市場原理主義の矛盾
『市場原理主義とは、小さな政府を推進し、政府が市場に干渉せず放任することが
国民に最大の公平と繁栄をもたらすと信じる思想的立場である。
1998年にジョージ・ソロスが著書の中で19世紀におけるレッセフェール(自由になすに任せよ)の
概念のより良い表現として市場原理主義を紹介したことから知られるようになった。
新自由主義は、市場原理主義の思想を、政府の経済・社会政策、
ならびに個人の人間類型などに適用したものである。
特に歴代の米国共和党政権や、英国のサッチャー首相の時代、市場原理主義の思想が重視された。
この言葉は世界各国で、国営事業、公営事業の民営化、
小さな政府の推進などを正当化する思想として用いられてきた。
日本では小泉政権の経済政策が最も市場原理主義の思想を体現した
新自由主義的性格を帯びていると言われる。
日本における新自由主義の定義・動向
小泉政権下で日本は遂にバブル崩壊後の失われた10年から脱出し、
GDPが(数字の上では)成長を続けたとされているが、
名目GDPは1997年と同水準であり、当然のことながら多くの人々にはこの好景気の実感はなく、
景気回復の恩恵が一部の高所得者や大企業に集中しているとして、格差の拡大が論じられるようになった。
その後、行き過ぎた市場原理主義が一因となって2008年にアメリカ発の世界金融危機
が発生し、日本どころか全世界が不況に再突入,
そして格差と一般層の不満だけが残って市場原理主義は勢いを失った。
市場原理主義は新古典派経済学が理論化の便宜のためおいた前提や、
その前提から導き出された命題を規範化し、
現実の経済・社会ならびにそれを構成する個人をこの前提や命題の通りに作りかえることによって、
新古典派経済学がエレガントな数理モデルで描き出している均衡の理想世界が実際の地上に君臨し、
人々があまねく富裕を享受できる至福が訪れるとする思想的立場である。
新古典派経済学それ自体は、数学を多用して科学的に公正中立な概観を見せてはいるが、
経済・社会の現実を必ずしも正しく抽象しているわけではない。ここから、
それを忠実に受け継ぐことを主張する市場原理主義は、
科学的装いのもとに富裕者の利益を図る役割を果たすことがしばしばである。
今日、市場原理主義的な政策による格差社会化が議論を呼んでいる。
その背景には、新古典派経済学で、労働を不効用(苦痛)、
賃金をこの不効用に対する補償ととらえているため、
高所得者はこの不効用をより強く耐え忍ぶ者と理解されている問題がある。
社会的公正をめざし所得再分配を図ろうと累進課税や高所得者の社会保険料増額によって
高所得者の実質所得を切り下げる政策は、富裕者の勤労意欲をそぎ、社会的に非効率となるから、
政府は行うべきでない、と市場原理主義者は唱える。』ウィキペディア(Wikipedia)より
この人達の主張は世の中の経済の仕組みについては、根本的に政府が小さな政府を推進し、
経済は市場に任せれば、需要と供給の関係で競争が起き、価格が安く品質の良いものは生き残り、
品質の悪いものは淘汰されバランスが取れるという自由市場原理主義という考え方
(アダム・スミスの国富論)から出発しているようです。
しかし本当にそうでしょうか。その為には前提条件が必要だと思われます。
※この市場原理主義が成り立つ為には、中学校や高校の社会科で習っている自由経済の基本的な事柄である
1、市場において、経済活動が完全競争出来る状態にあること。
『完全競争が成立するには、以下の5つが成立しないといけない。
1、原子性:市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を他者に与えない。
特に全ての会社がプライス・テイカー(価格受容者)でなければならないことに注意。
2、均一性:すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。
3、完全情報:全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。
4、平等なアクセス:全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で移動可能である。
5自由な参入:全ての会社が市場に自由に参入・退出できる。
そのような市場では、商品価格は一物一価となる。』
ウィキペディア(Wikipedia)より
2、市場がトラスト、カルテル、コンツエルン等によって、一握りの権力者に独占されていないこと
『完全競争市場においては、市場参加者はすべてプライステイカーで、
価格設定できない(市場均衡価格は限界費用に一致するように決定される)が、
独占企業はプライスメイカーとして自らの利益を最大限にするような価格設定を行うことができる。
自由主義の国家では市場原理の阻害要因になるとして、いわゆる独占禁止法により規制することが多い。
なお、独占のほかに市場を少数の供給者が支配する状態として複合・寡占がある。
独占下での企業の生産量は、完全競争下での効率的規模(平均総費用が最小となるときの生産量)を下回る。
日本国内においては、電気・ガスや一部鉄道会社(特にJR北海道やJR四国)など
インフラ業界においては独占や寡占を認めている場合もある。
独占の形態
独占は、市場を一社でほぼ独占した状態にすることであるが、
どのようにして「一社」となるかによって独占の形態を分類できる。
①トラスト
市場に複数ある同業会社を合併・買収することによって市場を一社で支配すること。USスチールなどの例がある。
②カルテル
市場に複数ある同業会社同士が供給量などで協定を結び、価格を維持したりする状態で、
結果的に一社化が行われる。
しかし、カルテルは抜け駆けによってシェア拡大を図る好機になるため、維持が難しい。
例として、橋梁会社の談合、新聞の特殊指定などがある。
③コンツエルン
複数産業の会社などを資本の傘下におき、一社化を図る方法。英語ではコングロマリット、
日本では財閥が相当する。持株会社や銀行が核となり、産業を垂直的に独占する
。三井グループ、住友グループ、三菱グループ、芙蓉グループなどの例がある。
独占市場における価格決定
概要
独占市場においては、独占企業のみが商品を販売しているので、完全競争と違い、
独占企業が自由に価格を決定できる。
従って独占企業は自身の利益を最大化する価格をつける。
独占市場において、独占企業は完全競争下にあるときよりも高い価格をつける傾向がある。
