private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(パン屋と服屋のあいだで2)

2024-06-23 15:26:12 | 連続小説

「来たぜ」
 アタルが目線だけで示した先には、ピンク地のスーツ姿でビシッと決めたショッピングモール会長が、こちらに向かって歩いて来る姿があった。
 ケンシンも顔は上げずに目端で確認するだけで気づかないフリをして、そのままレジ締めの作業を続ける。目の前に会長が止まったところで顔を上げる。間近で見たそのスーツはピンクの格子柄がちりばめられたジャケットであった。
「ちょっと、今日が期限だって言ったでしょ」
 ケンシンは、いま気づいたという体で顔を上げ、驚いて見せる。アタルはすでに奥に引っ込んでしまった。
「はあ、」「はあじゃないでしょ、明日のモール一斉掃除の担当、提出するように頼んでおいたでしょ。今日一日待ってたのに、出てないのはアンタんとこのパン屋と、向かいのブティックだけなんだから、大体ね、、」
 ブティックと言われたところから、ケンシンは次の言葉が入ってこない。
 今どきブティックと言う店長の感性に驚いていた。ケンシンもそれほど通じてはいないが若い女性ならショップと呼んでいるはずだ。よくそれでモールの会長がつとまると感心してしまう。モールと言っても中身も関係者もまだまだ商店街と変わりない。
「、、でしょ!?」「はあ、」そのあとで何を言われたか知れず、何と返答すればいいかわからない「、、でも店長いないし」
「店長なんてほとんどいないないでしょ、コックは不愛想だし。あんたに話しといたんだから、あんたが答えなさいよ」
 さすがに店の状況はよく把握している。それにしても洋食屋でもあるまいし、笑いをこらえたのはコックはないし、チーフのコモリにベーカーという言葉は似合わないことだった。
「はあ、でも、オレ、バイトだし」
「バイトだろうが何だろうが、お金の計算して、お店任されてるんでしょ。もういいわ、あんたで」
 そう言うと会長は、ケンシンの胸にあるネームプレートを見てカミカワと、リストに書き込んだ。ケンシンの名字はカミカワではない。店用の通り名だった。そんなことは会長はお構いなしで、ケンシンの名字が何であろうと、この店の掃除担当者が決まればいいのだ。
「近頃じゃ、どの店も高齢化しちゃってね、あんたみたいな若い人が頼りなのよ、、」
 ここにも憂国の高齢化の波が押し寄せており、ご多分に漏れず、若者にそれを負担させようとしている。高齢化で人手が足りないなら。今までと同じことを無理にするのではなく、できる範囲で行うとか、アウトソーシングするとか、別の代替え案を検討しようとはしないのは何故なのであろうか。
 ケンシンは会長が何かこれまでの方法を踏襲することだけが正であり、それが継続できない自分が、悪であると思い込んで、正しい解に向かっていないように見えた。若い人に頼ることで、その人たちの時間と労力をどれ程奪っているのか考えたことはないように。
「、、私たちが若い頃はねえ、声がかかれば、どんな用事があったって、一目散に駆けつけたもんよ、、」
 あなたたちの若い頃は、成長する将来にまだ希望があり、同じことをしていても飯が食える時代だったんだろうと、うそぶくケンシン。
「、、いまの子はみんな自分勝手で、自分さえよければって感じでしょ、自分の子供より自分が楽しむことを優先するんだから、イヤになっちゃうわよ。ウチのヨメなんてね、、」
 と、ついに家庭の愚痴まで言いはじめた。今日の売上げの計算もまだなのに、やりながら話を聞くわけにもいかず、手は止まったままだ。
 だいたい、お互いの方向性も確認しないまま、これまでの慣習を立てにして、それがさも正義だと言わんばかりに振りかざされても相手は閉口するばかりだろう。
 共通の利益を手にするために、どこが問題点で、その課題を克服するために、お互いがどうすれば最大利益が得られるかを意見を出し合って、解決策を見つけ出すことが必要であると、ケンシンは先日受けたばかりの講義内容を思い起こし、ここに生きた教材があると感心していた。
