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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「ウメ子」(阿川佐和子著;小学館)を読む

2025-07-19 18:03:19 | 読む

タイトルだけ見たら、津田梅子と関係があるのかな?と思った。

 

見つけたのは、図書館ではなく、わが家の書棚。

昔われわれ夫婦が若かりし時代に買ってもらった書棚があるのだが、ここ20年余りしばらく立ち入れなかった部屋に置いてあった。

その部屋は、息子の部屋だったのであり、足の踏み場もない、恐ろしくモノであふれた部屋になっていたのだった。

息子が家を出ていって、ようやくこの部屋の片付けも済んで、書棚から本を取り出すこともできるようになった。

その中に納まっていた1冊が、この「ウメ子」。

 

取り出してみると、1999年の出版。

どうやらこどもの話のようだったが、まあ読んでみようと思った。

なぜかというと、著者名が「阿川佐和子」と書いてあったから。

阿川佐和子が書いた本といえば、だいぶ前になるが、「聞く力」という新書がベストセラーになったことを覚えている。

だけど、こんな小説を書いていたことは知らなかった。

 

あとで調べてみたら、本書は、「ン年前の子ども時代を舞台にした、著者初の長編小説」ということだった。

そうか、津田梅子とは関係なしだったか。

 

主人公は、幼稚園児のみよちゃん。

その子が通う幼稚園に「ウメ子」という子が転入してきてからのお話。

ウメ子は変わっていて、ふつうの子とちがう。

初めて会った日から、みよはずっとそう思ってきたが、その天真爛漫なウメ子の魅力と行動力に引き込まれながら、やがて二人は友だちになる。

行方不明だったウメ子の父さんの居場所が分かって、二人で家出をして会いに行ったりサーカスを体験したりもする。

みよちゃんと仲がよい兄は、ウメ子とも仲良しになる。

3人で行動したりもするが、こどもらしさはあるものの、ちょっと行動力や思考力が大人っぽ過ぎて、とても3人が幼稚園児だとは思えなかった。

だけど、離れて住むウメ子のお父さんとお母さんを仲直りさせようと考えるのは、こどもらしくて健気で愛らしい。

 

この話は、著者の原体験も混じっているらしい。

幼稚園時代の話だから4歳ぐらいのこどもの感性が所々にうかがえるのがいい。

一生懸命考えていても、無邪気な思考でしかない様子に、自分の園児時代や小学校時代を思い出した。

この、阿川佐和子氏初の長編小説は、坪田譲治文学賞受賞作品となったとのこと。

 

ずいぶん前の1999年の作品だったが、その3年後には文庫化されていた

だが、文庫本の表紙は、ちょっと違和感があった。

単行本の時の表紙は、「ジャングルジム」や「ロビンフッド」などウメ子を連想させるものだったけど、文庫本の絵は、「一輪車の女の子を見るこども3人」。

一輪車というと、なんだか昭和ではなく現代という感じがする。

そして、一輪車の女の子がウメ子だとしても、見ているのはみよと兄の2人だけのはずだから、ちょっと合わないかな、と思った。

 

まあ、それはいいとして、園児の頃を思い出したから、結構楽しくサラッと読めたのだよ。

 

 

なお、当ブログ「ON MY WAY」は、次のところに引っ越し作業を終えました。

https://s50foxonmyway.hatenablog.com/

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「世界の美しさを思い知れ」(額賀澪著;双葉社)を読んで

2025-07-11 17:54:14 | 読む

額賀澪氏の作品は、「タスキメシ」のシリーズなどで読んでいた。

だけど、額賀氏の作品だから、この本を読んでみようと思ったわけではなかった。

タイトル名だって、命令形のような「思い知れ」だなんて、強い言葉は好きではない。

おまけに、この表紙のどくろの絵、なんかおぞましい。

ただ、額賀氏の作品は、「タスキメシ」のシリーズや「競歩王」と、今まで青春スポーツ小説しか読んだことがなかったので、ちょっと気になって手に取ってみたのだった。

 

ページをめくってみると、目次で章分けされた最初が、「第1章 礼文島」だった。

そこは、14年も前になるが、行ったことがある。

花の美しい、北の離島だ。

だけど、第2章以降のマルタ島、台中、ロンドン、ニューヨーク、ラパス。

それらは、一度も訪ねたことがない。

礼文島と他の地がどう関係してくるのだろうか?