というのも完全競争下では、競争相手がより低い価格をつけて商品シェアを奪うかも知れないのに対し、
独占市場ではその心配がないからである。
また独占企業は完全競争下にあるときよりも少ない数しか市場に商品を出さない傾向がある。
というのも商品を完全競争下なみに多く売るには、より多くの消費者に商品を買ってもらう為、
完全競争下なみに価格を引き下げねばならならなくなってしまうからである。
従って価格を吊り上げて商品一個あたりの利益を増やす為に、完全競争のときよりも商品を出し惜しみする。
しかし言うまでもなく売りさばく商品数が極端に少なければ逆に利益が減ってしまう。
従って独占企業は、一個あたりの利益と売れ行きとのバランスをとり、利益を最大化する価格をつける事となる。』
ウィキペディア(Wikipedia)より
の2点が最低限守られていなければ成り立たないのです。それなのに今のアメリカはどうでしょう、
多額の資金を必要とするプロジェクトは殆ど寡占化が進んでいます。
金融、石油、武器,航空等がその代表的なものですが、資金力のある数十社でしか競争していません。
日本においても同様金融、鉄鋼、鉄道、自動車等がそうですね。
また日本においては名ばかりとはいえせっかく戦後財閥が解体されたのに、
それを復活させるような、持株会社(株を持って会社グループを支配する会社制度)を
財界や海外の要請により作ってしまいました。
つまり市場原理主義を唱えながら、
それと逆行する市場を一部の大株主に支配集中させる法律を復活させてしまったのです。
それともう一つこの民間の株式会社制度は、大多数の働く労働者が経営に参加できなにという、
民主主義とは相容れない大きな問題があります。
つまり民主的運営ではなくて、
会社を所有している株主と株主から依頼された経営者等の使用者とそこで働く被使用者という、
民主主義に反する形態が経済制度の基本として正しいのかという問題です 。
それを是正するため、過去憲法や労働法等の法律制定を政府が行ってきたののですが、
日本は戦後復興のために、65年もの間、国の豊かさ追求と、企業家優先の行政を行ってきました。
憲法や労働基準法等法律で明記されている、労働者の基本的人権等の問題は、企業が収益中心主義の為、
恣意的にないがしろにされてきた経緯があり、また行政もこれを止むお得ないとして黙認してきました。
政治は民主主義の投票制度を利害関係に置き換えてしまい、
経済は教科書で教える市場原理主義の禁じ手である資本集中を結果的に推し進めてしまいました。
そのため教育と社会がどんどん離れて行ってしまっているような気がします。
市場が寡占化している例は他にもたくさんあると思います。
都市計画や大規模開発分譲やマンション開発は先行投資の為の大規模な資金が必要な数年にわたる長期事業です。
大きな資金が要る仕事ほど競争がないのが現実で、
そういうプロジェクトは競争がありませんから価格は安くならないような気がします。
例えば200億のプロジェクト回収までに5年間かかり、その間の資金立替が200億円必要だとします。
利益は考慮に入れないで、自分自身が資金を出して行った場合と、
資金がゼロで銀行から資金借り入れして事業を行った場合と比較すれば、
資金力の差は、歴然と解ります。
まず
◎200億を自己資金で賄える資産家が直接プロジェクトを仕切ったら、金利は0で済みます。
◎これに対し銀行から200億資金借り入れした企業は
200億×5%×5年=50億円
と50億円の利息を払わなければなりません。
この例では市場原理は通用しなくなります。
つまり資産家は金利が0ですから、50億円分の有利となり、
資金ゼロの企業は50億円分不利となります。そこには平等な競争などありません。
またこれは株主から資金調達したとしても同じことです。
10%の配当とすれば200億×10%×5年=100億で100億の配当をしなければならなくなりますから、
資金力のある資産家が株主としても経営者としても断然有利となります。ましてや株式会社は株主の所有ですから、
そこで働く従業員は奴隷よりましな準奴隷という立場で、
所有者である株主とそれから経営委託された経営者等には支配者と被支配者の関係となり逆らうことはできません。
ましてや経営者と株主が一緒であれば権限は王様のように強くなりますからもっと独裁色が強くなります。
プロジェクトが無謀だとしても留める手立ては労働者にはありません。
もうひとつ株式市場というものが資金力の差で、競争力をなくしていきます。
株式市場は半年または一年の決算制度で運営されている為複数年度にわたり完成する
先行投資の長期事業は圧倒的に資金力のある大手企業が有利になります。
資金力がなく複数年度に渡っての本体経費の他に人件費・一般経費を負担しなければならない中小企業は、
完成するまで資金負担が先行し、赤字ばかりの決算では自由競争などあり得ませんから圧倒的に不利になります。
自由な資金調達の為の株式市場は、資金力のある財閥の天下となり不自由な市場になってしまいます。
そして資金力のある大株主や金融系財閥は、企業に絶大な権限を持つので、
その企業の情報も一般投資家よりいち早く取得します。
その為一般投資家より早く資金を引き揚げたり、株を売り抜けたりします。
ここにも株式市場の自由な競争はありません。格差はひろがるばかりです。
株式会社制度にはそんな基本的民主主義に反する要素を多数含んでいます。
にもかかわらず、各国の行政は学校の教科書とは相反する、機能していない独占禁止法を抜け穴とし、
株式会社を改善することなく、市場が寡占化(持株会社制度やM&A等)する
金融も含めた資本集中のえせ市場原理主義を奨励し、
また過去の財閥を復活させ、新興財閥も発生させています。
むしろ社会資本的大型プロジェクトは民営化する必要もなく、国営でやるべきものかもしれません。
それを小さな政府で何もかも民営化し、企業がそのプロジェクトで、
資金の集中化と私物化を行うことの方が問題なのだと思います。
勿論大型プロジェクトの効率の良い経営は国営であろうと税金を使うわけですから
民営と同じく赤字にならないようチェックしなければなりません。
ここでも国が国債という借金で行えば国債の利払いである金利というものが
大きなコストアップの原因となるはずですから、
この金利が障害となり安価な供給はあまり望めません。
過去の財閥、現在の財閥等の、のし上がり方を見ていると
、まさに資本主義の国家がしてはいけない事をして、のし上がっていることは、
