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イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

このボードゲームがあつい

2012年01月09日 15時11分43秒 | Weblog
こんにちは、

だいぶ久しぶりでございます。

今日は僕のマイブームでも。

それはアイスホッケーゲームです。

とは言ってもデジタルのものではありません。

ボードゲームのことです。

このスピード感と臨場感はデジタルでは味わえません。

しかも必ず対戦相手を必要とするところがいい。


久しぶりなので今日はこのへんで。

それではさようなら。

ちなみにこのボードゲームは一番下のこのクリスマスプレゼントです。

2500円なり。

今読んでいる本

2011年08月29日 20時07分09秒 | Weblog
今読んでいる本は講談社現代新書の「不思議なキリスト教」。

この本はちょっとすごいです。

日本人はキリスト教に対してあまりに無知ですから、

これからこの本を中学、高校の必須科目にしたらいいと思う。

この本の前書きを読めばなぜ必須科目にすべきかが分かります。

驚きの連続です。

本当にいい本です。

これから読みたい本は芹沢光冶良の「巴里に死す」。

やってみなくちゃわからない

2011年08月28日 17時03分25秒 | Weblog
NHK教育テレビで「これだからやってみなくちゃ分からない」(だと思った)

というなんとも渋い番組があるのです。何が渋いかといって

まずナレーター。これがなんとあのYMOの細野さんなのです。

そしてこの細野さんがまるで抑揚のない、感情のかけらも感じられない、

平べったいしゃべり方をされるのです。

でも、抑揚のない感情をこめない話し方だからこそ伝わってくる。

プロジェクトXと同じ手法です。

真実を「真実である」と伝えるためには感情をこめてはならない。

感情をこめれば込めるほど真実から遠いものになってしまうものである。

と誰かが言ったとか、言わなかったとか。


それで僕ははっとひらめいたのです。

一週間体をまともに洗わず、一週間後にしっかり湯船につかり、

体の垢をしっかり浮き立たせてから垢すりでこれまたしっかりと体を洗ったら

どんな気持ちになるのだろうと。



やってみましたともさ。

ひと皮向いた感じ。

想像以上のさっぱり感と無防備感。

これは「やってみなくちゃわからない」と思います。

試される方はとりあえず毎日体を拭くぐらいはしたほうが良いですよ。

何しろまだ残暑厳しいですからね。

匂っちゃ周りに迷惑ですのでね。

あまりに勝手な僕の映画批評

2011年06月27日 19時15分14秒 | Weblog
アイ・ロボットを単なるSF娯楽映画と批評するのは簡単です。

日本人ならば大概そんな観点から批評するのかもしれません。

でもね、僕は違うのです。

この映画を観るたびに「う」っと思うのです。

「作られたものには目的があるのではないか」と言うロボットの言葉。

それは「創られたもの」と言い換えることはできないだろうか。

人間も含め、あらゆるもの全てに創造した側の目的があるのではないかと

問いかけられているように思えるのです。

さらに、人間を未来永劫存在させるためにきつく統制しようとする

人工頭脳に、ロボットが「あなたのロジックは正しいがそれではあまりに
心がない」という言葉。

どんなに正しいものでも愛がなければ受け入れられないのだよ。

そんな風に訴えられているように僕には思えるのです。

つまりこれは、キリスト教という土台の上で展開されている映画のように

僕には思えるのです。

間違っているかもしれませんが、僕にはそんな風に感じるのです。

深読みしすぎかな。

昨日、日曜洋画劇場で観たもので、へへ。

日曜日の過ごし方はもう決まっているのです

2011年06月26日 13時08分03秒 | Weblog
あのね、長野では笑点の再放送を土曜日にやっているのですよ。

そんでもって日曜日にも東京と同時刻に笑点を放送しているのです。

曜日を錯覚します。

なんだかもの凄く変な感じがしました。

日曜日はどっちだ。

あれはいかんですよ。

僕たちは日曜日に笑点を観て、それから「サザエさん」に突入し

次第にナーバスになっていくのですから。

