private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2015-07-25 12:18:42 | 非定期連続小説

SCENE 8

「まったく、昨日は… つーか、今日の朝まで、ひどい目にあいましたよ」
 クッションの効かない事務椅子に勢いよくすわっても、反動が自分に返ってきて不快が増すだけとわかっているのに気持ちでそう動いてしまった。
 課長の韮崎は新聞を少しだけ下げて、目線を合わせてきたものの、その瞳はいやらしそうに光っていた。
「おまえ、重役出勤の上に、あの女部長と一晩一緒だったのか? どんな目にあったのかって、自慢話しまでしたいらしいな」
「やめてくださいよ。カチョー。誤解を招くような言い方は。そりゃ、一緒にいたっていえばそうですけど。アッチへ、コッチへ引きずりまわされて、ツカイッパにされて、こき使われただけなんですから」
「へえ、うらやましいな。アッチやコッチを、掴みまくって、コキまくったのか」
「なにいってんスか。カチョー、オレが女ならセクハラっスよ。訴えられるっスよ」
 韮崎は再び新聞でバリアを築き、つまらなそうに答えた。
「おまえだから言ってんだよ。女子社員に言うわけないだろ。だいたいここに女子社員いないだろ。いまどきのデキル女は営業や総合職志望で、オマエぐらいの合否ギリギリの男ぐらいしか回ってこねえんだからよ」
「ホントッすよね。おれもソームって言うから、女子社員が一杯いるかと思って楽しみにしてたのに。カチョーと、用務員みたいなおじいさんと、たまに顔出す部長しかいないんですからガッカリッすよ」
 まさにのれんに腕押しとはこのことで、韮崎は新聞の向こう側で、自分がけなされていると思わず、意見に同意してくる戒人を心底アホだと思っていた。
「そんなことより、カチョー、オレもう24時間休まずに働いてんスから、今日は早退していいですかね。あと、時間外手当、12時間分付けたいんスけど、どうやって申告するといいんスか? 経理で聞いてきたんスけど、誰も相手にしてくれなくて」
 アホだと思っているやつから権利を求められるとよけいに腹立たしくなってくる。新聞を机に置くと同時に両腕で立ち上がり戒人を一喝した。
「バカなこと言ってんじゃないよ。それだけいい思いして、早退だ、手当てよこせだって、そんなもん認めるわけないだろ。なんだったらオレが代わってやってもいいんだぜ。仕事とはいえあの部長と一晩お付き合いできるなら、コッチが金払ってもいいぐらいだ。寝ぼけたこといってないで、仕事しろ、仕事。昨日の分かたづいてないだろ」
 予想外の攻撃にもたじろかず、平然と弁解する戒人。もとより好戦性は皆無でりながら責任転嫁だけは一人前にしてくる。
「エーっ。なんスかー、それ。カンベンしてくださいよ。いい思いなんで全然してないし。うわー、もう最悪。じゃあカチョー、今度来たらカチョーが相手してくださいよ。カチョーが一晩付き合えば満足なんスよね」
「アホか。オマエが会長の息子ってことで依頼があったんだから、オレが行ったってなんの役にもたたんだろ。いつまでもバカなこと言ってないで、今日中にやっとくこと書いといたからよ。たのんだぞ」
 韮崎が戒人に付箋に書かれたToDoリストを渡そうと戒人の目先に差し出すと、そのアタマ越しに紙片が取り上げられていった。
 戒人が目線でそのリストを追って天井を見上げれば、その先には今まさに課長に押し付けようとしていたあの顔があった。
「あーら、お仕事、大変そうだけど、定時で切り上げられるように頑張ってね。今日も御宅へおジャマすることになったから、お父様へよろしく伝えといてくれる」
「えーっ、なんでですか? もう二度と会うことはないって、朝に言てったじゃないですか。もう、カンベンしてくださいよ」
 天井を仰ぐのをやめて、椅子ごと恵の方へ向き直った戒人は、不満顔を隠そうともしない。もう遠慮する必要はないと悟ったのか、自分のホームである総務室での対面とあって俄然力が湧いたのか。まさか課長の韮崎の権威を借りたつもりでいるわけではないだろうが。
「私もねえ、会いたくなかったんだけど、社長命令じゃしょうがないでしょ。会社方針に従ってのサラリーマンだからね。それに、今日もじゃなくて、今日から毎日よ。会長を落すまでね。あっ、でも徹夜はしないから安心して。私もそこまでタフじゃないから。終電に間に合うように頑張って、人力車引っ張ってちょーだいね」
「そんなあ、聞きました? カチョー。あっ! カチョーいない」
 どこに勝機をみいだしたのか、やはり韮崎に楯になってもらうつもりだったらしい。その韮崎はいつのまにやら席から姿をくらましていた。リスクマネジメントに乗っ取った賢明な判断といえるだろう。
「よかったわねえ、私のお目付け役として、毎日定時で帰れる口実ができて。充実のアフターファイブが過ごせるわよ」
「しょんなあ… 」
 恵はToDoリストを、戒人の鼻先に突きつけた。戒人の両目が寄る。
「それがイヤなら、アンタも協力して、会長が首をタテに振るようなアイデアでも考えてみたら。それじゃ17時に1階ロビーに集合。時間厳守だからね」
 戒人の鼻先にあったリストが舞いながら床に落ちる。恵が部屋から出て行ってもリストを拾う気になれない。
「オレって、今年の運勢、最悪だったっけ。いや、たしか大吉だったはずだけど… 」と正月に商店街の神社で引いたおみくじを、いまさらうらやんでもどうにもならないし、自分が立案して商店街に活気が戻れば、商店街と自分にとって大吉になるという考えにはいたらないのも残念だ。
「よかったな。毎日、女部長とおデートできて」
 そして、課長の韮崎が机の下から顔を出す。どうやら地震警報よろしく机の下に避難していたようだ。
「モグラタタキッスか」
「つまんねえ突っ込みしてないで、今日の仕事終わらせろよ。充実のアフターファイブのためによ」
 韮崎は立ち上がると、わざわざ戒人の席まで来て、床に落ちたリストを拾い上げて机に貼り付けていった。
「あっ! これ、カチョーの仕事も書いてあるじゃないスか。あれ、カチョー、カチョー。どこいくんスか。カチョー!!」
 ホームでも孤立無援の戒人であった。