それを知りたくなって、借りてみることにした。

 

主人公の蓮見貴斗は、一卵性双生児。

有望な若手俳優として将来を期待されていた弟の尚斗が、ある日突然自殺してしまった。

貴斗は、尚斗の自殺の理由が分からず、戸惑う。

突然身内を失った人は、なぜ助けてあげられなかったのかと自分を責めることも多い。

貴斗もそうだった。

悲嘆に暮れる貴斗は、弟尚斗のスマホを見つけていじっていると、双子ゆえ顔認証を突破してしまう。

そこに届いたのが、弟が行くはずだった、礼文島旅行の出発確認メールだった。

礼文島を訪れた貴斗は、その後、弟が訪れたマルタ島、台中、ロンドンを訪ねる旅をすることになる。

こんな展開を見て、弟が死を選んだ理由がどこかで明かされるのかと思っていたが、そうではなかった。

弟がかかわっていた人間関係が貴斗にも降りかかってくる。

それは、ニューヨークで山場を迎える。

でも、そこが貴斗にとって一つの区切りとなるのだった。

 

この作品の終わり方は、二重に面白い。

映画のエンドロールの手法で、この話がめでたく終わったのかと思わせる。

この工夫だけでも十分面白い。

だが、さらに2ページ追加されるが、その内容がこの作品の終わりにふさわしい。

本小説の最初は2022年6月2日(おそらく2023年というのは誤植だろう)の尚斗の訃報から始まるのだが、終わりの2ページの部分では、数十年後の貴斗の訃報を扱っている。

そこの奥さんの年齢やコメント、息子の名前だけでも「なるほど」と思わせる。

なのに、貴斗の訃報を扱った記者の名前が、尚斗と貴斗を混ぜた名前の「NAOTAKA」だし、苗字も「TSUJI」である。

…ということは、作品に登場した人物と深いかかわりがある、と確信させる。

なんとも濃い終わり方だった。

 

若手有望俳優の突然の死と言えば、5年前に急逝した三浦春馬氏を連想するし、アフガニスタンでの死といえば、中村哲氏を思わせる。

そして、SNSやスマホについても、とてもうまく扱っていると、感心した。

ただ、作品名については、読後の今も少し違和感が残ってはいる。

 

まあ、それはおいておくとして、私にとっては最近読んだ小説の中で、かなり気に入った作品になった。

額賀作品は、「タスキメシ」シリーズや「競歩王」も面白かったが、生死を扱っているのに、本書はそれらよりも読後感がさわやかであった。

そのうち、本作のようにスポーツを扱っていない、また違う作品を読んでみたいと思った。

 

 

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「さくら花店 毒物図鑑」・「さくら花店 毒物図鑑 夏の悪夢」(宮野美嘉著;小学館文庫)を読む

2025-07-04 20:46:00 | 読む

花屋が小説の舞台で、「植物図鑑」の題名なら、植物にまつわるいい話がいろいろとありそうだ、と思う。

ところが、本書は、「さくら花店 毒物図鑑」という。

えっ?「毒物図鑑」!?

そんなふうに聞けば、ふつうは、スズランとかスイセンとかトリカブトなど毒性のある植物などを連想したのだけれど。

ページをめくると、章ごとに紫陽花、枇杷、待雪草の名がついている話だった。

あら、ちょっと違うんだねえ。

 

本書の裏表紙の紹介文には、次のようなことが書いてあった。

 

住宅街にある「さくら花店」を訪れるのは、心に深い悩みを抱える客ばかり。それは植物たちが、傷ついた人の心を癒そうとして彼らを呼び寄せているから。

そんな不思議な花店を切り盛りするのは、植物の声を聞くことができる、佐倉雪乃。悲しい人々を救おうとする花の願いを受けて、その手助けをするのが雪乃の仕事だ。

雪乃は客にそっと微笑む。「花は病んだ人を呼ぶんです。あなたは花にいやされるためにここへ来たんですよ―」。

店主の雪乃と人嫌いでぶっきらぼうな樹木医の夫、将吾郎。風変わりな夫婦の日常と、植物にまつわる事件を描く、優しくて怖い花物語。

 

なんか面白そう、と思い、本書を借りた。

 

植物と会話ができる主人公、というのがまずありえないことなのだけど、それができる花店店主という設定は面白い。

店を訪れる人が、花を買い求めるだけでなく、トラブルを持ち込んだりする。

雪乃は、花の声を聞きながら手を差し伸べ、手助けをしたりトラブルの解決に尽力したりする。

持ち込まれるトラブルは、世の中にありそうな人間関係のもつれあり、どんでん返しあり。

植物ではなく、人間のいろいろな毒が散りばめられてるイメージだった。

なるほど、だから「毒物図鑑」なんだなと思った。

 

そして、その花店の店主雪乃の夫が樹木医だというのもいい組み合わせだと思うが、その夫将吾郎に植物との会話能力はなく、実にぶっきらぼう。

話す広島弁がそのぶっきらぼうさを際立たせる。

でも、二人がぶつかり合いながらも好感のもてる関係を築いていて、ぶっきらぼうな夫が雪乃を助けているのがいい。

本小説は、連作短編で成っていて、その二人がなぜ夫婦になったのか、なども織り込みながら、章ごとに話は完結しながら進んでいく。

雪乃同様に植物と話ができる10代の少年ヒロが登場し、次の章から花店に住み込みで働くことになり、以降の話にふくらみや変化が生まれてもいる。

 

