イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

僕の通っていた大学

2009年03月22日 20時59分52秒 | Weblog
 僕の行っていた大学では、先輩がタバコを咥えると「押忍」といってまず背中に手を回してマッチを擦り、それを消さないように神妙に前に持ってきて、そして両手を添えてふんぞり返ってタバコを咥えている先輩に厳かに火を差し出すことが当たり前のように行われていた、まれに見るバンカラな校風の大学でした。
 
タバコの火一つつけるのも何か宗教儀式が色濃く入り込んだ政(まつりごと)のようでこれはこれで悪くない思い出です。
 
このことからも頷けるように僕の行っていた大学は掃き溜めのような、よるべない、身の置き所もない、学力もないが就職もしたくない、もうどうしようもない者たちが最終的に行き着く、国内きっての最低な大学でした。自衛隊に入るよりはまだあそこのほうがいいのかな、と言う程度の大学です。
 
入ってきたものたちはどれもこれも学力のかけらもなく、I isやYou isが当たり前のように横行し、西の出身者は関東および東北の県を曖昧にしか覚えておらず、また北の出身者も西のほうを相当曖昧にしか覚えていない有様なのでした。
 「あぁあそこね」と言われれば、それは「あのどうしようもない馬鹿のところね」と言うのとほぼ同義。大学の名前を口にした途端に誰もが下を向き、目をあわせようとしなくなる、まるで任侠団体のようなところでした。
 
どうです、こんな大学そうそうお目にかかれません。
 
僕が学生だった頃は西の関西、東の、、、、と言われていました。
 母校が今どの程度のものなのかは分りませんが、去年世界的に活躍し、格闘家となった後輩のあの言動を聞く限りではあまり変わっていないようにも思えます。

大学名は出しませんよ。

こんなにぼろくそに書いて訴えられでもしたら大変なことですからね。