

[城ヶ崎ブルース歌碑]
城ヶ崎海岸 門脇の吊橋近くに「城ヶ崎ブルース」の歌碑があります。
昭和43年(1968年)門脇の吊橋(長さ48m、海面からの高さ23m)とぼら納屋から伊豆海洋公園間のハイキングコースが完成したことを記念し作詞家星野哲郎氏(2010年没85歳)に依頼して作られた歌謡曲が”城ヶ崎ブルース”です。作曲は伊東市出身の関野幾生氏。この歌は世に出ると同時に大ヒット曲となりました。歌うはムード歌謡グループ”黒沢明とロス・プリモス”。
歌碑は当初昭和43年(1968年)城ヶ崎海岸ハイキングコースの富戸側入口、ぼら納屋近くに建てられました。昭和60年(1985年)もう一つ門脇の吊橋近くに建てられました。


45RPMレコードジャケット ぼら納屋付近にある歌碑

城ヶ崎海岸ピクニカルコースと自然研究路合計9Kmの遊歩道の丁度中間地点に「いがいが根」というところがあります。凡そ4,000年前、大室山の溶岩が海に向かって流れ出し、比較的低く平坦に海に向かって張り出して固まって出来た場所です。「根」とは陸地が海に向かって丁度木の根の様に低く平坦に張り出した(突き出た)場所を言い、ここは「根」の表面(溶岩の表面)がざらざら、ごつごつ、イガイガ(栗のイガ)、素足で歩くと痛々しい感じを抱くので「いがいが根」という名前がついたものと思われます。表面が茶褐色になっているところは溶岩の鉄分が酸化したものです。
ここは海に向かって展望が開けており天気のいい日には大島、利島、新島など伊豆七島が一望できます。



<蓮着寺>
日蓮宗の元祖 日蓮上人は今から凡そ750年前の鎌倉時代、法華経を法典とする立正安国論を著し当時の北条幕府に献上しましたが、結局は幕府の反感を招くことになり伊豆に流罪となりました。そして幕府の役人によって城ヶ崎海岸日蓮崎の俎岩の上に置き去りにされましたが、潮の満ちてくる前、間一髪のところで近くに住む漁師舟守弥三郎に助けられました。しばらく伊豆に身を隠し、その後再び鎌倉に帰ることになりましたが、この日蓮上人法難の場所にその後(日蓮上人死後45年)弟子の「日云(ニチウン)」と言うお坊さんが日蓮上人を偲んで小さな堂宇を建てたのが現在の蓮着寺の始まりと言われています。現在の建物は大正の時代(いまから約90年前)に新築されたものです。山号は「俎岩山」。境内にはありし頃の日蓮上人の銅像があります。




<日蓮崎の灯明台>
城ヶ崎海岸蓮着寺の近くの日蓮崎の崖上には灯明台(現在の灯台)の跡があります。大正5年(1916年)蓮着寺の住職(田辺日浄和尚)が沖行く船の安全航海の為に石造りの灯明台を建て、毎夜石油ランプの火を灯したということです。
(注)「灯台/灯明台の歴史」については
