日本男道記

ある日本男子の生き様

16・隅田川関屋の里(View from Sekiya by Sumida River)

2011年02月27日 | 富岳三十六景
16・隅田川関屋の里(View from Sekiya by Sumida River)
隅田川の上流、その堤を3人の侍が、早馬を疾風のように駈けて行く躍動する絵である。あとは高札場の1本の松の木である。いつものように富士山は静かである。
その静もった周囲の情景の中を3頭の馬がかける。だかその疾風感がある。
3人が殆ど同じ姿態であるのも風のように早い早馬を表現する一っの北斎の技巧といっていい。これが三人三様であってはハヤテの如き感じはなくなる
富岳三十六景
「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いている。
初版は1823年(文政6年)頃より作成が始まり、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。[1]版元は永寿堂西村屋与八。
発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。また西洋画法を取りいれ、遠近法が活用されている事、当時流行していた“ベロ藍”ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。
浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言える。
「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。
日本のみならず、ゴッホやドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。
当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2 コメント

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風のように.. (地理佐渡..)
2011-02-27 17:48:17
こんばんは。

疾走する騎乗の人の姿をうまく描いています。
遠くに見える富士はあくまでもどっしり。
躍動感や臨場感を表現するのに様々な工夫が
なされている気がします。

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Re:風のように.. (日本男道記 )
2011-02-27 21:09:30
こんばんは!

お帰りなさい、お疲れでしょうか?
今季は雪かきは無かったのでしょうか?

さて、当時は馬は一番早い交通集団でしょうから、何がったのでしょうか?
そんなに急ぎの用事だったのでしょうかね。
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