欧米に限らず、欧米を学んだ日本も例外ではありません。
戦前の財閥の歴史を見れば解る通り、
今で言う各財閥とも政官業癒着の構図で巨大財閥にのし上って行った事は周知の事実です。
下記に日本の財閥の例をあげてみます。
『※三菱財閥
三菱は創始者岩崎弥太郎が、後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、
藩の貿易に従事する。坂本竜馬が脱藩の罪を許され、海援隊が土佐藩の外郭機関となると、
藩命を受け隊の経理を担当した。その後長崎の土佐商会が閉鎖される大阪商会に移る。
大阪商会は九十九(つくも)商会と改称、弥太郎は海運業に従事する。
廃藩置県後の1873年に後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で船2隻を入手し海運業を始め、
九十九商会を改称した「三菱(後の郵便汽船三菱会社)」を設立。三菱商会は弥太郎が経営する個人企業となる。
この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて
三菱のマークを作ったことはつとに有名である。
最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立され全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、
各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、
10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。
この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引である。
弥太郎は最初から政商として暗躍した。
弥太郎の三菱商会は、台湾出兵に際して軍事輸送を引き受け、政府の信任を得る。
明治西南戦争でも、輸送業務を独占して大きな利益を上げた。
政府の仕事を受注することで大きく発展を遂げた弥太郎は「国あっての三菱」という表現をよく使った。
なお弥太郎の娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣が輩出している。
単に財閥家族と血縁関係にあったり財閥の娘婿というだけの首相は他にもいるが、
財閥創業者の娘婿が2人も首相になった例は他の財閥にはなく、三菱と国家の密接な関係を証明しているといえる。
※安田財閥(今の旧富士銀行等の芙蓉グループ)
20歳で奉公人として江戸に出た安田善次郎が、
26歳の1866年(慶応2年)に両替専業の安田商店を日本橋小舟町に開業。幕府の御用両替を軸に巨利を得る。
明治維新に至ると、
当時まだ信頼を得ていない額面割れした明治政府の太政官札に対する正金貸付業務を積極的に行い,
大量の太政官札を収集。明治2年に至り正金金札等価通用布告がなされ、
額面引き換えにより更なる巨万の利益を得ることになる。
明治9年に第三国立銀行を設立し、安田商店と並立させ金融業務の覇権を担う別組織として設置、
1880年(明治13年)には安田商店を安田銀行(後の富士銀行。現・みずほコーポレート銀行、みずほ銀行)に改組する。
安田銀行は、諸官庁の両替及び金銀取り扱いの御用達となり、
無利子で官金を引き受け運用し業務を拡大した。その後安田保善社を設立して財閥の要とし、
銀行業以外への拡張を開始、釧路鉱山と釧路鉄道、函館倉庫にまで手を広げた。また帝国海上保険を設立し
、損保業務の充実をはかり、共済五百名社を共済生命保険に改組し生保業務も盤石を期した。
海運会社安田運搬事務所も設立している。
その後も不動産業務の東京建物を設立し国産の洋釘を製造するために安田製釘所(現安田工業)を設立した。
拡大した事業を統括するために安田商事を設立し統率をとり、同年紡績業務として西成紡績所を設置した。
※三井財閥
三井高利が1673年京都,江戸に創業した越後谷,
1683年江戸に開いた両替商をもとに御為替三井組は日本最大の豪商となったが,
幕末、幕府の勘定奉行、小栗上野介から莫大な軍資金の提供を要求され、
三井江戸両替店が破綻の危機に直面します。
小栗家より知遇を得ていた脇両替屋の美野川利八(のち三野村利左衛門)が小栗を説得、
御用金を減額することに成功して、三井は生き返ります。
その後小栗が横浜貿易の関税収入を生糸売込商に融資を決定、三井が実務を担当。
莫大な公金を扱う特権を獲得します。やがて、幕府最高の知恵者小栗が罷免されると、
その時三井の中心人物になっていた、美野川利八(のち三野村利左衛門)が、
『もはや幕府に人材なし!将来なし!』と見限ります。
他方、三井大阪両替店の番頭、吹田四郎兵衛は薩摩の大久保利通に取り入り、
幕府と新政府の二股をかけていました。
戊辰戦争の趨勢を読み、三井は官軍に巨額の融資を行うことを決断、動乱を乗り切ります。
そして、官軍=新政府が無能モノばかりであることを見抜き、政府の金庫をそっくりいただく事を、
“新政府戦略”として推し進め、拡大していきます。
番頭の吹田四郎兵衛を新政府にもぐりこませて通商司長官(権正)になる。廻漕会社、通商会社、
為替会社を設立し、そのトップに立つ。大阪為替会社には兵庫商社の幹部はじめ江戸時代の両替商を集結させる。
吹田四郎兵衛が神奈川県知事、陸奥宗光の政略結婚に協力(芸妓だった陸奥の許婚の身分を格上げするため、
吹田の養女にした)→知事の便宜で横浜の土地を買占め大地主に。
廻漕会社は後に廃藩置県で政府が各藩から取り上げた蒸気船を引き受け、「日本郵便蒸気船会社」を設立、
海運が三井の掌中に落ちる。全国規模の海運会社が出来たことで、郵便制度が実現する。
※住友財閥
住友忠重が「始祖」ということになるのだが、住友家は代々「泉屋」の商号で銅銀商を営むことになる。
徳川時代に入るころで、銅は当時一大輸出品であり、住友の銅精錬業は大いに栄えた。
これが住友財閥の起源である。そして銅貿易に関与するようになり、
その関係から糸、反物、砂糖、薬種等の輸入品を大坂・京都方面で売り捌くなど商業にも手をのばした。
そして得た利益で両替商を開業するようになった。
秋田の阿仁銅山、備中の吉岡銅山などの経営に乗り出し幕府御用の銅山師となって
日本一の銅鉱業者へと発展させる。
江戸時代前期において鉱業と金融業を握るコンツエルンを確立し、慶応初期には住友は、
