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マッタリ風景

散歩写真と戯れ言のブログ

モノクローム写真_札幌市_1982年 II

2018年07月12日 | 北の大地





今日の画像は、1982年9月15日(水)に札幌市内で撮影したモノクロームフィルムをデジタル化した写真の第二弾です。

当日、北海道庁旧本庁周辺で撮影した後、大通り公園へ移動して撮影を続けたようです。なにせ、写っている被写体がそうですから。
どうしょうもない写真なのですが、今回ちょっとしたいたずらをしてみました。
以前、ウェブサイトでモノクロ写真をカラー化してくれるところがあると聞いていたので、今回試して見ました。
上の写真が元のモノクロ写真、下の写真がカラー化した写真の組み合わせです。

モノクロ写真をカラー化してみた感想は、凄いの一言です。
まあ、色自体は地味めではありますが、元々の色合いを再現しているので、ビックリしました。
特に、一番上の写真(大通公園のどうしょうもないスナップもどき)は、カラー化した写真にほぼ違和感を感じませんでした。

この技術がもっと洗練されると、昔の写真をもっと楽しめると思います。


























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モノクローム写真_札幌市_1982年

2018年07月07日 | 北の大地



巷では、若い人の間で、フィルム撮影がブームになっていると聞きました。
フィルム時代を知っていて、デジタルカメラの洗礼を受けた私は、デジタルカメラの便利さから逃れることができません。
逆に、フィルム撮影を知らない世代には、新鮮に見えるのかもしれません。
でも、フィルム撮影の環境はどんどんと悪くなっています、カメラは基本的に中古を探すしかありませんし、フィルムの種類も限られつつあります。
特にモノクロームフィルは、富士フィルムが在庫がなくなり次第販売を終了することをアナウンスしています。
私がフィルム撮影を始めた時、既にネガカラーフィルムの時代でしたから、モノクロームフィルムで撮影することはありませんでした。
でも、1本だけわざわざモノクロームフィルムを購入して撮影したことがあります。
それが、今日の画像です、1982年9月15日(水)に札幌市内で撮影したものです。

当時私は札幌市に住んでいましたが、どういうわけか会社の中に白黒写真の焼付設備があったんです。
仲間と写真倶楽部なるものを作っていましたが、会社内で開催する展覧会へその焼付設備を使って、白黒写真を展示しようということなりました。
それで、倶楽部の仲間と一緒にモノクロームフィルムを詰めたカメラを持って、一日札幌市内を撮影しました。

当日は快晴、最高気温は22度くらいだったとメモが残っていました。
今日の画像は北海道庁旧本庁舎で撮影したものですが、結果的に一番上の写真を自分で焼き付けて出品しました。
ぱっとしない作品ですが、人生の中で自分で焼き付けた唯一のモノクローム写真となりました。
この焼き付けた写真は額装しましたが、転勤の時に新潟へ持ち帰って、現在も実家の自室に飾ってあります。
白黒写真は耐性があります、現在見ても30年前に焼き付けたとは思えないクオリティです。

今、少しずつ昔のネガフィルムをデジタル化しているんですが、モノクロームフィルムはデジタル化に向いています。
色の調整が不要の上に、コントラストをかなりいじくっても問題がありませんから。

今夜は七夕ですが、新潟は完璧な雨模様で、天の川を拝むことは無理なようです。
あちこちで大変な水害が発生していますが、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方にお見舞いを申し上げます。











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見放題

2015年07月11日 | 北の大地




新潟は、今日も暑い一日でした、夏が完全に戻ってきました。
外では、強い日差し中からセミの鳴き声まで聞こえています。

暑くて、畳の上にひっくり返って、スマホの画面を見ていました。
見ていたのは、NHKオンデマンドで無料配信されている「羽田空港大百科 AtoZ」という番組です。
番組の中で、プロのカメラマンが羽田空港の撮影ポイントを案内しているシーンがありました。
中々、本物の飛行機を見ることができない環境で育ったせいか、今でも飛行機を見ると心躍るものがあります。