花を愛し、花の言葉を信じる主人公の活躍。

「私の世話する花たちは、全身全霊であなたを癒します」

「世界の全てがあなたの敵に回っても、花だけはあなたの味方です」

いいこと言うじゃないか。

 

続編があってもいいなと思ったら、ちゃんとあった。

それが、「さくら花店 毒物図鑑 夏の悪夢」。

こちらも借りて読んだ。

私には、2冊とも結構面白く読めたが、この後の3冊目の続編はないみたいでザンネン。

 

植物は、大体は陽の光を浴びてぐんぐん成長し、美しい花を咲かせる。

それに引き換え、人間の方は暗い部分をもち、様々な問題を起こす。

そんなところがあるとしても、おろかであっても、それが人間。

人間はいろいろしでかすが、それゆえ好きだということを、著者の宮野美嘉氏は描きたかったのかもしれないな。

 

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「海に向かう足あと」(朽木祥著;角川書店)を読む

2025-06-28 20:50:39 | 読む

図書館に並べられた本の1冊。

なんとなく手に取ってみた。

表紙をめくると、新刊本の時の帯が切り取られて貼ってあった。

そこに書かれていた本書の紹介文。

 

「未来」は、永遠ではない。

児童文学で数々の賞に輝く著者による初のディストピア小説。

 

村雲佑らヨットクルーは、念願の新艇を手に入れ外洋ヨットレースへの参加を揚々と決める。レース開催の懸念は、きな臭い国際情勢だけだった。クルーの諸橋は物理学が専門で、政府のあるプロジェクトに加わり多忙を極めていた。村雲たちは、スタート地点の島で諸橋や家族の合流を待つが、ついに現れず連絡も取れなくなる。SNSに〝ある情報“が流れた後、すべての通信が沈黙して……。いったい、世界で何が起きているのか? 

 

被爆二世の著者が「今の世界」に問う、

心に迫る、切ないディストピア小説。

 

「ディストピア小説」という今まで聞いたことのない小説のジャンルだと思い、読んでみることにした。

 

本書は、プロローグとエピローグを除けば、「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」「Ⅳ」の4章で構成されていた。

途中までは、6人のヨットクルーたちの生活が、穏やかに展開する。

そして、その中に、時折不穏な世界情勢のことが登場したりもしていた。

最初は、ヨットの魅力に取りつかれた6人の男たちの、三浦半島付近でのヨットを囲む生活の紹介だった。

和やかな会話がよく展開されていた。

やがて、6人がヨットレースに挑戦するということになり、ヨットクルーの面々だけでなく、彼らの家族や付き合いのある人たちの生活や考えなども描かれていく。

個人個人で事情は違うが、ごく当たり前の日常生活が展開されていた。

 

それが、「Ⅳ」章で、ヨットレース直前になって、すべてがひっくり返される。

レース出発地の小笠原諸島近い小島で、残りの仲間や家族らの到着を待っていると突然、東京をはじめとした各都市で、世界規模で核攻撃が始まる。

東京壊滅―。

 

ヨットやレースのことが細かく書かれていただけに、突然のストーリーの展開には驚いた。

それまで、とても丁寧に登場人物の日常を描いていただけに、唐突感は免れない。

だが、それだけ、世界が一瞬にして滅ぶ危険性もあるということを示唆しているのだろう。

今ある何気ない日常が、突然なくなり、破滅する。

ここ最近の、ウクライナや中東などの世界情勢と絡み合って、単純に小説の中のできごととは考えられない怖さを感じた。

 

こういう話を書いた著者の朽木氏は、広島市生まれの被爆二世だとのこと。

本書が出版されたのは2017年のことだが、このフィクションが、8年たった今、現実味を帯びようとしているようで恐ろしい。

 

「海に向かう足あと」とは、本書の中で出てきた詩に書かれていた言葉だ。

 

こんなに魅力があるのに、島には誰も住んでいない

    砂浜に散らばるかすかな足あとは

     一つ残らず海に向かっている

 

     まるで、ここから立ち去って

       二度と帰らぬために深みのなかに沈むかのよう

 

   底知れぬ生の深みのなかに沈むかのよう

 

                         「ユートピア」より

                          W・シンボルスカ

 

何かを暗示しているから、この詩が使われているのだろう。

「底知れぬ生の深みのなかに沈む」とは…?

足あとが海に向かうのは、生きるため?死ぬため?