「、、なんだから」言いたいことを言ってスッキリしたのか会長は時計を見て「あらやだ、もうこんな時間、もい一軒行かなきゃイケないのよ。時間食っちゃたじゃないの。じゃあ必ず来てね」と、チラシを押しつけて店を出て行った。まるでケンシンが時間を取らせたような口ぶりにあたまを掻く。
 押し付けられたチラシは丸めてポケットにねじ込んだ。店のゴミ箱に捨てるのはどこで目につくかわからず、家に帰ってから捨てるつもりだ。行かなくても店長のせいにすればいい。文句を言われても今みたいに、聞き流していればいい。
 途中になっていた、売上げの計算の続きを急いではじめる。会長のけたたましい声が、前の店から聞こえた。会長が言う所のブティックでは例の彼女が対応していた。困った顔をしているのがここからでもわかる。
「おっ、ようやくいなくなったか」嵐が去ったのを嗅ぎ付けて、アタルが中から出てきた。
 ようやく売れ残りのパンを片付けはじめだしても、彼女が会長と話している姿を見逃すはずはない。
「なんだよ、あの店も狙われてたのか。うわあ、カノジョ、めっちゃ困ってるな。そりゃそうだよな、来たばっかで、何もわかんないから」
「おまえさ、そう思うんなら、助けてやったら? キッカケ作れるかもよ? 」
 思った通りのアタルの言動に、ケンシンは計算機を叩きつつ、つれなくそう言った。
「だよなあ、でもオレ、あのおばちゃんホント、ダメなんだわ」
 店の看板を置いた場所のことで、たまたま居合わせたアタルはさんざん説教をくらい、その後も何かあるごとに目をつけられていた。ケンシンもそれを知って楽しんでいる。
 売れ残りの片付けを終えても、まだ恨めしそうにふたりのやり取りを眺めているアタルは、じゃあオレ先にあがるわと、店をあとにした。後ろ髪を引かれる思いがひしひしと伝わってくる。
 そんなアタルにお疲れとだけ声をかけて、ケンシンは遅れを取り戻そうと表計算ソフトに打ち込みをする。計算が一致して、店長にメールを送るまで帰れない。
 調理場の片付けも終わったようで、厨房から顔だけ出したチーフが、戸締まり頼んだぞと一言残して、裏口から帰っていった。
 レジの日はだいたい遅くなり、今日は余計なジャマが入ってさらに時間がかかっている。そんな日に限って計算が一発で合わず、何度か見直しして入力をやり直している。
「あのお、」画面に集中していたため、声をかけられたことに気づかない。
 人の気配と、何か声がしたようで思い出したように顔をあげた。彼女が目の前にいた。白い肌、クリッとした大きな目、プックリとした柔らかそうな唇。近くで見ると、さらに美しさが際立ってくる。
 映画の巨大スクリーンで女優を見ているようだ。イヤミのない甘い香りがホンノリと漂ってくる。ケンシンは計算が合わず四苦八苦していた険しい顔のまま硬直していると、申し訳なさそうにもう一度声をかけてきた。
「あのお、お仕事中、申し訳ありません、、」
 テレビのアナウンサーのような良く通る声だった。それでいて何か甘えたような、頼りにされて、つい聞き入ってしまう声だ。ケンシンは一気に心拍数があがり、脇から汗が出た。
 何か言わなくてはいけないのはわかっているが、言葉が出てこない。
「、、明日の掃除の件で、教えていただきたくて。わからないことがあったら彼に聞いてと言われて、、」
 ケンシンと同じように、彼女も会長に掃除当番を押し付けられたのだ。彼女しかいないからそうなるだろう。どこを見ていいのかケンシンの目は泳ぎぱなしである。そして胸元のネームプレートに目が止まった。ムラサワと書かれている。
 名前だけを確認して、直ぐに視線をずらした。胸を凝視していると彼女に見られたくなかった。ニット地の効果は至近距離ではそのパワーを最大限に発揮して、丸々と膨れている胸部のその迫力に圧倒されてしまう。
 気づかれないように用心して覗き見ていても、女性には丸わかりだと聞いたことがあり、ケンシンは必要以上に警戒してしまう。
「あのう、ムネ、、」そう彼女に言い出され、ケンシンは真っ赤になって否定した「見てません、見てませんよっ!」。それではかえって怪しまれるほどに。
 彼女は一瞬大きく目を見開いて、そして口をおさえて吹き出した。ケンシンは何がどうなったのかわからずオロオロしてしまう。
「大丈夫ですよ、わかりますから、ムネ見られてる時って」彼女はニッコリと笑って言った。