日本の四大資産家の1つにあげられていた。
住友財閥の大躍進の基となったのは、愛媛県の別子銅山によってである。
282年間にわたり銅を産出し続け、総産出量は銅地金として75万トンにおよび、住友のドル箱となった。
新政府幕府のすべての決定と特権を廃止した新政府の法令によって、
土地所有権と有用鉱物の採掘権は切り離された。住友は鉱山および銅蔵にたいする統制力を失った。
銅山は幕府の財産であったために、銅蔵の莫大な銅備蓄は差し押さえられた。
しかしその後企業者活動の基調には、ひとつは家業経営の再建や、その近代化を意図するところがあったが、
それと同時に、国益志向性の強い経営理念(国の行政に協力する)で難局を乗り切り、
別子銅山の関連事業を中心として経営の多角化を進めた。』
というように財閥は政・官・業の関係を大いに利用し、のし上がっていきました。
戦後財閥そのものは米軍によって建前上、解体されたのですが、
その関連企業が協力的な関係のまま存在していて、
ご存知の通り、三井・三菱・安田・住友等の戦前財閥は金融機関を核としたグループとして
違った形(親子会社等)で、戦後も大きな力を依然として持ち続けています。
それにトヨタグループや、松下グループ等の新興グループが
戦前の持株制度の復活に伴い大きな財閥になりつつあります。
今はちょっと勢いをなくしていますが、
創始者が強盗慶太と呼ばれた企業買収で大きくなった東急グループ、
ピストル堤と呼ばれ軽井沢開発から大きくなった西武グループ等は
鉄道をめぐっての開発競争で、政官業癒着の典型でした。
農林省関係の役人である私の父はよく「林道工事等は西武の為に仕事をしているみたい。」
といって嘆いていたのを覚えています。渋谷の駅前開発の東急と西武の争いは特に有名です。
このように見ていくと今の経済制度ではどうしても、出発点は完全競争にはならないようです。
また、自由な完全競争があったとしても、
今の経済・金融制度では長年競争が経過すれば必ず多大の収益を上げるところが勝つ訳ですから、
リストラや経営合理化等で資本の集中が始まりやがてまた財閥のような大きな権力が生まれ、
その中からはみ出す者がでるでしょう。
ですから資本主義であろうが、共産主義であろうが、民営・国営にかかわらず、
政府雇用の他に企業というものが中心であれば、その企業が政府以外全ての人民を完全雇用出来ない限り、
人間の基本的人権の保障問題は解決しないということです。
そしてその仕組みの中で大きな核となりまた基本的人権問題の障害となるのは、
金融の私物化という問題だと思います。
それをよりよい形にするためには、どうしても金融を私物化せず、
集中する金融の再配分ということが必要になるような気がします。
すなわち人間が社会に出る出発点は皆同じにならなければならないと言うことです。
つまり皆同じ元手(資金)を持ったり、同じ条件の融資を受けたりして、
同じ条件で出発出来る体制が必要だと言うことだと思います。
そうしないと完全競争はありえませんから、
その為には金利の問題も含めて金融は国有化が必要なのではないかと思います。
ただし、出発点で完全競争であったとしても、ある程度したら競争するわけですから、
また資本の集中が当然起きてくると思います。次の世代で、
またその集中した資金を再配分する機能が働けばいいと思うのですが、
「いつ資本の集中を解体するの?いつ金融を再配分するの?
親が子供に遺産を残したいのは自然の道理、相続の問題はどうするの?」等永久の課題があり、
今のところ、それらをすべて充分に解決出来る、魔法のような方法は、
頭の弱い私には到底考えつきません。
資本主義って本当に人民の為になるの?
「国王の権利は神から授けられた絶対不可侵のもので、人民は国王に無条件に従わなければならない」
という王権神授説を批判しロックやルソーが唱えた基本的人権の保障の問題は、
その後の人間の作った株式会社という法律制度の進化?の中で、
大多数の民間では企業の株主やそこから委託された経営者等と労働者という関係によって
また支配と被支配という関係を作ってしまいました。
ただ税制制度や相続制度や株式会社制度の見直し(例えば経営が暴走・独走しないよう、
従業員も経営に参加できる仕組み)等で、行政が中心になり、
そのような問題を理想に近づける努力は出来ると思います。
私たち人間は戦争をなくし、よりよい生活や皆の生きがいや社会貢献を夢見ながら、
そういうことの出来る平和民主主義社会を目指してきたわけです。
その為にはやはり政府が大きな役割を果たすのだと思います。
私は俗人ですから、責任が重すぎて政治家等になりたくないと昔から思っていたのですが、
自分の名誉と金儲けを忘れ、大多数の人間の幸福考えている政治家は今いるのでしょうか?
またそんな人が見当たらない政治家は現在魅力ある仕事なのでしょうか?
やっぱり私は、青いボンボンの不良のようですから、お金に縛られない、
物々交換の原始時代に生まれた方がよかったのかもしれません。
でも生まれてもすぐに自然淘汰されているかもしれません。
※父と子の会話
父「お前は将来何になりたい?」
子「野球の選手になりたい!」
父「馬鹿を言うな、そういう世界では一流の力を持ってないと生きていく事は出来ない
お前にそんな能力はない、 一生懸命勉強していい大学を出て役人か大企業に入って、
出世し安定した生活を送るのが一番、勉強しなさい!」
子「じゃ人間は安定した生活を送る為に生れてくるの?好きなことをしてはいけないの?」
父「そうじゃないけど、そんな甘い考えでは世の中生きていけないよ!」
子「じゃ父さんは、なんの為に生きてきたの、役人で安定した生活を送る為?」
父「-------?」
※成人した生徒と校長になった小学校の先生の会話
成人した生徒「昔、先生は日教組が悪いとよく言っていましたが何故ですか?」
校長になった先生「それは日教組が労働組合として自分のことばかりを考え、
現実の生徒の生活や置かれている状態、日本国等のことを考えず、
自分の待遇だけを考えて行動しているように見えるからだ。」
成人した生徒「でも日教組としても、理想の教育を求め、国の言いなりの偏った教育だ
けではいけいと思って、闘争しているのではないの?」
校長になった先生「いやそれであればいいのだが、国旗掲揚を無視したり、
社会の秩序を乱す教師が多いので問題なのだ。」
成人した生徒「しかし国家の決めた社会の秩序が必ずしも正しいとはとは限らないこと
は歴史が証明していると思いますが?