 

「ディストピア」。

あってはいけない社会、

あってはいけない世界と知る…。

 

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「マイナーノートで」(上野千鶴子著;NHK出版)

2025-06-18 21:58:42 | 読む

いつの頃からなのか定かではないが、上野千鶴子氏の存在というか、言動・表現したものについては気になるようになっていた。

実際の著作物は、そんなに多くは読んでいないが、氏は社会学者、女性学者として名を知られた方であるのは言うまでもない。

私、実は大学時代の所属が、社会学科だった。

だから、社会学は、ちょっぴりかじっているところがある。

社会学者というけど、どんなことを研究しているのかな、どんなことを主張しているのかな。と気になるところがあるのだ。

著書や新聞などに掲載された文章を読むと、主張のしっかりした、強い女性学者だなあ、と思っていた。

それは、きっと以前「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」(遥洋子)という本を買って読んだことがあったことも、その思いを強くした理由の一つなのだろうな、きっと。

 

この方には、どのような生い立ちがあったのだろう。

だいぶ高齢となってきたが、今どのようなことを思って生きているのだろう。

 

最新のエッセイ集ということなので手に取ったが、パラパラとめくるとそれらの疑問に応えてくれる本かもしれないと思い、読んでみることにした。

 

きっと、小さい頃から自分の意思をしっかりもって生きてきた方なのだろうと思っていたら、そういうわけではなかった。

医者だった父の言うことは、おおむね好きではなかった。

学校は大嫌いだった。

大学には行ったが、大卒の女性には就職先がないから大学院に行き、そうこうしているうちに、運よく東京大学の教員になれた。

そんなふうに書いてあったので、いささかびっくりした。

舌鋒鋭いという感じのある上野氏だから、きっと若い頃から、目指すものをしっかり持って生きてきたのだろうな、と考えていた私は、すっかり裏切られた気もした。

でも、逆にそんなところは自分と共通するところを感じ、今まで持てなかった親しみを感じたのであった。

 

ただ、やはり違うなあ、と思うのは、何をするにしてもしないにしても、自分の考えをしっかり持っているということだ。

凡人なら深い考えもなく長いものには巻かれてしまうところだが、氏はそうではない。

本書には、趣味や嗜好に関すること、旅で大事にすることなど、芯の通った考えを持っているのだと感心した。

大学では、ワンゲル部で数少ない女性部員だったとは驚きである。

 

本書の後半では、後期高齢者となり、転倒して骨折するという体験を経て、自分が弱ってきていることを自覚している。

そして、最終章は、それまでに深い付き合いや影響された方々の訃報に接しての追悼の文章が並ぶ。

それらを読むにつけても、上野氏の人生にたくさんの人がかかわっていて、それがとても濃いものであったと思わせる。

そんな意味でも、親が死んでから悔いを残したことをあげながら、次のようなことを書いた文章に、私は引きつけられた。

 

死ぬときに後悔したくないこと……それは赦せる相手を赦し、赦されないかもしれない相手から赦されるという経験を通過しておくことだ。もちろん感謝すべき相手にはきちんと感謝しておきたいが、それだけでなく、赦し赦される関係を、それぞれの相手と結び直しておきたい。

 それはきっと、自分の人生と和解しておくことと同じだと思う。なぜならば、人生とは他人との関わりがつくるものだからだ。生きてくればよいことばかりではないが、最後に生きててよかった、と思えるために、私の人生に立ち入ってきたひとたち、そしてわたしの未熟さのために傷つけたり、行き違いからねじれた関係に至った相手を、赦し、赦されたい。

高齢となった自分の人生の終わりを考えるときがある。

後悔したくないから、遺恨を残さないために、赦し赦される関係の結び直しが大事だということだ。

 

そのほか、いわさきちひろのことばも引用している部分があった。

大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。

前にこの言葉に出合って、なるほどと思ったこともあったなあ…。

エッセイのいろいろな文章から、うなずける部分も多く、そうでない部分も説得力があり、やはりただもの、ただの学者ではない方だと、改めて思った。

 

人生の終盤に来ている上野氏の文章を読みながら、氏は人生のすぐ先を行って経験している「先輩」だという感じにもなった。

氏が幼い時から大学院を出るまでの世相は、私らと大差ないし、今は10年くらい先の人生を紹介してくれているような…。

ただし、もちろん、氏のような深い考えはないが…。、

 

ちなみに、「マイナーノートで」の「マイナーノート」は音楽の「短調」のこと。

書名がそうだから、章立ての言葉も、

「Ⅰ 通奏低音」「Ⅱ インテルメッツォ」「Ⅲ リタルダンド」「Ⅳ 夜想曲」と音楽用語が並んでいる。

そんなところも、しゃれていて素敵なエッセイ集だと思った。

やはり非凡な感覚の持ち主だと感じた一冊だった。

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2023年「このミステリーがすごい!」大賞受賞作品、「名探偵のままでいて」(小西マサテル著;宝島社)を読む

2025-06-14 19:45:15 | 読む

2023年「このミステリーがすごい!」大賞受賞作品だというのがわかって、借りてきた本書。

 

元小学校校長の祖父と現小学校の先生の孫娘・楓。

楓の両親がすでにこの世にいない中で、ミステリー好きな二人の関係には温かさを感じる。

だが、71歳の祖父は、レビー小体型認知症という認知症を患っている。

その認知症は、幻視まで伴う重いものなのだが、症状が現れない時には、祖父は楓の持ち込む話に耳を傾ける。

そして、切れ味鋭い推理を展開し、楓の周辺で起こった事件の真相をあばく。

 

