SCENE 23
「で、なんの用?」
なんとも決りの悪い体裁の戒人がそこにいた。
これまでの放置に対するあたりまえ過ぎる言葉は、少しはかまって欲しい戒人の気持ちを焦らしているともいえる。
「なんか、このところお呼びがかからないわりには、親父とは何度か会ってるって聞いたんスけど。それに、せっかく人力車改造したし、二日間泊り込みで徹夜して仕上げたっていうか、結構いいできなんスけど… できれば乗って欲しいかなあって。あっ、でも長距離は無理ッスけど」
お願いなのか、愚痴なのか、文句だかよくわからない言葉の羅列に恵も苛立つ。
「なに? なに改造したって。どーしちゃったの? あれだけやる気なさ前面に押し出してたのに、ひとのことさんざん煙たがって避けてたぐらいなのに、放っといたら急にやる気出しちゃって。なにか心境の変化でもあったとか? い・わ・ば。縁日で釣った青ガメが、ろくに面倒もみないまま秋口まで忘れてたら、急成長しちゃったって感じ? アンタ、放置しといた方が成長するのかもね。私も人を見る目、まだまだだわ」
なんだかまんまと魔女の棲む魔窟へ足を踏み入れていた。目が合えば固まって石になってしまうのだ。その前になんとかしなければと心配しつつ、自分の中心部分は石になったほうが見栄えがいいのかもしれないと、余分な心配だけは忘れない。
「その青ガメのくだりはいらないッス。そもそも青ガメに例えられるって… あっいえ、青ガメで結構です。光栄なくらいで… 」
なぜかそこまで卑屈になる。当然、恵は冷たい視線で一瞥し、椅子を回してPCに向き合った。
「忙しいんだから、要件早く言ってくれるかな、青ガメくん。ないんなら、廻れ右ね」
指先をひねるポーズと、その言葉につられて足がまわりそうになったのを踏みとどまった。
「だから、そのですねえ。部長があんなこと言うから」
「なに? なに言った?」
「つまりその、駅からの送り迎え、頼まれるかと思って、人力車の乗り心地がひどいって言ってたし、オレも引くの辛いし… 」
「ふーん、別にね、よく考えれば、わざわざ会長に家にいくまでもなかったし。話しをする内容によって、適切な場所ってものがあるからね。いろいろなお店やさんに行って打ち合わせしたら、会長さんにも喜んでいただけてよかったわ」
なんだか男として、自分の会社の上司が、自分より親と親密になっている状況に素直に喜べない。二度と顔を合わせたくもないと思っていたくせに。いまでは単純に嫉妬心さえ芽生え出している。
「アナタのお父様って、最初はあたまが堅いだけの岩窟オヤジかと思ったけど、どうしてどうして、話しのセンスもいいし、読みも鋭い。思慮深いところもあり、本当に商店街のことを憂慮されている。あなた本当に会長さんの息子? 養子とか、転がり込んだとか、もしかして拾われてきたかな?」
「だから、青ガメじゃないし… たぶん、本当の息子のはずだと、それ以外の記憶ないし。あれっ? 子供の頃の記憶自体あんまりないなあ。てことはやっぱり血がつながってないのか。そういわれれば気になることもチラホラと… 」
「なにマジメに悩んでるのよ。イヤミよ、イ・ヤ・ミ。いいかげん察しなさないよ。でっ? どうしたいわけ。私もね、あれ以来余裕なくってね。今日もまだ4箇所回らなくちゃならないから時間取ってられないのよね。どうしてもっていうなら、9時に打ち合わせ終わるから、総合駅で待っててくれれば見てあげてもいいけど」
なんだか、ついこないまでいいように使われてうんざりしてたほどなのに、こうまで上から見られても、逆になんとかして自分を使ってもらおうと必死になってくるからおかしなものだ。
「あっ、そうスか… わかりました… 」
戒人は釈然としないままうなずいて部屋を後にした。恵はそのうしろ姿を見ることもなく資料に目をおとし、プリントしたレポートと見比べ確認作業を続ける。
――ボディブローがじわじわと効いてきたのかしらねえ。けっこうカワイイとこあるじゃない。
扉が閉まると上目づかいにしてほくそ笑む。
思い描いた結末には到底至らず、結局なにがしたいのかわからないままの戒人は、自室に戻る前に休憩室でコーヒーでも飲んでいこうと、廊下を曲がり休憩室に足を踏み入れた。すると社長がいそいそと脇を通り抜けていく。社長はチラリと見ただけで、社内で顔の売れていない戒人など特に気にかけることもなく奥への歩を進める。