先生は理想の教育なの、それとも現実に則した教育なの?」
校長になった先生「所詮私も教師も国に雇われた公務員にすぎないのだから、
公共の福祉には従うべきだと思う。だから現実に則した教育かな?」
成人した生徒「公共の福祉というのは、国民全員の為にということですよね?」
校長になった先生「そういじめるなよ、私の言ってる気持ちは解るだろう?」
『市場原理主義とは、小さな政府を推進し、政府が市場に干渉せず放任することが
国民に最大の公平と繁栄をもたらすと信じる思想的立場である。
1998年にジョージ・ソロスが著書の中で19世紀におけるレッセフェール(自由になすに任せよ)の
概念のより良い表現として市場原理主義を紹介したことから知られるようになった。
新自由主義は、市場原理主義の思想を、政府の経済・社会政策、
ならびに個人の人間類型などに適用したものである。
特に歴代の米国共和党政権や、英国のサッチャー首相の時代、市場原理主義の思想が重視された。
この言葉は世界各国で、国営事業、公営事業の民営化、
小さな政府の推進などを正当化する思想として用いられてきた。
日本では小泉政権の経済政策が最も市場原理主義の思想を体現した
新自由主義的性格を帯びていると言われる。
日本における新自由主義の定義・動向
小泉政権下で日本は遂にバブル崩壊後の失われた10年から脱出し、
GDPが(数字の上では)成長を続けたとされているが、
名目GDPは1997年と同水準であり、当然のことながら多くの人々にはこの好景気の実感はなく、
景気回復の恩恵が一部の高所得者や大企業に集中しているとして、格差の拡大が論じられるようになった。
その後、行き過ぎた市場原理主義が一因となって2008年にアメリカ発の世界金融危機
が発生し、日本どころか全世界が不況に再突入,
そして格差と一般層の不満だけが残って市場原理主義は勢いを失った。
市場原理主義は新古典派経済学が理論化の便宜のためおいた前提や、
その前提から導き出された命題を規範化し、
現実の経済・社会ならびにそれを構成する個人をこの前提や命題の通りに作りかえることによって、
新古典派経済学がエレガントな数理モデルで描き出している均衡の理想世界が実際の地上に君臨し、
人々があまねく富裕を享受できる至福が訪れるとする思想的立場である。
新古典派経済学それ自体は、数学を多用して科学的に公正中立な概観を見せてはいるが、
経済・社会の現実を必ずしも正しく抽象しているわけではない。ここから、
それを忠実に受け継ぐことを主張する市場原理主義は、
科学的装いのもとに富裕者の利益を図る役割を果たすことがしばしばである。
今日、市場原理主義的な政策による格差社会化が議論を呼んでいる。
その背景には、新古典派経済学で、労働を不効用(苦痛)、
賃金をこの不効用に対する補償ととらえているため、
高所得者はこの不効用をより強く耐え忍ぶ者と理解されている問題がある。
社会的公正をめざし所得再分配を図ろうと累進課税や高所得者の社会保険料増額によって
高所得者の実質所得を切り下げる政策は、富裕者の勤労意欲をそぎ、社会的に非効率となるから、
政府は行うべきでない、と市場原理主義者は唱える。』ウィキペディア(Wikipedia)より
この人達の主張は世の中の経済の仕組みについては、根本的に政府が小さな政府を推進し、
経済は市場に任せれば、需要と供給の関係で競争が起き、価格が安く品質の良いものは生き残り、
品質の悪いものは淘汰されバランスが取れるという自由市場原理主義という考え方
(アダム・スミスの国富論)から出発しているようです。
しかし本当にそうでしょうか。その為には前提条件が必要だと思われます。
※この市場原理主義が成り立つ為には、中学校や高校の社会科で習っている自由経済の基本的な事柄である
1、市場において、経済活動が完全競争出来る状態にあること。
『完全競争が成立するには、以下の5つが成立しないといけない。
1、原子性:市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を他者に与えない。
特に全ての会社がプライス・テイカー(価格受容者)でなければならないことに注意。
2、均一性:すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。
3、完全情報:全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。
4、平等なアクセス:全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で移動可能である。
5自由な参入:全ての会社が市場に自由に参入・退出できる。
そのような市場では、商品価格は一物一価となる。』
ウィキペディア(Wikipedia)より
2、市場がトラスト、カルテル、コンツエルン等によって、一握りの権力者に独占されていないこと
『完全競争市場においては、市場参加者はすべてプライステイカーで、
価格設定できない(市場均衡価格は限界費用に一致するように決定される)が、
独占企業はプライスメイカーとして自らの利益を最大限にするような価格設定を行うことができる。
自由主義の国家では市場原理の阻害要因になるとして、いわゆる独占禁止法により規制することが多い。
なお、独占のほかに市場を少数の供給者が支配する状態として複合・寡占がある。
独占下での企業の生産量は、完全競争下での効率的規模(平均総費用が最小となるときの生産量)を下回る。
日本国内においては、電気・ガスや一部鉄道会社(特にJR北海道やJR四国)など
インフラ業界においては独占や寡占を認めている場合もある。
独占の形態
独占は、市場を一社でほぼ独占した状態にすることであるが、
どのようにして「一社」となるかによって独占の形態を分類できる。
①トラスト
市場に複数ある同業会社を合併・買収することによって市場を一社で支配すること。USスチールなどの例がある。
②カルテル
市場に複数ある同業会社同士が供給量などで協定を結び、価格を維持したりする状態で、
結果的に一社化が行われる。
しかし、カルテルは抜け駆けによってシェア拡大を図る好機になるため、維持が難しい。
例として、橋梁会社の談合、新聞の特殊指定などがある。
③コンツエルン
複数産業の会社などを資本の傘下におき、一社化を図る方法。英語ではコングロマリット、
日本では財閥が相当する。持株会社や銀行が核となり、産業を垂直的に独占する
。三井グループ、住友グループ、三菱グループ、芙蓉グループなどの例がある。
独占市場における価格決定
概要
独占市場においては、独占企業のみが商品を販売しているので、完全競争と違い、
独占企業が自由に価格を決定できる。