認知症の名探偵、ということで、その設定が面白い。

楓からの話を聞いたあとの祖父は、

「楓としては、どんな物語を紡ぐかね」

と決めゼリフを言う。

楓の意見を聞いた後にも決めゼリフがある。

「楓。煙草を一本くれないか。」

そこで吸う煙草の銘柄が、「ゴロワーズ」なのだ。

私は火のついた煙草は吸ったことがないが、「ゴロワーズ」の名前は知っている。

「我が良き友よ」の大ヒットを飛ばしたかまやつひろしが歌った歌に、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」というのがあったのだ。

当時出されたシングルレコードが今でも家にあるが、A面が「我が良き友よ」で、B面が「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だったから、なんと懐かしい。

もっとも、この祖父が71歳という設定だから、私らとそんなに齢が違わないことになるのだから、好みの煙草をこれにするなんて、ちょっと小粋な感じだった。

 

話は、連作の短編でできている。

その話の一つ一つに謎があり、それを祖父は鋭い推理で解き明かす。

しかも、毎回、その推理には一度納得できるものが披露されるが、その後さらにもうひとひねりした深い推理が披露される。

そこも、面白さの一つだ。

 

面白いと言えば、毎回孫娘楓の話を聞いてベッドで謎を解決する祖父が、解決後一転して幻視を見たりぶつぶつつぶやくようになったりになってしまうのは、面白くもあるが、哀しくもある。

けれど、反面それゆえに本書のタイトルが「名探偵のままでいて」になったのが分かる。

 

本作について、作者の小西マサテル氏は、このようなコメントを出している。

ミステリーを書くというのは少年期からの夢だったのですが、本作を執筆する直接的なきっかけは、長らくレビー小体型認知症を患っていた父の存在でした。

5年以上に及び妻と共に介護を続けるうち、世間にこの認知症への誤解があまねく広がっていることに気がつきました。この病気への理解を深めたい、せめて興味を持ってもらいたい──そう強く思ったうえでのアプローチのかたちが、私にとってはミステリーでした。

自分の場合は亡父への想いをこの作品に仮託していて、どうしてもこの作品でデビューしたいという強いこだわりがありました。それだけに今回の大賞受賞は、望外の喜びではありますが、本懐を遂げたという気持ちもあります。本作の主人公、楓と同じく、自分も一人っ子です。でも幼い頃から、そばには常にミステリーという“兄弟”がいました。今後もさまざまな兄弟たちを自分の手で生み出すことができれば、などと思っています。

そうか、やはり自身の体験が根底にあったのだな。

 

私にとっては、とても面白いミステリーだった。

小西氏は、ミステリーマニアなのだな。

たくさんのミステリーを読んでいることが、本書中に紹介される海外の古典的ミステリー作品名の多さから伝わってきた。

だから、ひねりを加えられるのだなと感じた。

 

さて、本作品は短編の連作で、登場する人物たちの関係が維持されながら、深まりも見せていく。

楓にかかわる2人の男性との恋愛話も変化しながら進んでいく。

本編の最終話では、それについては決着がついていないというか、方向が定まっていないから、続編があれば読みたいなと思った。

 

すると、ちゃんと続編も出ていた。

さっそく借りてきた。

今度は、「名探偵じゃなくても」だ。

これから、また認知症探偵の活躍を1冊読めると思うと、楽しいな。

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「別冊太陽 やなせたかし アンパンマンを生んだ愛と勇気の物語」(平凡社)を読む

2025-06-09 21:10:43 | 読む

NHKの朝ドラ、今回は、「あんぱん」。

主役は、「アンパンマン」の作者、やなせたかし氏の妻ノブさんをもとにしている。

最近の朝ドラでは、実在の偉人というか有名人の人生やそれに寄り添った妻を主人公にして作っているものが多い。

テレビを見ているわれわれは、どうしても「へえ~、そんなことがあったのか」と思いながら見てしまう。

そうなると、朝ドラで描かれていることがすべて真実なような気がしてくるのだ。

だけどね、しょせんドラマなんだよ。

だから、フィクションの部分が結構多いはずなのだ。

それなのに、ドラマのストーリーがすべて正しいと思い込むのはよくないよな、なんて思ってしまう。

やなせたかし氏の人生を曲解してしまうのはいやだ。

朝ドラは見るけれど、やなせたかし氏の実人生は知っておきたい。

 

そんなことを思っていたところに、図書館の新着本のコーナーにこの本を見つけた。

「別冊太陽 やなせたかし アンパンマンを生んだ愛と勇気の物語」(平凡社)。

「別冊太陽」か。

最近本屋が激減したこともあって、本屋に行く機会が減ったけど、以前よく言っていた頃には、特定の芸術家や建造物、文化など絞ったテーマで出版されていた特集誌だった。

写真が多いから定価が結構高くて、購入に躊躇することも多かった。

でも、まだ定期的に発行されていたのだな。

久しぶりに目にしたなあ。

それはともかく、脚色されていないやなせたかし氏を知りたい、と思って借りてきた。

 

