private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over25.41

2020-04-12 12:40:49 | 連続小説

「そういう踏ん切りをつけられないまま大きくなっていく子って多いからねえ。卒業と入学を繰り返しいるうちは、環境の変化が否が応にも身につまされるじゃない。それがなくなったとき、もう自分からはなにも踏み出さなくなってしまうのよねえ」
 母親がそう応えた。自分から踏み出さなくても、まわりの変化にのり遅れないようにしなきゃいけないと、それの繰り返しだった。自分がそれほど劣っていなければ、必要以上の努力をせずにここまできた。
 自分で走ってるとき、力まかせにダッシュしたってカラまわりするだけで、そこで損失するエネルギーをいかに少なくするか考慮しつつ、シューズが地面に食いつきながらも、徐々に摩擦を押さえて抵抗を少なくしていくポイントを見つけだし、シューズに体重をかけ、適切なを保ち、より遠くまで次の一歩を稼ぐ動作を繰り返し模索していた。
 足だけが前に出て上体が反って上滑りしてしまっては、力強い加速が得られないのは明白で、昨日クルマを運転したときも、同じ失敗をしてつくづく学習能力のないことに気づく。前進するための適切なエンジンの回転数を見つけ出すとか、もっとも効率的なタイヤへの伝わりかをそのときは感じられなかった。
 今日ギターを弾いて、それはそんな運動能力とはまた別のとらえかたがあった。うまく弾かなきゃってことより、心の奥から湧き出す次への行動が連鎖していくだけで、技術うんぬんより感情だけが先に立っていく。それが変に心地よかったりして、、、 聴いてる側は迷惑だったか、、、
 ひとつの経験則からの成果を、ほかに転用できないところが能力の差になってあらわれるのか、、、 偉人は歴史に学び、凡人は経験でしか学べない、、、 歴史の勉強しとけばよかったかな。とか言って、それ以外もしてないおれ。
「その時期を認識できてないと、いつまでも空回りの努力が続く。自己成長と、努力の曲線が一致しなくなると、身も心も不安定になって、大人になってからそのバランスが狂うからそこから這い上がれなくなる」
 朝比奈はそう最終通告な感じで言った。おれの行く末を示唆しているのか。母親だってそう思ってたならなんとかしようとしなかったのか、、、 ああ、だから言ってるのか、、、 朝比奈とふたりで結託するのはどうかと、、、 おれは針のむしろで、ますます肩身が狭い。
「なあに、母親のわたしから人生の行く末を明示して欲しかったの。いつもなら、絶対そんなこと言わないでしょうに」
 そりゃ面と向かってそんなこと言い出せるわけがない。人間だってクルマと同じで、身体を動かしていれば筋肉の可動もスムーズになり、いわゆる温まった状態になっていけば速く走れるように、走りつづけているクルマはしだいに血が巡り、、、 油かな、、、 アタリがついてきて、動きがよくなることもあれば、各部所の温度が上がりすぎて挙動が悪くなることもあるように、おれのアタマも滑らかになり余計な言葉も漏れていく。
 タイヤなんてその最たるものだし、つまりシューズね。それにプラスして路面の状況だってフラットであるとか、波打ってたり、曲がってたり、傾斜してたり、砂が多いとか、弾力があるないで、蹴り出してからスピードに乗るまでの勢いにも違いがでるもんだ。
「母親なら、一生懸命やってる自分の息子を卑下するようなことは言わないわ。たとえ的を得てようが、そうでなかろうが、そんなことは関係ないでしょ」
 変わりゆく状況を身で感じて、把握した上で次なる手段であり、判断であったり、それを一瞬のうちに決めなきゃいけないから、あたまのなかいっぱいで、でもそんなものみんな自分のやってることを自己肯定しているだけだ。
 同じだった、あの時と同じ。繰り返してやるほどにからだに染み込んでくる。それがいつのまにか、あたまで考えたり判断したりするより、からだが、手が、足が勝手に判断してくるようになってくる。おれはなにをやるにしてもその感覚になる時がすきで、そこを追い求めていたんだ。
 そうして一体化していく。からだと意識と動きが、それを認めてるのが知られるのは怖くて、だから気のないそぶりをして自分をごまかしていた。
「よかったわね。めずらしいじゃない。イッちゃんが自分のことそれだけ表に出すの。そりゃ、この年頃の男の子が母親に素直に自分の心配事を話すってしづらいから、部活のことこれだけ話してくれたのも初めてになるわねえ。クルマの運転したってさすがに意外だったけど、どうやら朝比奈さんが段取ってくれたようね」
 うっ、たしかに。調子に乗っていろいろと開示してしまった。クルマの運転に関係性を持たせると文学的かなって調子にのったあげく、墓穴を掘ってしまうなんて、つまりはうまいことふたりにはめられたんだ。
 おれは子どものときどうしても人気ロボット漫画のオモチャが欲しくて。お年玉ためて買おうと思ってたんだけど、それを母親がプレゼントで買ってくれて、朝起きたら枕元に置いてあり、大興奮で包装紙をはぎとるおれ。母親は化粧台の前で素知らぬ顔して、あら、よかったわねなんて、、、 そんな夢をみた。
 それで、目を覚ましてガッカリするわけだけど、ガッカリしながらもどうしておれはあれほど欲しがっていたのか、もうその時はわからなくなっていた。なんだかひとの欲求なんてものはすべてそんなもんで、夢なんだったけど、手に入ればどんなもんでも、どうしてそれほど欲しかったのかもわからないモノでしかないって。
 それからだったのか、なにかを欲してながらも、それを手にいれるのが怖くなっていた。自分がなにを求めて、なんのために努力して、それを手にしたときどんな気分になってしまうのか知るのが怖かったんだ。だったら、いつまでも手に入らないほうがいいんじゃないかとか。
 いつまでも手に入れられない。それはやりとげたって思えない状況が続けばいい、まだその先を見て、その先があって、それでもまだその向こうがある。そんな状況に浸かっていたかった。いつまでも。
「そうね、高望みして自分をごまかすのも、ひとつの手ね。そこから本当になることだってあるし。なんにしてもね、いつかは知ることになる」
 朝比奈はそう言った。母親も完結したようにうなずいていた。
「そう思ったんなら、はじめなさい。すばらしき時間のはじまりねえ。ふたりとも、その若さを有効に使いなさい」
 おれは手をつけていなかったパウンドケーキを口に入れ、紅茶で流し込んでいた。まったく情緒もへったくれも、食に対する感謝のかけらもない食べ方だ。それでもうまかった。安心して食べられる母親の味だ。
 一から十まで教えてもらい、女友達の力まで借りて長男の行く末を案じてもらい、なんだかはずかしいやら、もうしわけないやらでヤケ食いになっていた。でもそう思っているのはおれのほうだけで、もうふたりは次の世界に進んでいた。
「おいしかったです。ごちそうさまでした。こんなにいっぱい食べたから、今日は夕食はなしでも大丈夫なくらい」
「そう、これからもね、よかったら食事しに来て。ひとり分ぐらい増えてもどうってことないし、いつもお昼はわたしひとりで食べてるから、ちょうどいいのよ」
「あっ、でも、もう夏休み、終わっちゃうんですよ」
 そう、もうすぐ夏休みも終わる。そして朝比奈は、アメリカというおれが映像と文章の中でしか見たことない、実在するかどうかも危うい場所に行ってしまい、たぶん、もう二度とこんな時間を過ごすことはないだろう。
 欲する前から手にしていて、それからなくすってのはどれほどの苦痛を感じるんだろうか。