生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉 | |
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幻冬舎 |
◆内容紹介◆
「人間は弱い。死ぬのは僕もこわいです。」105歳の医師、日野原重明氏が、死の直前まで語った、希望と感謝の対話20時間越。最後の力を振り絞り伝えたかった言葉とは。生涯現役、渾身最期の一冊。
「死ぬのは僕でも怖いんだよ。」だからこそ、朝起きて自分が生きていることが、心から嬉しい。105歳になっても尚、僕にはまだ自分でも知らない未知の自分がたくさんあると感じているのです。
今、最後の力を振り絞って私がしたいのは、あなたとの対話です。人生の中で、いつも私と共にあったのは言葉でした。
私が言葉によって支えられてきたように、迷い傷ついたあなたへ、私の最期の言葉を伝えたいのです。(本書より抜粋)
2017年7月18日この世を去られた日野原重明さん。2016年年末からはじまった本書のインタビューは、亡くなる直前まで、時にはベッドに横たわりながら20時間以上行われました。言葉を軸にしながら、死と生、病と健康、出会いと別れ等々、人生の深淵について語ります。
【本書の内容】
第1章 死は命の終わりではない
第2章 愛すること
第3章 ゆるすことは難しい
第4章 大切なことはすぐにはわからない
第5章 未知なる自分との出会い
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
死を目前に紡がれた、生涯現役、渾身最期のメッセージ。
◆著者について◆
1911年山口県生まれ。 1937年京都帝国大学医学部卒業。1941年聖路加国際病院内科医となる。以来、内科医長、院長代理、院長を経て、現在は、学校法人聖路加国際大学名誉理事長、聖路加国際病院名誉院長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長など。 1998年東京都名誉都民、1999年文化功労者、2005年文化勲章を授与された。
【読んだ理由】
訃報に接し、一冊ぐらいは読みたいと思い。
【最も印象に残った一行】
ゆるすということは難しいことですん。
ゆるしがたい人をゆるそうとするとき、ぼくは本当の孤独を感じます。
ゆるすということを考えるとき、僕は「恕」という感じを思い浮かべます。
良く使われる、許すでも,赦すでもないのです。「恕す」という感じに、ゆるすという本質的な意味を感じるからです。
この漢字は、心の上に如くという文字が載っていますね。つまり、ゆるすとは、誰かに許可をだすとか悪いことをした人をゆるすということではなく、「相手のことを自分のごとく思う心」という意味なのです。
相手を自分のごとく思うということは、相手をゆるすことが自分をゆるすということに他なりません。だじからつるすのは相手のためはなく、自分のためにする行為なのです。
変化を恐れない。未知とは、版化する可能性のこと。変化していく自分を待望してほしい。
【コメント】
しかし、何冊本を出せれているのだろう?