私自身の思いを知るように、「目次」をめくってみると、

「やなせたかしってどんな人だったんだろう」と書いてあり、その次が「評伝 やなせたかし」とあって、本書の前半ではたくさんの写真とともに、小さいころからのやなせたかし氏の人生を小分けして追っていた。

評伝 やなせたかし

1 父の死と母との別れ~高知での少年時代

2 東京高等工芸学校~田辺製薬~養父の死

3 戦地へ~敗戦・復員~弟の死

4 高知新聞時代~上京~三越デザイナー時代

5 多彩な仕事人として

6 「詩とメルヘン」の創刊

7 絵本「アンパンマン」とテレビアニメ

8 やなせたかし記念館オープン~晩年

 

そのほかに、コラムや関係のあった人たちの思い出話がいろいろ披露されていた。

「評伝」や「コラム」などを読んでいくことによって、やなせたかし氏の実像がかなり把握できた気がした。

以前読んだ本から、真面目に生きてきた、戦争がきらいな人、というイメージがあった。

 

「ぼくは戦争は大きらい」(やなせたかし著:小学館) - ON  MY  WAY

アンパンマンの作者であるやなせたかし氏が亡くなられてから、来月でちょうど10年になる。本書は、亡くなる年の2013年4月から6月にかけて行った、やなせ氏へのインタビュー...

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だが、本書を読んでだいぶ変わった。

自分がやりたいことをどんどんやっていく人だった。

自分だけでなく、周囲の人を楽しませることに喜びを感じる人だった。

だから、漫画家、絵本作家のほか、詩人、編集者、デザイナーなどとしても活躍できたのだ。

そういえば「手のひらを太陽に」の作詞は、やなせ氏だった。

三越デパートの包み紙の模様で、筆記体の文字「mitsukoshi」を書いたのは、デザイナーとしてのやなせ氏だった。

喜寿を迎えたときに、里中満智子と架空結婚式を挙げて、周囲の人々を驚かせたあと「冗談だよ」と暴露したりもした。

84歳で「ノスタル爺さん」というCDを出して歌手デビューして、「老いドル」を目指しもした。

そんなところから、やなせたかし氏は多才でありながら、自分だけでなく、とにかく周りの人を楽しませようとしていたことが伝わってきた。

そういえば、先日亡くなった長嶋茂雄氏も、周りの人を楽しませることを考えていた人だったっけ。

 

…とまあ、読みやすく、いろいろな正しいエピソードを知ることができた。

朝ドラ「あんぱん」見ていても、今後は、どこがフィクションか、何が真実かの見分けがつきそうだ。

朝ドラでは、主人公のノブさんとは幼なじみとなっているが、実際には会社で知り合ったのだと知った。

そのことは、大きな違いなのだけど、ドラマだからフィクションなのだと許容して、これからの朝ドラの進展を見て楽しんでいきたい。

「別冊太陽 やなせたかし アンパンマンを生んだ愛と勇気の物語」、時宜にかなったいい本だった。

 

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「絶景・ゆる鉄・バリ鉄 みんなの鉄道撮影地ガイド」(中井精也著;玄光社)を見て、読んで楽しむ

2025-06-02 20:12:16 | 読む

NHKBSで、「中井精也の絶景!てつたび」という番組がある。

鉄道写真家の中井精也氏が、日本全国を回って(いや東南アジア等を回った回もあったなあ)、鉄道風景を撮るのを見せる番組だ。

結構な巨体なのに、鉄道写真撮影に最適な場所を求めて、鉄道に乗ってどこへでも行く。冬などはカメラなどの入った大きな荷物を背負い、雪をこぐようにして丘や山の上に登ったりもするのだから、大変だろうと思う。

でも、よい写真が撮れたときには、本当にうれしそうに笑いながら「よい写真が撮れました」と言って紹介する笑顔は、とても可愛いといっていいほど無邪気だ。

そんな笑顔と、鉄道の絶景写真とを見るのが楽しい。

だから、うちでは、中井氏のことを「精也くん」と呼んでいる。

鉄道写真家というからには、番組内で撮影する写真には、必ず列車が入っている。

時には近くから、時には遠くから列車を入れてすばらしく素敵な写真を撮るのだ。

番組内では、鉄道写真講座のようにノウハウを教えてくれる時もある。

 

そんな精也くんの鉄道写真撮影のノウハウが詰まった本が、この「絶景・ゆる鉄・バリ鉄 みんなの鉄道撮影地ガイド」だ。

「絶景」は、美しい風景をメインにした写真と分かるが、じゃあ「ゆる鉄」「バリ鉄」って何?と思ったら、解説がついていた。

「ゆる鉄」は、見たらほっこりする鉄道写真のこと。

「バリ鉄」は、車両をメインにした写真のこと。

だそうだ。

 

