private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2015-12-26 16:16:52 | 連続小説

SCENE 19

「お忙しいところ、お呼びだてして、もうしわけございません。ビルの屋上もいいですけれども、こういったお店もまたよろしいかと思いまして」
「外交辞令はいいよ。たいして忙しくもない老いぼれだ。それにひとりじゃこういった店など入れない。あなたと一緒ということで大手を振って入れるから、長生きはするもんだ」
 会釈をする恵が、V字ネックのニットにスラックを羽織っているものだから、前かがみになると胸の谷間にあらわれる陰の輪郭でふくらみを強調する。会長も思わず目線を入れてしまい、あわてて紙ナプキンに手をやりごまかそうとする。恵はかるく首をかしげて言葉を続けた。
「そんな。老け込まれるのはまだ早いですよ。これから目が回るほど、足腰立たなくなるほど忙しくなりますから。覚悟しておいて下さい」
 言葉に含みも見え隠れしても、それは考えすぎだと自嘲して。
「時田さん。人の印象というものが、いかに重要であるか、今回あらためて考えさせられたよ。今はもう、あなたのすべての行動に意図があるように見えるんだからね」
 そして、残念なほど戒人のすべての行動に何の意味も見えない。
「そんなに持ち上げられると恐縮します。あまり深く考えすぎずに、このお店での食事をお楽しみください。深読みはときに人生をつまらなくしてしまうことにもなります」
 そう言われて、あらためて店内を見回した。小さな店内は10人も人が入れば一杯になるだろう。それよりも違和感があるのは年のせいなのか、ここが何の店なのかまったく見当がつかないことだった。
 和の様相もあり、ヨーロッパの伝統的な雰囲気もあり、開拓時のアーリーアメリカンテイストも見受けられる。それがうまく混ざり合っているかといえばそうでもなく、ただ個々人が勝手に飾り付けただけにしか見えない。
「失礼だが、ここは何を食わせる店なのかな?」
「会長は、好き嫌いはございますか?」
「いや、戦後すぐに生まれて、好き嫌いなんか言ってる場合じゃなかったからね。口に入れば何だってうまい。さすがにこのごろは余り脂っこいものは好まんが」
「それは良かったです。本日は和食系のシェフが入ってます。大体の好みを伝えればお任せでコースをつくってくれますから」
「はあ、本日? 和食系? お任せとか、私が知らん内に外食もずいぶんと様変わりしたようだな」
 そういわれれば店内に御品書きやテーブルのメニューも見当たらない。恵は立ち上がると調理台越しにシェフと、ひと言、ふた言、会話を交わしはじめた。どうやら給仕するスタッフもいないらしく、話が終わった恵はそのままカウンターの奥にあるウォーターサーバーでコップに水を注いで戻ってきた。
「このようなお店は初めてのようですね。心配なさらないでください。私がサーヴィスいたしますので」
 恵がまた無関心に身をかがめてコップを置こうとするので、会長はすかさず顔を横に向けた。近頃では軽装で外出したり、ビジネスの場に立つことも珍しくはないようで、本人は平気とはいえ誰にでも見て欲しいわけではないはずだ。コップの水をひとくち含み会長はたずねる。
「サービス… ですか?」
「ああ、失礼しました。つまり私がするサーヴィスとは料理を注文したり、飲み物をつくったりして運びますから、会長は気楽に、お家で食事する気分でいていただければ結構です」
「そうか、昔は家では、妻がそういうことはやってくれた。外食しても妻にすべてまかせっきりだったからわたしは何もわからんままだったが、今じゃそういったものもサービスの一環になるのか。時代と言えばそうなんだろうが、わたしにはどうもね… おっと、そんなこと言って困らせてもしかたない。今日はあなたに任せますよ」
「そうですね。私が至りませんでした。今の価値がすべての人に対して公平かどうかは別ですよね。ただ、ひとがしたがらない仕事をすることで事業が成り立っているのも事実です。会長にとっては、あまり愉快な話ではないかもしれませんけれども、奉仕は労働という言葉に置き換えられ、やがてはサービスに転化されます。機械できるなら自動化されるし、需要が見出せなければなかったことにされるだけです。これもまた現実であり、まぎれもなく現代の価値であることをご了承いただかないと、これから話す内容も理解され難いと存じます」
「それはな… そうなんだろうな。新しい文化が定着するまでにはバカバカしいと思えるほどの争いの中で時間だけが浪費され、だが一度定着してしまえば、過去のなりわいが逆に信じられない愚行と笑われる。それが歴史の繰り返しか。いいんだ。気を遣わせてしまって。しょせんわたしは失敗した人間だ。今を動かそうとするならば、今の価値の庇護のもとで行動する必用があるならば、聞かせてほしい。今日あなたが持ってきてくれた、我が商店街の向かう先を」
 恵はおだやかに相好をくずしていった。戒人にこの血が受け継がれているなら、いつかは開花するのだろうか。
「わかりました。でも、なにか飲み物でもいただきましょうか。会長は何をご所望されますか? 日本酒と言っていただけると嬉しいのですが… もちろん適量に控えさせていただきます」