戒人は大きくため息をついて首を振る。紙コップを引き出し、サーバーのコーヒーを注いで足高になっている長椅子に腰をまかせた。コーヒーの香りが鼻孔を突き、ひとたび気持ちも落ち着いてくる。そうすると聞くとも無しに二人の会話が耳に入ってきた。
「 …泣きついてくると思ったが、そんなそぶりも見せん。それどころか日々ほうぼう駆け回って忙しくしている。いったいなにをやろうとしているんだ彼女は。知っているのか関根くん」
セキネの名前が出て戒人は首を向けた。社長と話している相手は柱の向こう側で姿は見えない。
「さあねえ、もうすぐ夏祭りのシーズンですから、それにからめた企画でも考えているんじゃないですかねえ」
たしかに、あのセキネの声だった。社長が話している相手がセキネというのは以外だった。総務でなんの仕事をしているのかわからないような定年間近のロートル社員が、社長の深刻そうな問いに答えている。
「そのわりには、なんの稟議も上がってこん。どうなってるんだ。秋には合併も控えているんだからな。変な動きがあればすぐに報告してくれよ。総務で遊ばせているのは伊達じゃないんだからな。たのんだよ」
声を絞って話す社長に怪訝な顔をする関根。社長は親指でコーヒーサーバーの方を指す。関根は腰を反らし、柱をよけ視界を確保してみても、そこには誰の姿も見られない。肩をすくめる関根に社長は細かくうなずき、さきほどの男は気を利かせて席を外したものと理解した。
「まあ、彼女も部長ですからねえ。自分の裁量でできることも多いですから、あとから報告書の提出で済むと思っているんでしょう。心配なら社長の権限で先に報告させるようにしたらどうですか」
「いやあ、そこまではいい、彼女に気にしているように思われるのも癪だ。まかせると言っておいて、心配してに首を突っ込むのもうまくない。最善のストーリーは彼女が暴走して失敗すればいいことだ。変に途中から企画を知ってしまえば、それを修正しなかったわたしの責任にもなりかねん。キミがしっかりと管理していてくれればいいだけだ」
関根に言わされているのにも気づかず社長は保身に走る。言質を取れた関根は強気に出られる。
「とはいえ、わたしの目に及ぶ範囲も限られてますからねえ。それ以上の仕事になるなら、はずむモノもはずんでいただかないと。わたしの忠誠心はあくまでも出てくる資本の量しだいですからね。より多くを用意して貰えれば、それに報いる仕事はしてきたし、これからもしていくつもりです。次も社長がより多くを用意できる立場にあればわたしも幸いなのですが… 」
関根は思わせぶりに社長を揺さぶる。含まれる言葉に敏感になる。
「先方とどこまで話しをしているのか知らんが。合併の条件として役職の人数を半分に減らせと言ってきたのは向こうだ。彼女はそのひとりなんだし、それについては問題ないだろう」
「しかも、ただ辞めさせるのではなく、できるだけ大きな失態をさせて今後この業界に居づらくさせる。いや、亡きモノにしようとしているというのは少々やりすぎ、気にしすぎだと思えますけどねえ。だからこそ彼女も地下に潜って抵抗をしてる、とは言えませんかね?」
「知らんよ、そんなこと。彼女だって仕事をしていく上で、何処かで、誰かに恨みをかったとしてもおかしくないだろ。出る杭は打たれるんだ。それが嫌なら、引っ込んでいるか、打たれんほどでかくなればいい」
「そうですね。では、わたしは引っ込んでるとしますか」
あきれ顔の社長が手を返す。
「なにを言っているんだ。出すぎとるんだろが」
片方の口角を上げた関根は、片手を挙げてその場を離れた。社長はタバコに火を付け窓の方へからだを向きなおす。出口へ向かう途中にテーブルの上に置かれた空のコップに気づき足を止めた。振り向くと社長は深く吸い込んだ煙をガラスに向けて吐き出している。さきほど自分が気にかけていた闖入者が置いていったと思い、コップを手に取ると顔をしかめて握りつぶし、そのままゴミ箱へ放り投げた。
――まだ、温かいじゃないか…
陰にひそんでいたとか、舞い戻ってきたという可能性もある。誰も居ないと変に安心して普通に会話してしまったのはうかつだった。
関根が席に戻ると、薄暗い表情でうつむいて席に座っている戒人を見つける。
「どうしたの、仕事してないのはいつもと同じだけど、めずらしいのは元気がないとこだねえ? 席外す前はそうでもなかったのに、お腹でも痛いのかな? それともなにか、やっかいな話しでも耳にしたのかな… 」
――こどもじゃあるまいし。もう少し説明したくなるような言い方してくれないかな。なんだよ、やっかいな話しって。ああ、さっき社長としてたことか?