「この本の見方」というページがあって、そこには紹介している路線の撮影ポイントの種別が「絶景」「ゆる鉄」「バリ鉄」のどれに当たるのかが示してある。

もちろん、使用レンズや絞り、シャッター速度ほかの撮影データも載せてある。

それだけでなく、読んでいても面白いのは、アクセスや撮影のしやすさなどが5段階で評価され、おすすめの時期も載っている。

この本を見ながら撮影すれば、精也くんと同じようなすばらしい写真が撮れるかもしれない、と思う人は多いだろうなあ。

 

だけど、写真撮影の専門家でなくシロウト写真家でも、いい写真を撮るために必要なアドバイスがいっぱい載っていて、読んでいても楽しい。

なにより、どのページにも精也くんの撮った傑作写真が載っているのだから、単純に写真集として見ているだけでも十分楽しめる。

 

北海道の宗谷本線から沖縄のモノレールまで、地域ごとにJRやら私鉄やら第3セクターやら区別なく、様々な鉄道路線の写真が載っている。

私は、単純に素晴らしい写真集として本書を見て、そしてそれに伴う文章を解説として読み、楽しんだ。

鉄道旅もしたくなったよ。

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「新潟県の廃線を歩く」(新潟日報事業社)を読み、自分の人生と重ねる

2025-05-29 18:02:18 | 読む

図書館で見つけたのは、「新潟県の廃線を歩く」(新潟日報事業社)という本だった。

出版されたのは2006年ということだから、もう19年も前のことになる。

古くなった本なので、おそらく今は絶版だろう。

でも、扱われていた廃線というのが、かつて「あった、あった」と思えるものばかりだったので、写真が多く、手にとって読んでみたくなった。

 

構成は、第1章が「廃線の旅」、第2章が「駅の旅」となっている。

書名にふさわしいのは、第1章だ。

登場した廃線は、赤谷線、新潟交通電鉄、蒲原鉄道、長岡鉄道、栃尾鉄道、魚沼鉄道、頚城鉄道、弥彦線の8線である。

 

○ 赤谷線 昭和59年廃止 新発田~東赤谷

○ 新潟交通電鉄 平成11年廃止 白山前~燕

○ 蒲原鉄道 平成11年廃止 五泉~加茂

○ 長岡鉄道 平成7年廃止 来迎寺~寺泊

○ 栃尾鉄道 昭和50年廃止 悠久山~栃尾

○ 魚沼鉄道 昭和59年廃止 西小千谷~来迎寺

○ 頚城鉄道 昭和46年廃止 新黒井~浦川原

○ 弥彦線 昭和60年一部廃止 越後長沢~東三条

 

それぞれの路線について、どのようにしてできたのか、鉄道が走っていたときはどうだったのか、駅などが今はどうなっているのか、などが書かれてあった。

そのほか、現在寄ってみたい場所や店などがピックアップして書かれてあった。

まあ、発行されてから20年近くたっているから、今はすでになくなっているものや金額が違うだろうな、というものも多くあった。

 

このなかで、私自身が乗ったことがあるのは、赤谷線である。

大学生の頃、「社会福祉概論」という講座をとっていたら、夏休みの課題として社会福祉の実習が求められた。

昭和52,53年の頃だろう。

当時の私は車の運転免許も持っていなかったから、この国鉄赤谷線に乗って、福祉施設の実習に数日間通った経験がある。

 

赤谷線は、鉱山から採れる鉄鉱石を運ぶ鉄道として開通したのだった。

高校時代、岩手県の釜石が全国1の産地だということと合わせて、この赤谷が全国3位の産出量だということを地理の先生から教わった。

もうその頃はあまり多くの産出ではなかったが、全国3位には驚いたものだった。

 

この赤谷線の跡は、途中までサイクリングロードとなっている。

以前は、よくこのサイクリングロードをランニングのコースとして使ったものだった。

数年前までは、個々を使って20kmくらい平気で走っていたものだったが、感染症の時代になったことや加齢から走る距離が減り、最近ではあまり遠くまで行くことがなくなっている。

それはともかくとして、このサイクリングコースは、自転車の人だけでなく、ランナーやウオーキングをしている人たちをよく見かける。

こうして廃線になったからこそ、今は走れるコースになっているということが、大きな時代の変化だと改めて思う。

 

赤谷線も他の路線も、だいたいは大正時代にそれぞれの地域で必要性が高まって、始まった鉄道路線であった。

赤谷線は鉄鉱石の運搬という目的があったが、他の廃線となった路線でも、人や資材や農産物などを運ぶために大きな重要性があった。

それが、今は車で、もっと自由にもっと早くもっと大量に運べる時代になってしまったから、鉄道の必要性が薄れたということだな、と思った。

その移り変わりを、自分が人生を生きている間に間違いなく見てきたのだなあ、という思いがわいてきた。

 

