private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2015-08-22 11:12:29 | 非定期連続小説

SCENE 10

「やあやあ、なんだか、めずらしく仕事してるねえ」
 消えた課長と入れ替わるようにして、戒人いわく用務員のおじさんこと、総務の古株である関根が席に戻ってきた。禁煙パイプを咥え、椅子の背もたれを前にして、手を組みアゴをのせ、戒人の仕事振りをながめるだけで自分はなにもしていない姿に、あんたにいわれたくないと、戒人は口に含む。
「オマエさんねえ、そんなにちんたらした働きぶりじゃ出世できないよお。給料も上がらないし。いいのかねえ、そんなんで。こう、なんか、将来への展望とかないのかねえ?」
――だからあ、言われたく…
「ないっス。オレはこれぐらいが丁度良いんで、ムリしたくないし、特にやりたいこともないし。つつがなく仕事して給料貰えりゃそれで充分っス。フューチャーへのビジョンをあえて言うならば、可愛い女の子と結婚することっスかね」
 英単語に変換したのは、せめてもの若者の意地か。
「うへぇ、いまどきの男だねえ。それって、昔の腰掛け女子社員の言うセリフよ。それで結婚して、自分がリストラされたら、その女に食わしてもらうつもり? いくら総務とはいえ、広告代理店でそんな考え方や仕事ぶりじゃ、まっさきに肩タタキの対象だねえ。いやあ、そもそもよく就職できたもんだねえ。強烈なコネでもあったのかい?」
 毎日、何しているかわからないような関根や、すぐに姿をくらます課長が肩タタキにの対象になるまで、自分は大丈夫だと戒人は信じていた。もしくはそういった人材が総務に集められているならば安泰だとさえ思っている。
「コネはないっスけど、強力な運があったス。聞いた話だと。内定が出たヤツが病気で入院したらしく、繰り上げ当選ってやつですか? 持ってる人間ってとこっスよね。あと、入社後に言われたんスけど、キミは打たれ強そうだから裏方の仕事に向いてるよ。って誉められました」
 それはたぶん誉めてないと思われるが、何を言われてもポジティブに捉えるか、意に介さず自分のことと思っていないのかのどちらかで、この致命的な鈍さは、それはそれで才能なのかもしれない。
 プリントのキーを押して伸びをする戒人は、用紙が吐き出されるまで手を止めて、遠くを眺めるだけで、うんざりとした口調で言う。
「企画のヤツラとか見てると大変そうですもんね。たくさんの仕事に追いまくられて必死に働いて。終わったそばから、すぐ次の仕事回されて。いつ休憩するんスかね」
「そりゃそうだろよ。アイツ等にとって仕事はある意味、競走なんだから、相手より早くやることに意味があるわけでしょ。同じ内容なら、早く世に出したほうが勝ちなんだからねえ。だったら、休んでる暇はないでしょ。1秒遅れで特許の申請に先を越されたら、それでウン億がパーになることだってあるんだからねえ」
 部屋の奥に置かれたプリンターから用紙が排出された。新しく届いた複合機を設置したとき、とりあえずとして置いた場所が、そのままになっている。仕事の効率を考えれば全員の席から近いほうがいいに決っているのに、不便さを感じながらも誰一人それを言い出すことはなく、プリントするたび、FAXの送受信を行なうたび、スキャンするたびに部屋の往復を繰り返している。戒人もプリントが終わったことを知りつつも腰が重く、そのまま関根との会話を続ける方を選んでいた。
「なんかあ、ソイツらって、いったいナニと仕事してるんスかね。まわりに敵が見えてりゃ、リードしてるとか、もう少しで追いつけそうだとか、ムリだからあきらめた方がイイだとか。相手の状況に応じて、適当な判断ができるっしょ。見えない敵と戦わせられて、時間だけに追われて早くやれったって、何やってんのかわかんないんじゃないっスかね」
――なんだい、めずらしく真っ当なこと言って。そう言う口もきけるんだねえ。この坊や…
それでいいんだよ。それが社会が決めた給料をもらうためのシステムなんだから。まわりがそうなら自分もやんなきゃいけない。その中にいる限り抜けられないよねえ。言葉は自己実現だとか、上昇志向とか、耳障り良さそうだけど、結局はなにか仕事してなきゃ落ち着かない状況におちいってるだけなのにねえ。そうやって会社の方針に従って働いて、ムリだろうが何だろうが、結果を出させるのに都合がいいから、それで、会社も発展するし、見返りとして給料もあがるんってもんでしょ」
「上がるったって、働いた分上がるわけじゃありませんよ。凄い企画を成功させて、会社に莫大な利益をもたらしたからって、その人が他の10倍給料もらえるわけじゃないっスよね。せいぜいインセンティブとして手取りの一割もらえりゃいいとこでしょ。あっ、これ、実話スから。経理のミサちゃんが言ってました。じゃあ、その儲けがどこに行くかといえば、次への投資のために内部留保するなんて話しにしときながら、会社のお金を自由に遣えるひとたちの懐に入っているだけッスからね。これも経理のミサちゃんが、絶対秘密だって教えてくれました」
 そりゃたいした秘密だねえと、関根はつぶやく。席を立ち、戒人の代わりに出力されたプリントを取りに行った。
「だったら、オレ、いわれたことだけ、無難にこなして、使えねえヤツだと思われて、余計な仕事を振られないようにしてる方がいいッス。 …それなのに、なんの因果か、ウチの商店街に白羽の矢が立っちゃって、仕事中毒の女部長にこき使われるわ、課長に仕事おしつけられるわ、あっ関根さん、課長の分の仕事お願いしますよ。こんど商店街の優待クーポン持ってきますから。ねっ、ねっ」
「なんだかねえ。けっこう、あざといモノの考え方するじゃないの。一緒にお手々つないでかけっこした世代とは思えないねえ。ところで、ここの計算違ってるでしょ、あと、この漢字も。あーあ、言われたこともできないようじゃ、給料下げられても文句いえないねえ」
 戒人にプリントを差し出し指摘する。
「大丈夫っス。いわれた仕事はしますけど、その内容と、精度は保証しませんから。完璧な仕事は最後まで取っておかないと、最初から完璧にして自分でハードル上げちゃうと、あとはマイナス評価しかないですからね」
 どこまでが本気かわからない戒人に。せめて課長にどやされない程度に納めておいた方がいいと忠告しようとする関根だが、どやされてもへこまない性格だったと思い直す。
 すると何かを思い立ったように、戒人が真剣な顔をして席を立った、関根はおどろいて身を引いた。
「昼休み5分前になったので、食事に行ってきます」
 引いた身が椅子から滑り落ちそうになった関根が尋ねる。
「12時前だけど?」
「えっ、店で食事を取り始める時間がお昼休みっスよ。そこまでは仕事のうちだから、もし、店まで行く途中で事故にあえば労災おりますよね。あっ、そういえばこの前、昼飯のあと会社に戻ってくる途中で、階段踏み外した時に足くじいちゃってシップ買ったんですけど。これって労災でおちますよね」
「課長のカミナリがおちますよねえ」
「えー! まじっスか。一番高いシップ買ったのに、そうだ、ナカザワが腰痛いって言ってたから、あいつに売りつけてやろう。これで、元金の半分は回収できる。いやまてよ… 」
 ブツブツとひとりごとをいいながら、しっかり定刻内に立ち去る戒人を見て関根がつぶやく。
「うーん、結構な大物だって言いたいところだけど、ただのバカだったねえ」