新潟にも空港があるんですが、何せ発着便数多くありません。
だから、撮影に行っても待ちぼうけが多くて、気分が乗らないですね。

写真は、先日札幌へ行った時に新千歳ターミナルビルで撮影した空港の様子です。
帰りに待ち時間があったので、屋上に送迎デッキがあると聞いたので行ってみました。
何と無料開放の上に、柵が横方面に張ったワイヤーだけなので、望遠レンズをつきだして撮影可能ではありませんか。
平日でしたが送迎デッキは結構混み合っていました、しかも望遠レンズを構えたマニアらしき人もいました。
私も愛機のDMC-G2を使って早速撮影しましたが、さすがに90mm換算の望遠側では、飛行機のクローズアップに力不足ですが、それでも結構楽しめました。
大きな空港はいいですね、何せ発着の便数が多いので、次から次へと発着シーンを撮影できるので、待ち時間がないので飽きません。
こんな見放題は大歓迎です。




























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キャンパスへ

2015年07月06日 | 北の大地






【Boys, be ambitious】、札幌農学校で教鞭をとっていたクラーク博士が離日する際に発したと言われる有名な言葉ですね。

ご存知のとおり札幌農学校は現在の北海道大学の前身です、その北大へも足を伸ばしてみました。
理由は3つありまして、お土産購入、食事、それに昔の思いでに浸ることです。

通常、大学のキャンパスと言うのは広いです、地元の新潟大学を訪れた時に広いなと感じたんですが、北大の場合は広大という感じでした。
札幌農学校を創設する時に、原野に適当に線を引いて敷地を決めたのではと思っちゃいました。
一番上のキャプチャー画面は、北大の構内図を一部だけ切り取ってキャプチャーしましたが、切り取っても広大な敷地です。
なにせ、未だに北海道の原生林の中にキャンパスがあるのではと感ずるんです。
しかも、近代的な建物と重要文化財が隣り合っていたりして歴史を感じさせました。

目的の一つお土産は、北大が認定しているミルククッキーを購入するためでした。
北大のインフォメーションセンターの【エルムの森】というところで買いました。
もっともこのクッキーは札幌駅でも千歳空港でも購入できるのですが、敢えて北大で購入しました。

2つ目の目的は食事です。
札幌を訪れる少し前に、とあるテレビ番組で北大の学食が訪日した外国人観光客に大人気だと放映していました。
それで、私もぜひ学食で食べようと思ったのですが、こちらはNGでした。
日程調整が狂ってしまって、この日はお昼前後に北大へ行くことができなかったためです。
それでもと思って、学食の前だけには行ってみました、やはり賑わっていました。
学食の外に白樺林があったのですが、そこで学生さんがバーベキュー(ジンギスカン?)をしていました、いやー羨ましかったです。

最後の目的は昔の思いでに浸ることです。
そのために訪れた先は【ポプラ並木】です、こちらも有名なところですね。
はるか昔、高校の修学旅行で北海道を巡りました、その時にポプラ並木も訪れたんです。
ポプラ並木をバックにして、クラスの女の子と写真撮影をしたのですが、それでもう一度訪れて見たくて行ってみました。
確か台風だったかでポプラ並木はだいぶ倒れたと聞きましたが、一応ポプラが並んでいました。
撮影した写真と見比べると、当時はポプラ並木の右側は牧草地のようでしたが、現在は鬱蒼とした森になっていました。
ポプラ並木は本数は減ったけど、当時と比較して木が高く育っているように感じました。


北大へ行く時にJR札幌駅から歩きましたが、帰りは地下鉄南北線の北12条駅経由にしました。
ポプラ並木に行く場合、歩きたくない場合はこちらのほうが楽ちんかなと感じました。































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CLOCK TOWER

2015年07月05日 | 北の大地






札幌で神社を参拝しつつ、観光も楽しんできました。
訪れた観光地の一つが【CLOCK TOWER】です、通称【時計台】と呼ばれている建物ですね。
正式名称は、旧札幌農学校の演武場ですが、建物の外観を見れば時計台の方が似合っています。

今、円安で日本人が外国に行くのは条件が悪いですが、逆に外国の方が日本を訪れるのは良い条件です。
時計台を訪れた日、人気の観光地ですから観光客で混み合っていました。
観光客がしゃべっている声を聞くと、圧倒的に中国語(らしき)が多かったです。
円安で中国系の人たちが大挙日本を訪れていると聞きますが、札幌もしっかりと中国系の人たちの心を掴んでいるようです。
新潟も、あやかりたいと感じました。

