった。

児童向けの本として、ポプラ社文庫で出ていた。

今はもう廃本だろうけれど…。

そうだったなあ。現職時代は、ポプラ社文庫の本を学級の児童向けに面白そうな本を次々と買って教室に置いておいたのだったなあ、などと思い出した。

「西遊記」かあ…と思ったら、ここまで書いてきたように、「悟空の大冒険」やドラマ「西遊記」のことを思い出した。

どんな話があるのか、少し思い出してみたくなった。

「西遊記」なんて読むのは、子どものとき以来だなあ…と思いながら、児童書なので比較的短い時間で読み終えることができた。

なかなか突拍子のない話ばかり出てくるので、想像力や創造力がないと、話についていけなくなる。

そのようなソウゾウ力(想像力・創造力)があれば、ワクワクドキドキしながら楽しく読めるんだなあ。

それが「西遊記」という話なのだということを再確認した。

 

家に置いてあったのは第1巻だけであったので、続きはなく、この読書はおしまいにする。

でも、西遊記には心おどる楽しさがあることを、もう一度確かめた思いだよ。

手塚アニメから、ゴダイゴ、夏目雅子まで思い出しながら、ね。

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「人は見た目が9割」(竹内一郎著;新潮新書)は、日本文化論の佳作

2024-08-23 19:51:50 | 読む

2005年に出た本、もうそんなに前になってしまう本だったか。

当時は、書名の「見た目が9割」というフレーズと、帯の「理屈はルックスに勝てない」を見ただけで、読む気は失せていた。

「見た目がよければいい」なんて容姿の話なんだろうか、興味ないなあ、と思っていた。

 

今回、本書を手に取る機会があって、読んでみた。

外見や容姿の話かと思ったら全然違っていた。

コミュニケーションの話だった。

特に、日本人独特のコミュニケーションに関するものだったので、私には非常に興味があった。

筆者は、言葉以外の情報すべてをひっくるめて、「見た目」と捉えて論を展開していた。

著者が最初に主張していたのは、「言語以外の伝達」にもっと目を向けるべきだということだった。

それは、話の内容より、誰が言ったかの方が、説得力に違いがあったりするからだ。

だから、「話し方」を勉強するより、一生使える「見栄え」を身につけた方が得、と主張する。

その、言葉によらないコミュニケーションを「非言語(ノン・バーバル)コミュニケーション」と呼び、そのコミュニケーション力を高めようというわけだ。

 

筆者は、マンガ家でもあり、演劇にもかかわっている。

それらの経験から、心理学、社会学からマンガ、演劇など、様々な知識を駆使して、日本人のための「非言語コミュニケーション」を説いている。

 

つま先の向きが、相手の方を向いていれば関心を持ってくれている証拠。

あさっての方向を向けば、興味がないということ。

言葉で嘘をつくのは簡単だけど、その行動や仕草で本心が分かる。

また、髭をはやしたりサングラスをかけたりするのは、自信がない証拠とも言っている。こういう具体例が多いのは説得力がある。

 

本書の中には、マンガにおける表現の効果的な技法についても、イラストを交えながら述べているのが面白い。

マンガの表現技法を飛躍的に発展させたのは手塚治虫、大友克洋、水木しげる、白土三平らとしてその手法を紹介したり、人物の内面を背景で表現するために、スクリーントーンを使ったりしていることを具体的に示している。

なるほど、日本のマンガのレベルが高いわけだ。

 

後半には、日本人のノンバーバル・コミュニケーションの大切さを述べているが、そこはまぎれもなく日本人論・日本文化論になっていて、興味深かった。

私の大学で書いた卒論は、「日本語と日本文化」に関するものだったから、重なる部分があって、懐かしく思い起こしながら読んでいた。

特に、文化人類学者の石田栄一郎氏の説が紹介された辺りはそうだった。

懐かしいな、氏の「日本文化論」読んで、参考にしたのは。

狩猟採集の文化から、弥生式農耕文化で定住するようになった時代から、日本人には語らずに察する文化が形成されていったというのだったなあ、などと思い起こしていた。

そんな日本人の文化の特徴として、筆者は、

「語らぬ」文化、「わからせぬ」文化、「いたわる」文化、「ひかえる」文化、「修める」文化、「ささやかな」文化、「流れる」文化

などを挙げ、日本人は無口な中でおしゃべり、つまりいろいろな伝え方をしているのだと説いている。

やんわりとした伝達の表現例に、京都にはぶぶ漬けを出して「そろそろお引き取りを」というサインを表す習慣もあるとしている。

 

コミュニケーションと言えば、言語によるものと考えがちだが、日本では単に弁舌が立つ人がコミュニケーション力が高いとは言われない。

幅広いノンバーバルコミュニケーションを操れる人ほど、コミュニケーション力が高いと言えるのだ。

日本人の表現力、日本人らしい表現力、日本の中で生きていくための表現力、そういうものがあることを再認識した。

20年近く前に出た本だったが、売れた理由がある、日本文化論の佳作。

意外と面白い1冊だった。

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「教師が教えない人になれる時間」(青木善治著;東洋館出版社)を読む

2024-08-04 22:17:58 | 読む

「教師が教えない人になれる時間」。

教育の専門書なのに、書名からして面白い。

「教師」という言葉には、「教える人」の意味がある。

その「教師」が「教えない人」になれる、とはどういう意味?

教えることをサボって得しようということか?

…なんて考える人がいてもおかしくはないだろう。

 

でも、その意味が分かる人は分かるはずだ。

意味が分かる教師は、きっと心ある教師だろうと思う。

ちなみに、帯には次のような方におすすめと書いてある。

 

本書は、表紙に「15分間の『朝鑑賞』が子どもの自己肯定感を育む」とある。

どういうことかというと、月に1,2度でいいから、15分間の朝学習の時間に、学級で美術作品を鑑賞することによって、子どもたちの力も、教師の力もつけていこうということなのだ。

そのために、「対話型鑑賞」の実施と、教師がファシリテーターに徹するということが求められる。

 

子どもたちの表現力や思考力は、教師が教え込んでも育つものではない。

では、教師にどのような配慮や役割が求められるのか。

その大切なものが、本書の実践の中に見ることができる。

 

著者の青木善治氏は、現在滋賀大学大学院教育学研究科高度教職実践専攻(教職大学院)教授である。

その前には、校長など新潟県の公立小学校の経験もある方である。

私も、かつて十数年前に一緒に勤めた経験がある。

物腰も頭脳も柔らかさを感じさせる人だった。

図画工作や美術を専門としていたが、当時よく実践論文などを書いていた方であった。

そのせいか、本書はかたい内容ではなく読みやすく分かりやすいのは、いかにも氏らしい。

「質問を投げかけてから、10秒は待つ」

「否定する言葉を使わない」

「オウム返しや言い換えをする(『〇〇ということですね』など)」

「事実と意見を分ける」

など、教師が「教えない人になる」ために大事なポイントが具体的である。

 

朝の短い時間の実践によって、

子どもたちに自分の思いを自由に表現する力をつける

みとめ合う力をつける

自己肯定感をつける

などができるということ。

そして何より教師の「子どもを支える力」「子どもの力を引き出す力」が育つことが期待できる。

すでに現職から離れて遠くなってしまったが、読みやすくいい本だと思った。

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