従って独占企業は自身の利益を最大化する価格をつける。
独占市場において、独占企業は完全競争下にあるときよりも高い価格をつける傾向がある。
というのも完全競争下では、競争相手がより低い価格をつけて商品シェアを奪うかも知れないのに対し、
独占市場ではその心配がないからである。
また独占企業は完全競争下にあるときよりも少ない数しか市場に商品を出さない傾向がある。
というのも商品を完全競争下なみに多く売るには、より多くの消費者に商品を買ってもらう為、
完全競争下なみに価格を引き下げねばならならなくなってしまうからである。
従って価格を吊り上げて商品一個あたりの利益を増やす為に、完全競争のときよりも商品を出し惜しみする。
しかし言うまでもなく売りさばく商品数が極端に少なければ逆に利益が減ってしまう。
従って独占企業は、一個あたりの利益と売れ行きとのバランスをとり、利益を最大化する価格をつける事となる。』
ウィキペディア(Wikipedia)より
の2点が最低限守られていなければ成り立たないのです。それなのに今のアメリカはどうでしょう、
多額の資金を必要とするプロジェクトは殆ど寡占化が進んでいます。
金融、石油、武器,航空等がその代表的なものですが、資金力のある数十社でしか競争していません。
日本においても同様金融、鉄鋼、鉄道、自動車等がそうですね。
また日本においては名ばかりとはいえせっかく戦後財閥が解体されたのに、
それを復活させるような、持株会社(株を持って会社グループを支配する会社制度)を
財界や海外の要請により作ってしまいました。
つまり市場原理主義を唱えながら、
それと逆行する市場を一部の大株主に支配集中させる法律を復活させてしまったのです。
それともう一つこの民間の株式会社制度は、大多数の働く労働者が経営に参加できなにという、
民主主義とは相容れない大きな問題があります。
つまり民主的運営ではなくて、
会社を所有している株主と株主から依頼された経営者等の使用者とそこで働く被使用者という、
民主主義に反する形態が経済制度の基本として正しいのかという問題です 。
それを是正するため、過去憲法や労働法等の法律制定を政府が行ってきたののですが、
日本は戦後復興のために、65年もの間、国の豊かさ追求と、企業家優先の行政を行ってきました。
憲法や労働基準法等法律で明記されている、労働者の基本的人権等の問題は、企業が収益中心主義の為、
恣意的にないがしろにされてきた経緯があり、また行政もこれを止むお得ないとして黙認してきました。
政治は民主主義の投票制度を利害関係に置き換えてしまい、
経済は教科書で教える市場原理主義の禁じ手である資本集中を結果的に推し進めてしまいました。
そのため教育と社会がどんどん離れて行ってしまっているような気がします。
市場が寡占化している例は他にもたくさんあると思います。
都市計画や大規模開発分譲やマンション開発は先行投資の為の大規模な資金が必要な数年にわたる長期事業です。
大きな資金が要る仕事ほど競争がないのが現実で、
そういうプロジェクトは競争がありませんから価格は安くならないような気がします。
例えば200億のプロジェクト回収までに5年間かかり、その間の資金立替が200億円必要だとします。
利益は考慮に入れないで、自分自身が資金を出して行った場合と、
資金がゼロで銀行から資金借り入れして事業を行った場合と比較すれば、
資金力の差は、歴然と解ります。
まず
◎200億を自己資金で賄える資産家が直接プロジェクトを仕切ったら、金利は0で済みます。
◎これに対し銀行から200億資金借り入れした企業は
200億×5%×5年=50億円
と50億円の利息を払わなければなりません。
この例では市場原理は通用しなくなります。
つまり資産家は金利が0ですから、50億円分の有利となり、
資金ゼロの企業は50億円分不利となります。そこには平等な競争などありません。
またこれは株主から資金調達したとしても同じことです。
10%の配当とすれば200億×10%×5年=100億で100億の配当をしなければならなくなりますから、
資金力のある資産家が株主としても経営者としても断然有利となります。ましてや株式会社は株主の所有ですから、
そこで働く従業員は奴隷よりましな準奴隷という立場で、
所有者である株主とそれから経営委託された経営者等には支配者と被支配者の関係となり逆らうことはできません。
ましてや経営者と株主が一緒であれば権限は王様のように強くなりますからもっと独裁色が強くなります。
プロジェクトが無謀だとしても留める手立ては労働者にはありません。
もうひとつ株式市場というものが資金力の差で、競争力をなくしていきます。
株式市場は半年または一年の決算制度で運営されている為複数年度にわたり完成する
先行投資の長期事業は圧倒的に資金力のある大手企業が有利になります。
資金力がなく複数年度に渡っての本体経費の他に人件費・一般経費を負担しなければならない中小企業は、
完成するまで資金負担が先行し、赤字ばかりの決算では自由競争などあり得ませんから圧倒的に不利になります。
自由な資金調達の為の株式市場は、資金力のある財閥の天下となり不自由な市場になってしまいます。
そして資金力のある大株主や金融系財閥は、企業に絶大な権限を持つので、
その企業の情報も一般投資家よりいち早く取得します。
その為一般投資家より早く資金を引き揚げたり、株を売り抜けたりします。
ここにも株式市場の自由な競争はありません。格差はひろがるばかりです。
株式会社制度にはそんな基本的民主主義に反する要素を多数含んでいます。
にもかかわらず、各国の行政は学校の教科書とは相反する、機能していない独占禁止法を抜け穴とし、
株式会社を改善することなく、市場が寡占化(持株会社制度やM&A等)する
金融も含めた資本集中のえせ市場原理主義を奨励し、
また過去の財閥を復活させ、新興財閥も発生させています。
むしろ社会資本的大型プロジェクトは民営化する必要もなく、国営でやるべきものかもしれません。
それを小さな政府で何もかも民営化し、企業がそのプロジェクトで、
資金の集中化と私物化を行うことの方が問題なのだと思います。
勿論大型プロジェクトの効率の良い経営は国営であろうと税金を使うわけですから
民営と同じく赤字にならないようチェックしなければなりません。
ここでも国が国債という借金で行えば国債の利払いである金利というものが
大きなコストアップの原因となるはずですから、
この金利が障害となり安価な供給はあまり望めません。
過去の財閥、現在の財閥等の、のし上がり方を見ていると
、まさに資本主義の国家がしてはいけない事をして、のし上がっていることは、
欧米に限らず、欧米を学んだ日本も例外ではありません。