「胸のネームプレート。カミカワさんって言うんですね。私はムラサワです。ムラサワ マオ」
 そう言って、ムネのプレートを突き出した。大きな膨らみが一層強調されるので、プレートを見ながらのけ反ってしまう。続いてマオは、ケンシンのプレートを指さす。
「すいません、初対面なのに名も名乗らずに、ちょっと、動揺しちゃって」とケンシンはあたまを下げた。
 たぶん、マオにいきなり話しかけられれば、男はたいてい動揺するだろう。いったい自分になんの用事があるのかと、いぶかしがってもおかしくはない。それほどに平凡な男にとっては次元の違う存在だ。
 気さくに話しかけられてケンシンは少し気持ちが落ち着いていた。
「ああ、そう、あっ、イヤ、これ本名じゃないんだ。ショップ名って言うか、店だけで使ってる名前。顔と名前、バイト先で覚えられるのイヤだから」
 名前のことを人に話すのは初めてだった。アタルは同じ学校に通っているのでケンシンの本名を知っている。ケンシンがそれをマオに伝えて、流れの中といえ余計なことを言ってしまったと後悔した。
 そんなことを言えば、マオも本名じゃない場合、カミングアウトを強要しているように取られても困るし、ケンシンに本名を訊いてこられても困る。
「へー、そうなんですね。 知らなかった。私もそうすればよかったかな」
 マオは、複雑な表情をしていた。自分のようなわかりやすく、名前を変えて身を守った気になれるぐらいの、単純な人生を歩んでいてはわからない気持ちがにじみ出ていた。
 本名だったと喜んでいいのか、これだけ仕事で気苦労している彼女のことだ、本名と思わせておいて、実はそうでない可能性も考えられると、推測をしているうちにいったいどちらが正なのかこんがらがってきた。
 そんなことより、この状況をどうにかしたいケンシンであった。いまの自分が彼女の役に立たないことを知ってもらわないと、どんどん泥沼にハマっていきそうだ。
「ごめん、おれバイトだから、モールの規則とかよくわかんないし、今日は店長いないから、取り敢えず話し聞いといたけど、明日は大学もあるし掃除は来れないんだ」
 彼女は難しいそうな表情で話を聞いていた。そんな顔をされるといたたまれない、アツシだったらどうするだろう。調子の良いこと言って、一緒に掃除するだろうか。
「そうなんですね」彼女はポツリとそう言った。そんな表情を今日も何度か目にしていた。外見が良いだけで、厄介事がひとより多く発生するのも有名税と言っていいのだろうか。
 ケンシンはどうすればいいかわからない。気になりながらも、なにもできなかったから今がある。何時だって、何処だって。たぶんこれからも。
 身の丈以上のことをして何度も失敗してきた。その不成功事例に囚われている。たまに成功した事はアタマに残り、何時までも有効だと信じて、消費期限を過ぎていることに気付かない。
 自分では彼女を救うことはできないのだ。ならば関わっても仕方ない。
「わかりました。そういう事情でしたらしかたないですよね。なんだかご迷惑かけちゃったみたいで、申し訳ありませんでした」そう言ってアタマをさげた。
 自分の方に否があると下手に出て気を遣っている。大袈裟でもなく、礼儀的でもなく、ケンシンには丁度いい加減の振る舞いだった。
 多くの意にそぐわない男たちと接していく内に身についた、相手を不愉快にさせない所作なのか。ケンシンも気の利いた言葉でもかけられればいいが、そんな器用さは持ち合わせていない。
 人生はままならないもの。一部の成功者が取り立たされるのも、その秘訣を知りたい大勢の人間がいるからで、全員が成功者になれば、誰もその秘訣を知りたいとは思わない。世にあふれる啓発本はこうして増えていることがそれを現している。
 この女性も、マオも、ひとが羨む容姿をしていても、幸せではない。むしろ余計な外因に時間を割かれ、好意的だったひとを敵に回し、いわれのない暴言をはかれることもあるのだろう。
 だったら自分ぐらいは、そっとしておいてあげたほうがいいような気がするケンシンだ。それが自分の身をわきまえた行動だと納得させる。アタルにも気を遣わせていた。
 マオは失礼しますと、お辞儀をして店に戻っていった。