イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

あだ花、鈴木君のこと

2009年03月24日 19時33分11秒 | Weblog
 そもそもの大学の本分から言えば存在していること自体不思議な大学ではありました。
Be動詞の使い方さえおぼつかない者たちが、さも受験戦争に勝ち抜いたような顔をして大学生を気取っているのです。でも、このような掃き溜めのような大学でも、ひとつだけ、そう、たった一つですが、他の大学より極端に勝っているものがありました。 
 
みな多かれ少なかれ高校生のときは武闘派であったということです。もっと端的に言えば個人差はあっても、けんか慣れしているのでした。はったりのかまし方から、逃げ足の速さまで、けんかの所作とでも言うべきものが他の大学の追随を許さぬほど長けていました。もちろん僕とて圧倒的な武闘派ではなくとも、それなりにけんかの数はこなしていましたから、はったりで威勢よく出て行くときもあれば、けつまくってあっという間に逃げていく術もそれなりに心得てはいました。
 
でも、こんな大学でさえ、教養を持ち合わせているものが稀にいるのでした。
 
進学校くずれ。

 中学生のときに嫌と言うほど勉強をして進学校に入り、その時点で燃え尽きてしまい、高校時代をただひたすら遊ぶことに時間を費やしてきた、若くしてすでに世捨て人のような者たちが百人に一人くらいの割合で、まさしくあだ花とでも言うべきが如く、肥溜めに咲いた一厘の花のように決して実を結ぶことはないのだけれど、誰もがハッとせずにはいられない存在として、ポツリポツリと点在しているのでした。

友達となった鈴木君もそんな教養を持ち合わせたうちの一人でした。

1パーセントにしか満たない教養を持ち合わせた貴重な逸材にどうして出会うことができたのかと言えば、それはただ同じアパートであったからと言う簡単明瞭な理由からでした。
僕たちの住んでいたアパートは、アパートと言うよりはむしろ寮という形態に近く、共同トイレ、共同台所、共同風呂と、共同の三点セットによって運営されていたほぼプライバシーゼロのアパートでした。外見はと言えばゴキブリホイホイを二段重ねにしたような、シンプルかつチープなつくりをしていました。部屋の一つ一つも漆喰ではなく、ベニヤ板で仕切られており、落語に出てくる「向こう三軒両どなり」を身をもって体験できる、ある意味貴重なつくりをしていました。
二階建てのアパートに学生ばかり二十四人。廊下を挟んで左右に六部屋ずつ。二階の十二部屋のうち、空いた四つの部屋に新しい一年生が入り、そのうちの一人が鈴木君だったということです。後の三人は僕と、大森君と、太郎さん。これはもうどれもこれも似たり寄ったりで、どうしようもない、手の付けようもないバカでした。

つづく