時計台を訪れた人は、異国情緒を感ずる建物に感激すると思いますが、がっかりもすると思います。
何故かと言うと、周りが近代的なビルなんですよね、時計台はビルの中に埋没しているような立地条件なのです。
時計台が建築された時は、だだっ広い原野の中だったでしょうが、今は札幌の発展にともなって、時計台だけが時代を忘れているような状況です。
でも、木造の古い建物をよくぞ途中で壊さないで現在まで維持してきたことに対して感激しました。

時計台に行って、取り敢えず建物の周りを一周して、それから入館しました。
入館するには入場料(200円)が必要です、中国系の方は中へ入らない人が多いように感じました。
内部の1階は展示コーナー、2階はステージと椅子が並べられたスペースになっていました。
私は時計台の窓から外の景色が面白いなと感じました、通常は外から眺めるだけですからね。
暫し、明治の雰囲気を楽しむことが出来ました。


































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札幌市電の思いで

2015年07月03日 | 北の大地





1982年、私が札幌市へ暫く滞在していた時、一番利用した交通機関は札幌市電でした。
何せ、当時住んでいた住所が市電の駅に近かったので、札幌中心街(すすきのや大通公園など)へ出る時には必然的に利用しましたから。

当時の私は、市電なるものマジマジと見るのも初めて、乗るのも初めてで、興味津々でした。
ショッピング、撮影、それに何よりもすすきのへの散策(飲み会)には随分と利用しました、本当に便利でしたね。

今回札幌を訪れた際も、ホテルへ向かう時や神社の参拝で利用しました。
乗車したのは1982年以来でしたが、ホームに立てば昔刷り込まれた動作ですんなりと乗ることができました。
今はSuicaも使えるので、降りる時にセンサーにタッチするだけでOKですから楽ちんです。
ちなみに市電はどれだけ乗っても料金は同じなので、乗車する時は何もすることがありません、乗るだけです。
今の運賃は170円ですが、1982年当時はいくらだったのかは思い出せません、多分100円前後だったような気がします。
当時の市電つながりの強烈な思いでは、すすきので友達と飲み歩いて、安い市電の運賃すら残っていなくて、すすきのから1時間もかけて歩いて帰ったことがあります、しんどかったです。

一番上の写真は路線図のキャプチャー画面です。
市電の歴史を調べたら、昔は市内を縦横無尽に市電が走っていた事を知りました。
札幌レベルの都市でも、市電を維持するのは大変だったのでしょうね。
ただ、今回訪れたら路線のループ化工事が行われていました、さらに新路線の計画もあるようですから、楽しみです。
路線がループ化されたら、山手線のように時間つぶしに乗ることもできますね。
一応、三日間の札幌滞在で、市電全ての駅を乗車、降車または通過しました。


下の写真は、市内観光と神社巡りの際、私が撮影したものです。
電車の車両自体も塗装を塗り直したものの、当時のままで懐かしさを感じました。
ただし、偉くモダンな車両も登場していて、実物を見た時にはビックリしました、いささか市電には似合わないと感ずるのは私だけでしょうか。
市電については十分にセンチメンタル・ジャーニー状態になりました。


















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札幌市営地下鉄の思いで

2015年06月30日 | 北の大地




札幌へ滞在した3日間(往復日程を除外すると実質は延べ2日間ですが)、飲み会と懐かしい場所の再訪以外に延べ十二の神社を参拝しました。
札幌彌彦神社以外こんな多くの神社を参拝をして見ようと思ったのは、札幌市街地に張り巡らされた地下鉄と市電の交通網を参拝のために利用できたからです。

札幌地下鉄は、現在、南北線、東西線、東豊線の3路線が大通駅を中心として放射状に伸びているので観光エリアはもちろんのこと、神社の参拝にも本当に便利だと感じました。
一番上の写真は、今回もらってきた地下鉄のパンフレットからスキャンした路線図です。

私が札幌の地下鉄へ初めて乗ったのは思い出せないくらい昔です。
それは高校の修学旅行で北海道を巡った時、札幌で一泊した際に乗車しました。
それも、何故か理由は不明ですが夕食が終わった後の僅かな時間を利用して有志と外出して乗ってきました。
でも、不慣れな場所だったので帰り道が分からなくなり門限に遅れてしまって、後で先生に代表でお詫びを入れた記憶があります。

