private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2015-08-09 15:48:30 | 非定期連続小説

SCENE 9

「恵さん。いろいろとまずいですよねえ?」
 恵の部内の女子社員である杉下仁美が、総務室から廊下へ出たところで偶然を装って近寄ってきた。口をほとんど開かずに、お互いソッポを向いたまま会話を続けるので、傍から見れば知らぬもの同士がたまたま廊下を並んで歩いているようにしか見えない。
「何がまずいのヒットミ? 今の私はまずくない状況を探す方が難しいぐらいなんだから。どの懸案について言ってるの?」
 仁美は、恵が置かれた状況か、恵自身の状況のどちらについて言おうか少し躊躇した。
「だってえ、部内の仕事ほうりっぱなしで、社長のご機嫌とりばかりしてるってえ。みんな陰口… ていうか普通に話してますよ」と、この場は無難な方を選択していた。
「ああ、そんなのどうでもいいわよ。そんなバカバカしいことに割いてる時間なんかかいんだから。それよりさ、今日一緒にランチしましょ。駅前の商店街。行くよ」
「ほんとですかあ。スペイン料理のお店が新しくできたんですよお。評判みたいだし。そこに行きたいですう。で、午前中になにやっておけばいいんですか?」
 恵にまだ勢いが感じられているうちは、余計な口を挟まない方がいいと、出された提案に素直に賛同し、オーダーされる仕事をそれまでに片付けることに専念する。
「どこかの、オボッチャマとは大違い。話しが早くて楽だわ」
「えっ?」
「ううん、なんでもない。これ、お願いね」
 恵は四つ折りにしたメモ紙を、歩く手が重なったタイミングで仁美に渡す。仁美は手で覆うようにしてメモを広げ内容を確認して、質問する必要がないとわかったところでリョーカーイと言いながら廊下を右に折れていった。
――組織に従属しているオトコ達って、ホンっと情けないわね。誰かにかまってもらわないと生きていけないのかしら。自分でなんとかしようと思わないくせに、要求する権利だけを振りかざして、しかもやりかたが子供っぽいし。煙たがるならそれに見合った男でも取り繕って寿させろってハナシよ。って、それはないか。
 直接自室に戻れる通路を使わずに、恵はあえて部内に入り、ゆっくりと、そして堂々と歩いていった。割いている時間もないが、キズが深まって余計に時間をとられるのも面倒だ。
――さあて、エサに喰いついてくるかしら?
 まわりからは見るでもなしといった目線が感じられる。そのわりには誰も何を言ってこないのは、匿名では出てくる勇気も、仮面をはずした状態では湧いてこないからか。それ故、陰口というのだが。
――結局、壁の向こうでコソコソするしかできないのかしらねえ。机の向こうに引きこもっちゃって、これじゃあシャッター商店街とかわんないじゃないの。
「部長。すいません。この案件についてご指導いただきたいんですが」
 そこに、あきらかにあげ足を取ろうと、これみよがしの顔で近寄ってくる年配の男がいた。そしてまわりでニヤつく取り巻き達。
 正義を楯に取り行動を起こす者に、それが正義かと問うても、無論、正義と答えるだろう。自分の判断基準を持って、明確な境界線があるわけではないし、悪もまたしかりであれば、お互いが相容れない状況を作り出すのは容易だ。
 ここでいう相手の正義はつまり、部内でどんな案件が動いているかも把握しておらず、部下からの問題提議に対してもなんの助言も出せない女部長をやり込めることだ。
――世の中正義の味方が多すぎるんだから、イヤになっちゃうわ。誰かに指示されなきゃなにも決められない正義の味方って。それとも自分の能力不足を棚に上げ、他人からアイデアだけいただく気?
 なににしろ主体のない人間なら、恵にとってはやりやすい相手で、釣れた魚は自由に料理すればいい。
「その前に。あなたの案を聞かせてちょうだい。まず主案がここに書いてあるモノならば、それに代わる案が二つ、三つ必用よね。何の代替案もなく相談を持ちかけてきたわけじゃないでしょう」
 まわりに聞えるように大きな声で言う必要はない。恵は耳もとで男が持ってきた書類を覗き込みながら小声で伝えた。この男に恥をかかせて変に逆恨みを買いたくはない。ならば勝ちを譲って退却いただくのがもっともムダを省く選択となる。
「えっ? はあ、ああ、そのう… 」
「いい。質問があればオープンクエスチョンになるようにしてね。答えはひとつじゃないし、クローズドでは結論ありになるでしょ。最低三つのアイデアを持って、それぞれの、メリット・デメリットと比較できる費用対効果をつけてくるのはアナタもわかっていると思うけど… 」
 ここまでは引き続き小さな声で話した。髪をかきあげながらまわりを見回しそして良く通る声に切り替える。
「ごめんなさいね。私が部内にいることが少ないから、見かけたときに声をかけなきゃならないのはよくわかるわ。もう一度、私にもわかりやすい内容にして、まとまったところでドアをノックしてちょうだい。みなさんにお手間取らせて申し訳ないけど、頼りにしてるわ」
 部内に向けて軽く礼をしてから恵は部長室へ向かった。これでしばらくは何も言ってこないだろう。席に戻ってからは使えない女部長をやりこめてやったと武勇伝を語っているのかもしれないが、それで満足ならいくらでも差し上げても痛くないし、やっかみが自分の人生を支えていることを知りもせず、日々を生きていく愚かなヤツラだと割り切ればいい。
 会社の中の部内という枠組みの中で、たまたまめぐり合っただけの偶然的な関わり合いであるのに、いったいどこまで彼等の人生に責任を持たなければならないのかと不条理さだけがのしかかってくる。
――どいつもこいつも。最初に方針なり、方向性は伝えてあるのに、なにも変えようとしない。これじゃあのオボッチャマがすこしはマシに見えてくるじゃない。こちとら戦いの場に上がるだけでも一苦労だったのに、最初からそこから始められているのに、なにバカやってんだか。って…
 自分の仕事にかこつけて部内の管理を放棄して、押し付けられた役割りとは別の方法で成果を出す方を選んだのは自分のエゴでしかない。関係が生じた途端にそこに責任が生まれる。責任を振りかざせばまた正義と同様にお互いが相容れなくなる。そう思うと、バカをやってるのは自分も変わらないはずだ。
――だったら、勝ちつづければいいのよ。
 仁美の二つ目の懸案が危うさを増している。