「やっておいてよく言う。わたしが日本酒に目がないのも先刻承知か。その台詞も段取りの内のひとつなのかな」
「ふふっ、ご想像におまかせいたします」
 立ち上がった恵は、お盆に猪口と徳利、つまみを添えて戻ってきた。
「ツマミはあみ漬けか。ということは、酒は八海山かな。いったい誰の入れ知恵だ。戒人はそこまでわたしのことなど見とらんからな。商店街の誰かに聞いたんだろう」
「会長。謎解きはそれぐらいになさって、せっかくのお酒が不味くなりますよ。会長が奥様の愛情で夕食を過ごされた時期を懐かしんで、想い出に浸っていただければ幸いです。私に会長の奥様の代役は、役不足であるのは充分承知しておりますけれども」
 そう言って恵は徳利を手に取り、会長に酒を勧める。久しぶりの酌で、しかも若い女性にしてもらえ照れくささもあり、なかなか猪口に手が伸びない。恵が笑顔で何度も徳利を差し出すので、仕方無しにといった風情で、ようやく猪口を持ち上げる。注がれた酒をひと口で空け、口をつけたところを指でなぞり、今度は空の猪口を恵の元へ置き、徳利を取り上げた。
「もちろん、ご返杯、いただきます」
「そこまで知ってるなら、わたしの妻のことも知っておるのだろう?」
 恵は、右手を添えて猪口を構え会長の酌を待ち、会長は無造作に片手で恵の猪口を満たす。恵もまたひと口に飲み干し、薄く口紅が付いたところを同じように指でなり、会長の問いには寂しげな表情だけで答えた。
 そのやりとりを待っていたかのようにして、料理長が皿を運んできた。その皿にはなんのヘンテツもない、お好み焼き、焼きそば、たこ焼き、フライドポテトとから揚げが少量づつ盛ってあった。
「時田さん。これは… 」
「そうですね。お祭り屋台の定番メニュー。ひとくちサイズにしてありますので、それぞれ召し上がってください。さすがに日本酒には合わないでしょうけども、ご評価はそのあとでお伺いします。もちろんそのあとに、ちゃんとした和食の夕食もご用意しておりますので。日本酒とともにお楽しみいただけるかと」
 会長は手元に添えられている爪楊枝を取り回して、順番に食べはじめたところで、恵はなんの躊躇もなく企画書を開き説明をし出した。
「まず、ご提案のひとつです。まつりで使える商品券を発券します」
 会長は、たこ焼きをちょうど口に入れたところで、あわてて水を飲み、ハンカチで口元を拭いた。どれどれと覗き込もうとすると、恵は資料を持ち上げ、首を振った。
「どうぞ、そのままお食事を続けてください。お耳だけ拝借できれば結構なので」
 自分だけが食べて、それで仕事の話しを聞いてもいいのかと訝しがる表情をあらわにしても、恵は微笑んだまま料理に手をかざすので、これにも何らかの理由があるのかと、いたしかたなく食事を続けた。怪訝な顔つきを横目に、恵は資料に目をやりつつ説明を続けた。会長が何度も問いたくなる衝動が起きても、そのたびに分かったように恵にニッコリと微笑み返しされるものだから、言葉と説明も料理と一緒に飲み込んでいた。
 会長が一通り食べ終わるところで、ちょうど説明が終了した。
「そりゃ、おもしろい企画だ。だが… 」
 そうして堅く腕を組んだ。
「 …だが?」
 なにやら恵に奥の奥まで見透かされているようで、なんとも居心地が悪く、気にかかる部分をうまく指摘できそうにない。
「問題点なんかあげつらえばいくらでもでてきます。やらないための言い訳も同じです」
「しかし… 」
 のどの奥にモノがつまったような態度に、ここぞとばかりに恵が言い放つ。
「もし。もし会長の今までの人生がうまくいっていなくて、思いどおりにできずにいて、いろんなことがやれずに残されたままと思っているなら、これから仕切り直せばいいんです。これからがうまくいくかもしれない。これからが思い通りになるかもしれない。そして思い残されていた、ひとつ、ひとつがかなっていくかもしれない。それってすべて自分しだいですよね。半年間でもいい、一ヶ月でもいい、頑張ってみましょう。これまでできてなかった現実をすべてとして、経験だけを信用して、これからの人生を否定するのであれば、自分の残された命に対して失礼だと思います。なぜ人は生かされるのか? 生きる価値があり、必要とされ、やるべき仕事が残されているからだと私は思っています。私はこの仕事に全身全霊を賭けています。会長が二の足を踏まれるなら、他所に持っていっても成功させ、自分の手柄にしたいと考えております。そのため肝要な部分でのネタ証しはまだしておりません。それが会長を不安にさせているのかもしれません。私はこの企画をこの商店街で成功させたいと思っています。会長もぜひ私と勝負してみませんか」
 戒人といい、恵といい、若い者に尻を叩かれている時点で、すでに人生失格の烙印を押されているようなものだと自嘲してみても、そこで諦めてしまえば、たしかに終わりに向かっている老人でしかない。まだ自分にもやり直せる機会が残っているのか。それともさらに余計な恥じをかくだけに終わるのか。どちらにせよこのままではひとに誇れる人生とはいいがたい。
「あんた… そうだな。具体的に半年とか言わんでくれ」