下のスキャンしたパンフレットはその時に持ち帰ったものです。
このパンフは意図して持ち帰った記憶はないのですが、結局何十年も私の手元へ保管されてきました。
路線図を見ると当時は南北線だけでした、しかも北方面は北24条駅が終点です、現在は麻生駅が終点ですから駅が増えました。
札幌市の地下鉄は線路がなくてタイヤ走行なのでとても静かです、車体はすごく大きくて車内はゆったりしてます。
ただし、何故かは分かりませんがとあるものがありません、それは網棚ですが不思議です。
それから冷房もありません、今時分は走行すると天井から走行風を取り入れて車体内部の空気を循環させているだけです、昔の東京を思い出させました。

1982年に札幌へ暫く滞在した時は、既に南北線(1976年開業)が存在していたはずです。
していたはずと言うのは、乗車したというハッキリとした記憶がないからです。
当時、短期間だけ新札幌駅周辺へ研修で通ったというメモが残っていますが、「新札幌」と書かれているので多分当時の国鉄で通勤したのだと思います。
地下鉄の駅名は「新さっぽろ駅」ですからね。
ただ、他のメモに札幌へ滞在した際に、北海道神宮、円山公園、円山動物園を訪れたと書かれているので、もしかするとその時に東西線へ乗ったのかもしれません。
円山公園へ行くのに地下鉄を使ったとすると円山公園駅が最寄りの駅になりますからね。
今回は、札幌彌彦神社を参拝する際に利用しました。

そして最新路線である東豊線(1988年開業)ですが、今回こちらへも乗車したので札幌市営地下鉄は一応全部の路線を踏破したことになります。
特にこの東豊線は、福住駅から栄町駅へ乗車したので、端から端まで乗りました。
実は、豊平公園駅から乗った時に方向を間違えて福住行きに乗ってしまったというお粗末な理由ですが。

地下鉄に乗っていて一番困るのは接続です。
札幌市営地下越は大通駅が地下鉄網の中心になっていますが、複数の地下鉄が同じ駅名を共用している場合、まず移動が簡単な試しはありません。
地下鉄の新路線を追加する場合、通常は既存路線よりも深い所へ設置するので、やむを得ないのとは思うのですが、上下方向だけでなく左右方向にも結構移動が必要です。
昔、品川駅近くに出張した時に、目指す場所は駅から5分と聞いたのですが、駅の構内を15分くらい歩かされたのを思い出します。
都会を移動する場合は、とにかく健脚でないと大変です。

通常、地下鉄の駅は複数の出口がありますが、これを間違えると遠回りする羽目になります。
こちらは、もっぱらスマホの地図アプリを利用して、出口番号を確認して何とかなりました、文明の利器はありがたいです。

ちなみに、札幌の地下鉄はSuicaが使えます。
一日乗車券とかを使わないのであれば、Suicaへチャージして持参すると、スムーズに移動ができます。














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醤油差し

2014年12月30日 | 北の大地



先日、テレビの旅番組を見ていたら、とある醤油差しを紹介していました。
その醤油差しは、ガラス製で液ダレがしないように作られていると説明していました。
そんな素晴らしい醤油差しを作っている所は、北海道は小樽市にあるガラス工房でした。

以前、小樽市にあるガラス工房へ行ったことがあります。
訪れたのは2000年9月29日のことでした、出張だったのですが時間を確保できたので、有名な運河沿いにある倉庫街へ行きました。
かつて港の荷物を扱った倉庫へは色々なお店が入っているんですが、そこへ有名なガラス工房である北一ガラス館も入っていて、当然見学してきました。
テレビの番組を見て、そんなことを思い出しました。

写真は、以前北海道へ住んでいた頃に撮影した小樽運河の写真です。
小樽運河を訪れたのは、1982年5月23日でした。
当時のメモを見ると、札幌から列車で小樽市へ、有名な寿司店で昼食を取って、それから祝津へ行っておたる水族館とニシン御殿を見学しました。
そして、最後に小樽運河を訪れようです。
私が2000年に訪れた小樽運河は、1982年に訪れた時とは比較にならないほど賑わっていました。
倉庫はショッピング街になっていて、そこを目当てに訪れる観光客を多さを見た時に、本当にビックリしました。
1982年に訪れた時には、写真のように特段の観光施設もなかったし、観光客もちらほらだったと記憶しています。
それでも、観光案内所へは小樽運河のことが掲載されていたので、一応は観光名所だったのでしょうね。
その観光資源を、あれだけの観光客を呼び寄せるように変化させたのは大したものだと感じました。

