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ディスカバリー伊豆

伊豆の美しい自然と貴重な歴史物語を徒然なるままに気の向くままに綴りたいと思います。

アマツバメの雄飛

2014-08-19 | 城ヶ崎海岸( 2 )

2014年5月、今年も又つばくろ島(城ヶ崎海岸門脇崎)にアマツバメがやってきました。その数何十匹。いや何百匹か。7月中旬、生まれた子供たちの飛行訓練でしょうか、沢山の数のアマツバメがつばくろ島上空を雄飛していました。猛スピードで飛んでいるのでシャッターチャンスが難しい。

こさいつなの洞門

2014-07-05 | 城ヶ崎海岸( 2 )
こさいつな(橋立)の洞門
かさご根から見るさいつな/こさいつなは絶景です。さいつなは柱状節理がすばらしい。こさいつなには岩壁に大きな洞門が見えます。そこだけ岩(柱状節理)が崩れ落ちたものです。
近くで見ると高さ6~7m、幅4 ~5mはあるかと思います。反対側の海が見え波が打ち寄せています。

じょうせんが根

2014-06-07 | 城ヶ崎海岸( 2 )

===じょうせんが根===
橋立から八幡野に至る遊歩道から突き出た岬(鼻)です。写真は橋立の吊橋から撮ったもの。
伊能忠敬測量日記伊豆編の中では「乗船根鼻」と記されています。江戸時代、小舟への乗船に使われていた場所だったのだろうか?(切り立った断崖でその様には見えないのですが)

クロマツ

2014-02-02 | 城ヶ崎海岸( 2 )

クロマツ

城ヶ崎海岸に群生するクロマツは城ヶ崎海岸の美しい景観を作る植物の代表です。
クロマツは世界で日本と朝鮮半島の一部にしか見られません。このクロマツは日本に今から270万年ほど前に出現した木だということが最近分ったそうです。もともとは今から1700万年前ごろ(日本列島が大陸から分れ日本海が出来た頃)大陸側から移ってきたフジイマツが元祖で、その後地球の寒冷化によってフジイマツは絶滅、クロマツが分かれて出現したと。クロマツの化石は日本以外では見つかっていないそうです。(2014年1月27日 朝日新聞による)

ホルトノキ(蓮着寺)

2013-07-13 | 城ヶ崎海岸( 2 )
===ホルトノキ===
蓮着寺の境内にはホルトの大木が4本あります。千葉以西に見られる木で、常緑高木(15m以上)。葉はヤマモモの葉に似ているけれども、ホルトの木の葉は古い葉が赤くなって落葉するので、枝の先端に赤い葉が混じっているのがホルトの木です。
実はオリーブに似ており、「ポルトガルの木」が「ホルトの木」になったと言われる(昔ポルトガルからオリーブを輸入)
葉の裏側、側脈の付け根にポケットがある。
街路樹、家具材、建築材に使われる。樹皮は染物の材料。

城ヶ崎ブルース歌碑

2012-12-14 | 城ヶ崎海岸( 2 )


[城ヶ崎ブルース歌碑]
城ヶ崎海岸 門脇の吊橋近くに「城ヶ崎ブルース」の歌碑があります。
昭和43年(1968年)門脇の吊橋(長さ48m、海面からの高さ23m)とぼら納屋から伊豆海洋公園間のハイキングコースが完成したことを記念し作詞家星野哲郎氏(2010年没85歳)に依頼して作られた歌謡曲が”城ヶ崎ブルース”です。作曲は伊東市出身の関野幾生氏。この歌は世に出ると同時に大ヒット曲となりました。歌うはムード歌謡グループ”黒沢明とロス・プリモス”。
歌碑は当初昭和43年(1968年)城ヶ崎海岸ハイキングコースの富戸側入口、ぼら納屋近くに建てられました。昭和60年(1985年)もう一つ門脇の吊橋近くに建てられました。