私が正式に採用されて社会人となって働いていた頃、車で新潟市内を通過して勤務地に行くとき、よく新潟交通電鉄の電車を横目に見たものだった。

私が目指した勤務地は、寺泊。

昔は長岡まで鉄道で行けたことを聞いて、本当かと思ったが、本書でそれを確認した。

勤務地が栃尾になったとき、同僚の先輩女性からは、「私が嫁入りしたときは、長岡から栃尾鉄道に乗ってきたのよ」という話を教えてもらった。

栃尾に勤めていた当時、三条と栃尾の行き来をするときには、車で弥彦線と並行して越後長沢方面まで走っていたことがあった。

そして、自分の子どもたちを車に乗せて遊びに出かけたときに、車の真横を蒲原鉄道の五泉―村松を走る列車としばらく並行して走っていたことがあったっけ…。

 

本書を読みながら、廃線路線と自分の人生と重ね合わせていた私であった。

 

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「がん闘病日記 お金よりずっと大切なこと」(森永卓郎著;三五館シンシャ)

2025-05-15 16:51:21 | 読む

森永卓郎氏。

今年の1月に亡くなって初めて、自分と生まれ年が同じだったことを知った。

政治や経済についての専門家だが、歯に衣着せないコメントを出していた印象があった。

だから強いイメージがあり、なんとなく敬遠していた。

図書館では、「健康」というジャンルの本が並ぶコーナーに、本書「がん闘病日記」はあった。

2024年7月1日初版発行の本である。

すい臓がんでステージ4と診断された著者が、どのような闘病の仕方をしたのか、少し気になったので、読んでみることにした。

 

「がん闘病日記」というタイトルではあったが、がんとの闘病について書かれてあるのは本書の前半部分であり、後半部分は森永氏のここまでの人生の変遷とその人生観について書かれてある本であった。

 

がん闘病に関しては、余命4か月の宣告を受けてからのことが、それなりに詳しく書いてあった。

抗がん剤を使った治療が体質に合わず、体調不良を起こしたということ。

すい臓がんから原発不明がんと診断が変わったこと。

書きたい原稿の執筆とゼミの1年生たちへの指導のためと考えて、半年の延命治療を選択したことなど。

また、全国からいろいろな治療法の連絡が来たが、鵜呑みにせず一つ一つ論理立てて効果を検討するのは、さすがアナリストの姿であった。

 

だが、「闘病日記」というタイトルだが、「日記」のイメージではなかった。

おおまかな経過とそれに対する自分の考えや行動の記録であった。

読んでいて自信に満ちて堂々とした話の進め方は、森永氏の著書は今まで読んだことはなかったが、この人らしいと思ってしまった。

 

その自信等は、後半部分に述べている森永氏がたどってきた人生経験を読むと分かってきた。

本書の第5章の章名は「今やる、すぐやる、好きなようにやる」である。

つまり、やりたいことは、あと回しにせずにすぐに自分の好きなやり方でやるということを実践してきたということだ。

それをモットーにして成功体験を積んできたから、自信をもって語れるということなのだ。

 

大変な仕事を遊びととらえて、楽しくやってきた人なのだ。

お金を増やすために仕事をしてきたのではなく、楽しく興味のあることに全力を挙げて取り組むという仕事のやり方をしてきた人だった。

今まで氏に関しては、金>仕事の人だと思っていたが、仕事>金の人だったと自分が誤解していたことを知った。

余命宣告されても、今まで好きなことをやってきたので、悔いのない人生だと言っている。

 

好きなことをやる、ということを実証するかのように、本人は童話を欠くのが好きだったと言いつつ、本書には自身が作った童話集まで掲載している。

その童話の中に、誰でもよく知る「アリとキリギリス」の森永版の童話がある。

彼が作った「アリとキリギリス」の話が、まさに氏の生き方の象徴のような話である。

冬が来て、アリもキリギリスも死を迎えるのだが、アリは頑張って働いたのにと後悔しながら死ぬ。

だが、キリギリスは、たっぷり人生を楽しんで、「あ〜、楽しかった」と言って死ぬ。

原作の童話とは違う、氏の人生観が現れた作品だなと感じた。

 

説得力のある言葉もあった。

だから、私には「夢」がない。いつかできたらいいなと思うことは実現できない。やるべきことはいますぐ取りかかる「タスク」、つまり課題なのだ。

 

それにしても、私と同い年の氏が亡くなったということには、重い衝撃があった。

私は氏のようには生きて来られなかったが、がんになっても、自分の人生を後悔することなく前向きに進もうという、氏の姿勢には学びたいものがあった。

本書の表紙の絵は、「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」と医師から告げられた森永氏がそれ以上生きたぞという思いを伝えたかったからではないか、という気がしたのだった。

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