イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

昔の思い出を私小説風に書いてみました。

2009年03月14日 13時21分25秒 | Weblog
なにかガツンとした衝撃の次に目の前が真っ暗になった。
それがはじめて顔面にこぶしを受けたときの印象である。
軟球のボールがふいに飛んできて目に当たったような、
暴力を振るわれたと言うより事故にあったといったほうが
近い感触だった。
 
中学一年生春のときである。
 
それは、それ以後の僕を劇的に変えてしまう衝撃的な経験だった。
 
中学校と言うのはご存知の通り九割以上は同じ小学校出身者
で占められる。それはその当時の僕にとっては地獄の延長で
しかなかった。

六年生であった一年間、僕はクラス中からいじめ続けられたのだ。
そのきっかけはクラス担任の先生が創ったものだった。先生が
真っ先に生徒をいじめるのであるから、そのクラスでは僕をいじめるのに
何の罪悪感も持たないほどに僕へのいじめが蔓延した。

椅子に画鋲がおかれたり、腐ったみかんが机に入っていたり、
その他考えうるあらゆるいじめを経験した。
 
親に相談することはできなかった。それは決してしてはいけない
恥ずかしい行為のように思えた。なぜそのように思ってしまったのか、
今ではよく覚えていない。それらしい理由はいくらでも思い浮かばれるが、
どれもこれもどこかしっくりとこなくて、腰のすわりが悪い。
 
そのような最悪の環境がただ中学校へスライドされるだけ。
 
中学校に入ればもちろんそこで新しいクラスにはなるのだが、
案の定、そこには一年間僕をいじめ倒した連中も含まれていた。

入学早々僕は彼らに絡まれた。

「またおまえかよ」
何人かの生徒が僕を囲み小突きまわす。

次第にエスカレートしていく。言葉もきつくなり、暴力も力が増していく。
そしてガツンという衝撃の次に僕の目の前が不意に暗くなったのだった。
そのうちの一人で成田と言う子が、まだこぶしを握りしめたまま僕の
よろめく様子を伺っていた。

それはまさしく初めての経験だった。小学校では誰一人としてこぶしを
使う子はいなかったのだ。
まるで新しい暴力に、回りも少しどよめいたようであった。
何しろ他のいじめていた連中さえも異様な空気になったほどだったのだから。
 そしてその新しい暴力に誰もが震えおののいていた。

僕を除いて、、。

人の脳みそがどのような場面でどのような働きをするのかは分らないが、
そのときぼくは驚くほど冷静になっていた。殴ると言う行為、殴られる
様子を見ている回りの人間の動向、そんなことを冷静に感じとっていたのだ。
 
その日一日「こぶしで顔面を殴る」と言うことを考えていた。

入学初日から目の周りに派手な青あざを作って帰宅した息子を見て、
母は必要以上に大騒ぎをしたが、母の言葉をはぐらかし続け、
結局母には何の行動もさせなかった。とにかく頭の中は「こぶしで顔面を殴る」
ことだけで一杯になっていた。

次の日、何ごともなかったように朝食を食べ、学校が始まる一時間も
前に「行ってきます」ときちんと挨拶をして家を出た。

しかし胸には秘めるものがあった。

ドキドキしていた。

もちろん教室にはまだ誰もいなかった。

僕は高ぶる気持ちを抑えて、成田が来るのを待った。
少しずつ埋まっていく教室、そんな中、僕は何度も
何度も頭の中でシミュレーションをしながら成田を待った。

成田が入ってきた。

僕はすくっと立ち上がり、成田へ近づいていった。
そしておもむろにこぶしを振るった。
 二度、三度と僕のこぶしに衝撃が伝わってくる。
そして四度目の衝撃のとき彼は床に倒れた。
僕はそのまま馬乗りになりさらに殴り続ける。
こぶしは何度も顔面をはずれ床に叩きつけられたが、
それでも殴るのをやめなかった。必死だった。

気がつくと何人かの先生が僕を羽交い絞めにしていた。


そうして、僕へのいじめは唐突に終わりを告げたのでした。


これ、ほぼ脚色ゼロの真実です。

今日は私小説風に昔々の経験を書いてみました。