戦前の財閥の歴史を見れば解る通り、
今で言う各財閥とも政官業癒着の構図で巨大財閥にのし上って行った事は周知の事実です。
下記に日本の財閥の例をあげてみます。
『※三菱財閥
三菱は創始者岩崎弥太郎が、後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、
藩の貿易に従事する。坂本竜馬が脱藩の罪を許され、海援隊が土佐藩の外郭機関となると、
藩命を受け隊の経理を担当した。その後長崎の土佐商会が閉鎖される大阪商会に移る。
大阪商会は九十九(つくも)商会と改称、弥太郎は海運業に従事する。
廃藩置県後の1873年に後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で船2隻を入手し海運業を始め、
九十九商会を改称した「三菱(後の郵便汽船三菱会社)」を設立。三菱商会は弥太郎が経営する個人企業となる。
この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて
三菱のマークを作ったことはつとに有名である。
最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立され全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、
各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、
10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。
この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引である。
弥太郎は最初から政商として暗躍した。
弥太郎の三菱商会は、台湾出兵に際して軍事輸送を引き受け、政府の信任を得る。
明治西南戦争でも、輸送業務を独占して大きな利益を上げた。
政府の仕事を受注することで大きく発展を遂げた弥太郎は「国あっての三菱」という表現をよく使った。
なお弥太郎の娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣が輩出している。
単に財閥家族と血縁関係にあったり財閥の娘婿というだけの首相は他にもいるが、
財閥創業者の娘婿が2人も首相になった例は他の財閥にはなく、三菱と国家の密接な関係を証明しているといえる。
※安田財閥(今の旧富士銀行等の芙蓉グループ)
20歳で奉公人として江戸に出た安田善次郎が、
26歳の1866年(慶応2年)に両替専業の安田商店を日本橋小舟町に開業。幕府の御用両替を軸に巨利を得る。
明治維新に至ると、
当時まだ信頼を得ていない額面割れした明治政府の太政官札に対する正金貸付業務を積極的に行い,
大量の太政官札を収集。明治2年に至り正金金札等価通用布告がなされ、
額面引き換えにより更なる巨万の利益を得ることになる。
明治9年に第三国立銀行を設立し、安田商店と並立させ金融業務の覇権を担う別組織として設置、
1880年(明治13年)には安田商店を安田銀行(後の富士銀行。現・みずほコーポレート銀行、みずほ銀行)に改組する。
安田銀行は、諸官庁の両替及び金銀取り扱いの御用達となり、
無利子で官金を引き受け運用し業務を拡大した。その後安田保善社を設立して財閥の要とし、
銀行業以外への拡張を開始、釧路鉱山と釧路鉄道、函館倉庫にまで手を広げた。また帝国海上保険を設立し
、損保業務の充実をはかり、共済五百名社を共済生命保険に改組し生保業務も盤石を期した。
海運会社安田運搬事務所も設立している。
その後も不動産業務の東京建物を設立し国産の洋釘を製造するために安田製釘所(現安田工業)を設立した。
拡大した事業を統括するために安田商事を設立し統率をとり、同年紡績業務として西成紡績所を設置した。
※三井財閥
三井高利が1673年京都,江戸に創業した越後谷,
1683年江戸に開いた両替商をもとに御為替三井組は日本最大の豪商となったが,
幕末、幕府の勘定奉行、小栗上野介から莫大な軍資金の提供を要求され、
三井江戸両替店が破綻の危機に直面します。
小栗家より知遇を得ていた脇両替屋の美野川利八(のち三野村利左衛門)が小栗を説得、
御用金を減額することに成功して、三井は生き返ります。
その後小栗が横浜貿易の関税収入を生糸売込商に融資を決定、三井が実務を担当。
莫大な公金を扱う特権を獲得します。やがて、幕府最高の知恵者小栗が罷免されると、
その時三井の中心人物になっていた、美野川利八(のち三野村利左衛門)が、
『もはや幕府に人材なし!将来なし!』と見限ります。
他方、三井大阪両替店の番頭、吹田四郎兵衛は薩摩の大久保利通に取り入り、
幕府と新政府の二股をかけていました。
戊辰戦争の趨勢を読み、三井は官軍に巨額の融資を行うことを決断、動乱を乗り切ります。
そして、官軍=新政府が無能モノばかりであることを見抜き、政府の金庫をそっくりいただく事を、
“新政府戦略”として推し進め、拡大していきます。
番頭の吹田四郎兵衛を新政府にもぐりこませて通商司長官(権正)になる。廻漕会社、通商会社、
為替会社を設立し、そのトップに立つ。大阪為替会社には兵庫商社の幹部はじめ江戸時代の両替商を集結させる。
吹田四郎兵衛が神奈川県知事、陸奥宗光の政略結婚に協力(芸妓だった陸奥の許婚の身分を格上げするため、
吹田の養女にした)→知事の便宜で横浜の土地を買占め大地主に。
廻漕会社は後に廃藩置県で政府が各藩から取り上げた蒸気船を引き受け、「日本郵便蒸気船会社」を設立、
海運が三井の掌中に落ちる。全国規模の海運会社が出来たことで、郵便制度が実現する。
※住友財閥
住友忠重が「始祖」ということになるのだが、住友家は代々「泉屋」の商号で銅銀商を営むことになる。
徳川時代に入るころで、銅は当時一大輸出品であり、住友の銅精錬業は大いに栄えた。
これが住友財閥の起源である。そして銅貿易に関与するようになり、
その関係から糸、反物、砂糖、薬種等の輸入品を大坂・京都方面で売り捌くなど商業にも手をのばした。
そして得た利益で両替商を開業するようになった。
秋田の阿仁銅山、備中の吉岡銅山などの経営に乗り出し幕府御用の銅山師となって
日本一の銅鉱業者へと発展させる。
江戸時代前期において鉱業と金融業を握るコンツエルンを確立し、慶応初期には住友は、
日本の四大資産家の1つにあげられていた。
住友財閥の大躍進の基となったのは、愛媛県の別子銅山によってである。
282年間にわたり銅を産出し続け、総産出量は銅地金として75万トンにおよび、住友のドル箱となった。