1982年も2000年も、小樽市でお寿司を食べました。
1982年のメモには、あまり美味しくなかったと書かれていました。
2000年のメモには、17かんで4千円のお寿司を2皿(シェアしました)頼んで、お味の方は美味しかったけど値段が値段だからと書かれていました。
どうも私は貧乏性のようで、高くて美味しのは当たり前、安くて美味しくないと評価しないようです。
しかし、価格が高いなりの品質を当たり前に提供するのが一番大変なのかもしれません。
液ダレをしない醤油差しと、今度こそは満足の行くお寿司を食べたくて、小樽市を訪れたくなりました。




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マッサン

2014年12月29日 | 北の大地




今、NHKの連続テレビ小説「マッサン」が人気のようですね。
かつては、通勤先の休憩室にテレビがあったので、連続テレビ小説を結構見ていたんですが、今はそんな良い環境は遥か昔の事となって、見ることができません。

私はマッサンこと、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝氏とは北海道つながりがあります。
といっても、私が北海道に住んでいたことがあって、余市のウィスキー蒸留所を訪れた事があるというだけのつながりですが。

写真は、その余市蒸留所を訪れた時に撮影したネガフィルムからデジタル化したのものです。
北海道自体の風景(自然も人工物も)が日本離れしていると感じますが、蒸留所も洋式の古い建物が並んでいて、最初は日本じゃないと思いました。
蒸留所へは、1982年7月11日に訪れたと、当時のメモに書かれていました、本人は既に忘れてしまっていますが。

ウィスキーの蒸留所ですから、当然試飲なるものができました。
試飲したウィスキーが美味しくて、しこたま飲んでしまって、結構酩酊したのを憶えています。
担当の人にウィスキーのいわれを聞いたら、スペシャルブレンドだと答えてくれました。
ただし、高級なウィスキーではなくて、普及品のブレンドだとも付け加えて説明をしてくれました。
メモによると、試飲のウィスキーを味わってから、ここでお昼を食べて引き上げたようです。

私が訪れた時代も、この蒸留所は人気の観光スポットでした。
でも、今年はマッサンの影響があるから、超人気スポットになっているのでしょうね。
あのウィスキーがまだ試飲できるなら、も一度味わいに行きたいなと思っています。





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岬の先には

2014年11月16日 | 北の大地




岬の先には何があるでしょうか、答えは色々あるかと思いますが、一つの答えとして「灯台がある」というのが今日のお題です。

自分が住んでいる地域で有名な観光地は、いつでも行けると思って結構行っていないことが多いです。
他所から転勤してきた人に「昨日は、●●へ行ったけど、素晴らしかった」と言われて、自分自身は行ったことがないというパターンです。

上の写真は、とある岬(新潟ではありません)にある灯台を撮影したものです。
この灯台の写真を地元の人に見せた時に、良くあんなところまで行ってきたなと驚かれるやら、呆れられるやらでした。
当時、私は北海道へ住んでいて、訪れた先は有名な「知床岬」です。
さすがに仲間の道産子も、ワザワザ知床岬の先端を見学に行った人はいませんでした。

当時のメモを見ると、撮影したのは1982年8月1日です。
昼過ぎに観光遊覧船へ乗船して、片道2時間をかけて岬まで行って引き返してきました。
メモには「知床岬は、想像していたほどには感激はない。先のほうが草原となっており、そこには小屋のような建物が一軒と、無人灯台がポツンと見えるだけ」と書いてありました。
帰りは、疲れ果ててしまって、寝てきたようです。
たしか、歌の歌詞に誘われて訪れる気になったと思うのですが、無人島台だけがあるなんて、想像もしていなかったのでしょうね。
でも、今その時を振り返ると、なんだかもう一度訪れてみたいなと思いました。

下の写真は、その時に乗船した観光遊覧船です、船名は「ライラック」で200トンとメモには書いてありました。
写真は、ネガフィルムをデジタル化したものです。







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