そういう心情の流れというものが日曜日にはもう構築されているのです。

それが土曜日に笑点をやられて御覧なさい。

妙な気分になるのです。

いや、まだナーバスな気分になっていくときではないな。

そんな風に自らに言い聞かせてみるのですが、

どうもね、ちょっと気分がブルーな感じになるのです。

それではまた。

おそれ

2011年06月21日 16時29分05秒 | Weblog
僕はそんなに右向きな人ではないのですけれど

「天皇陛下を敬いなさい」という発言はよくしているように思います。

それはきっと
人間には理屈抜きに畏怖する存在が必要だからという思いがあるからです。

ちなみに「きっと」と表現したのは
今書きながら僕自身の思いを確認しているためです。

先日、善光寺に行ったときに
高僧の方が参道を通るところを見ることができたのですが
観光に来ていた人はみな一様に高僧の前にしゃがみこみ頭(こうべ)をたれ、
高僧はその前を通りながら数珠で頭をなでていくのです。
観光に来ていた人が「これは理にかなう」からと言ってこうべを
たれていた訳ではないと思います。

そんな風に理屈抜きの畏怖する存在がある人とない人とでは日常の「ふるまい」
にも違いが出てくると思うのです。

完全なる利他主義になどなれないのですけれど、利己主義に陥りそうなときに

多少なりとも利他主義的な「ふるまい」ができるような気がするんです。

理屈抜きに畏怖そる存在がある人には。

お声をかけてくださった、手をとってくださった。
ただそれだけで目頭が、胸がじんと熱くなる。

その究極的な存在が日本人にとっては天皇陛下ではないかなと思うのです。

すいません。もっとすっきりと表現したいところですが思いがまとまりません。

とりあえず今日はここまで。

こんなこともできるのか、

2011年05月30日 06時51分03秒 | Weblog
お恥ずかしい話なのですが、

僕は今頃パソコンのものすごい機能に気付きました。

それはインターネットの辞書。

そりゃぁ僕だって何年もパソコンを使っていますから

ウェケペディアやその他各プロバイダーのホームページには

辞書があることくらい知っていました。

でも、まさか、英単語の発音までしてくれるものがあるとは

知らなかったのです。

発音記号でそれなりの発音はわかるのですが、

なんと言うか、しっくりこない、こんな発音で本当いいのかな、

と思うときってあるでしょ。

ローマ字読みが頭に定着しているので、とりあえずローマ字読みで

発音を想定してみる。でも実際辞書で調べてみると

どうやら違うようだと気付く。

そんな時って、ローマ字読みで想定した発音と発音記号で知った

本当の発音の溝がなかなか埋まらないのです。

でもどうです。

今やそれも解決だ。

だってネットでちゃちゃっと調べて発音を確かめることができるのですから。

しかも只。

すんばらしい。ね。

「八日目の蝉」を読み終えて

2011年05月28日 22時24分48秒 | Weblog
僕の場合、小説を読んでいて徐々にのめりこんでいくと

できる限りのスピードで読もうとするのですね。

でも、目で追うスピードとその目で追った文字を理解する

スピードには自ずと限界があるので、そのぎりぎりのところを

せめぎ合いながら、更には、少し飛ばしてでも先を読みたいという欲求と

一文字でも見逃したくないというジレンマにじりじりと耐えながら

もう、無我夢中で小説の中に入り込んでいくという感じなのです。

だからね、最後まで読みきるのがもったいない、とかぬかしいる輩を

見るとですね、この嘘つきが、と思ってしまうのです。

映画を見ていて、最後のクライマックスは今度の楽しみに取っておこう

なんて誰も思わないように、

小説を読んでいても、のめり込めばのめり込むほど、

読み終えるのがもったいない、なんて感情はわいてこないと思うのです。

「八日目の蝉」を久しぶりにこんな調子で一気に読みきりました。

なぜ今になってしまったのか。

それはですね、

心にずしっとのしかかってきそうな小説を読む場合は、それなりの心の準備が

必要だからです。

だから簡単には読み出せない。

読み進めるうちに投げかけられるであろう重たい感情を受け止めなければ

ならないのですからね。

ひとつ言える事。

それは、この歳になっても小説を読める自分であってよかったな、ということです。