新政府幕府のすべての決定と特権を廃止した新政府の法令によって、
土地所有権と有用鉱物の採掘権は切り離された。住友は鉱山および銅蔵にたいする統制力を失った。
銅山は幕府の財産であったために、銅蔵の莫大な銅備蓄は差し押さえられた。
しかしその後企業者活動の基調には、ひとつは家業経営の再建や、その近代化を意図するところがあったが、
それと同時に、国益志向性の強い経営理念(国の行政に協力する)で難局を乗り切り、
別子銅山の関連事業を中心として経営の多角化を進めた。』
というように財閥は政・官・業の関係を大いに利用し、のし上がっていきました。
戦後財閥そのものは米軍によって建前上、解体されたのですが、
その関連企業が協力的な関係のまま存在していて、
ご存知の通り、三井・三菱・安田・住友等の戦前財閥は金融機関を核としたグループとして
違った形(親子会社等)で、戦後も大きな力を依然として持ち続けています。
それにトヨタグループや、松下グループ等の新興グループが
戦前の持株制度の復活に伴い大きな財閥になりつつあります。
今はちょっと勢いをなくしていますが、
創始者が強盗慶太と呼ばれた企業買収で大きくなった東急グループ、
ピストル堤と呼ばれ軽井沢開発から大きくなった西武グループ等は
鉄道をめぐっての開発競争で、政官業癒着の典型でした。
農林省関係の役人である私の父はよく「林道工事等は西武の為に仕事をしているみたい。」
といって嘆いていたのを覚えています。渋谷の駅前開発の東急と西武の争いは特に有名です。
このように見ていくと今の経済制度ではどうしても、出発点は完全競争にはならないようです。
また、自由な完全競争があったとしても、
今の経済・金融制度では長年競争が経過すれば必ず多大の収益を上げるところが勝つ訳ですから、
リストラや経営合理化等で資本の集中が始まりやがてまた財閥のような大きな権力が生まれ、
その中からはみ出す者がでるでしょう。
ですから資本主義であろうが、共産主義であろうが、民営・国営にかかわらず、
政府雇用の他に企業というものが中心であれば、その企業が政府以外全ての人民を完全雇用出来ない限り、
人間の基本的人権の保障問題は解決しないということです。
そしてその仕組みの中で大きな核となりまた基本的人権問題の障害となるのは、
金融の私物化という問題だと思います。
それをよりよい形にするためには、どうしても金融を私物化せず、
集中する金融の再配分ということが必要になるような気がします。
すなわち人間が社会に出る出発点は皆同じにならなければならないと言うことです。
つまり皆同じ元手(資金)を持ったり、同じ条件の融資を受けたりして、
同じ条件で出発出来る体制が必要だと言うことだと思います。
そうしないと完全競争はありえませんから、
その為には金利の問題も含めて金融は国有化が必要なのではないかと思います。
ただし、出発点で完全競争であったとしても、ある程度したら競争するわけですから、
また資本の集中が当然起きてくると思います。次の世代で、
またその集中した資金を再配分する機能が働けばいいと思うのですが、
「いつ資本の集中を解体するの?いつ金融を再配分するの?
親が子供に遺産を残したいのは自然の道理、相続の問題はどうするの?」等永久の課題があり、
今のところ、それらをすべて充分に解決出来る、魔法のような方法は、
頭の弱い私には到底考えつきません。
資本主義って本当に人民の為になるの?
「国王の権利は神から授けられた絶対不可侵のもので、人民は国王に無条件に従わなければならない」
という王権神授説を批判しロックやルソーが唱えた基本的人権の保障の問題は、
その後の人間の作った株式会社という法律制度の進化?の中で、
大多数の民間では企業の株主やそこから委託された経営者等と労働者という関係によって
また支配と被支配という関係を作ってしまいました。
ただ税制制度や相続制度や株式会社制度の見直し(例えば経営が暴走・独走しないよう、
従業員も経営に参加できる仕組み)等で、行政が中心になり、
そのような問題を理想に近づける努力は出来ると思います。
私たち人間は戦争をなくし、よりよい生活や皆の生きがいや社会貢献を夢見ながら、
そういうことの出来る平和民主主義社会を目指してきたわけです。
その為にはやはり政府が大きな役割を果たすのだと思います。
私は俗人ですから、責任が重すぎて政治家等になりたくないと昔から思っていたのですが、
自分の名誉と金儲けを忘れ、大多数の人間の幸福考えている政治家は今いるのでしょうか?
またそんな人が見当たらない政治家は現在魅力ある仕事なのでしょうか?
やっぱり私は、青いボンボンの不良のようですから、お金に縛られない、
物々交換の原始時代に生まれた方がよかったのかもしれません。
でも生まれてもすぐに自然淘汰されているかもしれません。
※父と子の会話
父「お前は将来何になりたい?」
子「野球の選手になりたい!」
父「馬鹿を言うな、そういう世界では一流の力を持ってないと生きていく事は出来ない
お前にそんな能力はない、 一生懸命勉強していい大学を出て役人か大企業に入って、
出世し安定した生活を送るのが一番、勉強しなさい!」
子「じゃ人間は安定した生活を送る為に生れてくるの?好きなことをしてはいけないの?」
父「そうじゃないけど、そんな甘い考えでは世の中生きていけないよ!」
子「じゃ父さんは、なんの為に生きてきたの、役人で安定した生活を送る為?」
父「-------?」
※成人した生徒と校長になった小学校の先生の会話
成人した生徒「昔、先生は日教組が悪いとよく言っていましたが何故ですか?」
校長になった先生「それは日教組が労働組合として自分のことばかりを考え、
現実の生徒の生活や置かれている状態、日本国等のことを考えず、
自分の待遇だけを考えて行動しているように見えるからだ。」
成人した生徒「でも日教組としても、理想の教育を求め、国の言いなりの偏った教育だ
けではいけいと思って、闘争しているのではないの?」
校長になった先生「いやそれであればいいのだが、国旗掲揚を無視したり、
社会の秩序を乱す教師が多いので問題なのだ。」
成人した生徒「しかし国家の決めた社会の秩序が必ずしも正しいとはとは限らないこと
は歴史が証明していると思いますが?
先生は理想の教育なの、それとも現実に則した教育なの?」
校長になった先生「所詮私も教師も国に雇われた公務員にすぎないのだから、
公共の福祉には従うべきだと思う。だから現実に則した教育かな?」
成人した生徒「公共の福祉というのは、国民全員の為にということですよね?」
校長になった先生「そういじめるなよ、私の言ってる気持ちは解るだろう?」
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