「セキネさん、社長と仲いいんですね。オレなんか顔も知られてない。きっと出入りの業者ぐらいにしか思われてないんスよ」
いきなりビンゴ!と拍子抜けしたものの、やはり聞かれてしまったかと胸の内で舌打ちした。それにしても戒人の様子からは、関根に対してなにか言いたいことがあるとは思えない。こうもあっさりと白状されると歯ごたえがないというか、どこまであの会話の重要性を認識しているのか。戒人のことなので少しの想像力も働かせていないとは思うが。
――おバカさんだからなあ。よけいに、なに考えてるのかわからんところがやりづらい。恵と変につながっているのもうまくないなあ。コイツが意味もわからずしゃべったとしても恵には読み取られるだろうなあ。
「キミ、上昇志向はないんでしょ。わたしだって別に社長と仲がいいわけじゃないよ。年を取るとね、聞きたくない話しも耳に入ってくる。それだけだよ」
――別に、年取らなくたって聞きたくない話しなんて、いくらでも聞こえてくるんじゃねえの。セキネさんなにが言いたいんだ?
関根の遠まわしの言葉など、戒人が気をまわせるはずもなく、口をあけたままのアホづらで関根の次の言葉を待っている。とはいえ直接、二人の話しをどこまで聞いていて、理解したかを聞くわけにもいかない。時間はかかるがいろいろしゃべらせてボロを出させるしかない。
「商店街の件、うまく進んでるみたいだねえ。よかったじゃない」
「そうなんスか。へーっ、えっ? なんでセキネさんそんなこと知ってんスか」
――なにも知らないのか、本当に。わたしが作った企画書も見てないのか? 親子だろ?
「そりゃ、会社の総務にいて、月報とか、経理報告で確認すれば、どこからカネが出て、どこにカネが動いてるか、見えるでしょ。キミ、見えない?」
――あーあ、おれ何してんだろ。何したいんだろ。あっち、こっちでいいように乗せられてるだけだよな。
「えっ、何でした? ゲッポー、ケーリホーコク。それうまいんスか?」
家で飼っている犬とのほうがよほど疎通がとれる。これ以上会話を続けて不毛だと思ったところでストレート勝負に切り替えた。
「あーっ、どうだろ? そんなことより、わたしと社長の話の中で、なにか興味深かったことでもあったのかな? なんの話か、キミ、わかった?」
――さっき、すれちがった娘、可愛かったなあ。あまり見かけない顔だったけど、営業の業務かな? こんどナカザワに聞いてみよ。仁志貴だったらすぐ食っちまうだろうな
「あっ、いえ、なにも聞いてませんでしたから。オレ、二人が話し始めてすぐ休憩室出たんで。ジャマだと思ったから、気を利かせたつもりなんスけど… 」
関根は椅子を回し反対を向いて力を抜いた。とんだ時間の無駄づかい。しょせん、このおとこは、それぐらいのものなのだ。とすると、他に聞かれた人間がいる。なにか手を打たなければと関根は思案しはじめていた。
関根にソッポを向かれた戒人は恵との約束をどうするか悩んでいた。
――9時に駅か… ドラマにかぶるな。