45RPMレコードジャケット            ぼら納屋付近にある歌碑


”雨の城ヶ崎”歌碑

2012-12-13 | 城ヶ崎海岸( 2 )
=雨の城ヶ崎歌碑=
門脇埼灯台の真下には城ヶ崎演歌の第二弾とも言うべき”雨の城ヶ崎”の歌碑があります。歌は昭和61年(1986年)星野哲郎氏によって作詞され伊東出身の関野幾生氏により作曲され、歌謡グループ「ロス・プリモス」によって歌われました。歌碑は同年2月建てられました。

てんまじり

2012-10-11 | 城ヶ崎海岸( 2 )



<てんまじり(伝馬尻?> 
城ヶ崎海岸自然研究路(橋立~いがいが根間)の”てんまじり(岬)”は大室山噴火に伴う溶岩トンネルが幾重にも重なって作られている形跡を見ることの出来る貴重な場所です。又、大波が打寄せた後には海水が溜まって天然プールになる大型のポットホールもあります。その天然プールの山側から海側を見ると正に「てんまじり=伝馬船の尻(船尾)の形が浮かび上がってきます。正にここは”てんまじり”です。

いがいが根

2010-11-16 | 城ヶ崎海岸( 2 )
<いがいが根>
城ヶ崎海岸ピクニカルコースと自然研究路合計9Kmの遊歩道の丁度中間地点に「いがいが根」というところがあります。凡そ4,000年前、大室山の溶岩が海に向かって流れ出し、比較的低く平坦に海に向かって張り出して固まって出来た場所です。「根」とは陸地が海に向かって丁度木の根の様に低く平坦に張り出した(突き出た)場所を言い、ここは「根」の表面(溶岩の表面)がざらざら、ごつごつ、イガイガ(栗のイガ)、素足で歩くと痛々しい感じを抱くので「いがいが根」という名前がついたものと思われます。表面が茶褐色になっているところは溶岩の鉄分が酸化したものです。
ここは海に向かって展望が開けており天気のいい日には大島、利島、新島など伊豆七島が一望できます。

蓮着寺

2010-11-16 | 城ヶ崎海岸( 2 )

<蓮着寺>
日蓮宗の元祖 日蓮上人は今から凡そ750年前の鎌倉時代、法華経を法典とする立正安国論を著し当時の北条幕府に献上しましたが、結局は幕府の反感を招くことになり伊豆に流罪となりました。そして幕府の役人によって城ヶ崎海岸日蓮崎の俎岩の上に置き去りにされましたが、潮の満ちてくる前、間一髪のところで近くに住む漁師舟守弥三郎に助けられました。しばらく伊豆に身を隠し、その後再び鎌倉に帰ることになりましたが、この日蓮上人法難の場所にその後(日蓮上人死後45年)弟子の「日云(ニチウン)」と言うお坊さんが日蓮上人を偲んで小さな堂宇を建てたのが現在の蓮着寺の始まりと言われています。現在の建物は大正の時代(いまから約90年前)に新築されたものです。山号は「俎岩山」。境内にはありし頃の日蓮上人の銅像があります。

俎岩(まないたいわ)

2010-11-15 | 城ヶ崎海岸( 2 )



----日蓮崎(崖上)から見た俎岩---

<俎岩(マナイタイワ)>
今から凡そ750年前の鎌倉時代、「法華経」を唯一の法典となし「南無妙法蓮華経」を唱え「立正安国論」を著した有名なお坊さん”日蓮上人”は幕府の反感を買うことなり捕らえられ伊豆に流罪となりましたが、その時日蓮上人が置き去りにされたと言う岩がこの「俎岩」です。城ヶ崎海岸 日蓮崎の目の前にあります。



灯明台

2010-11-14 | 城ヶ崎海岸( 2 )

ーーーーー(灯明台イメージ)


<日蓮崎の灯明台>
城ヶ崎海岸蓮着寺の近くの日蓮崎の崖上には灯明台(現在の灯台)の跡があります。大正5年(1916年)蓮着寺の住職(田辺日浄和尚)が沖行く船の安全航海の為に石造りの灯明台を建て、毎夜石油ランプの火を灯したということです。


(注)「灯台/灯明台の歴史」についてはここをクリック