マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

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北信愛

2018-04-05 22:05:16 | 戦国武将・戦国姫図鑑
北信愛
【諱】
信愛
【苗字】

【朝臣】

【生没】
1523年ー1613年
【通称】
剣吉彦太郎
【父親】
北致愛
【母親】
不明
【兄弟】
桜庭光康室
【正室】
南氏の娘
【子息】
北愛一
北秀愛
北直継
北愛邦
種市愛久
【養子】
北信景
【解説】
北致愛の嫡男として生まれる。
父は南部本家当主南部信義の嫡男であった。
しかし、祖父の死後の次の日で生まれ八戸信長の進言もあり相続せず。
祖父の弟である南部政康が本家を相続した。
そんな環境下で生まれ信愛であるが・・・本家を奪う気なく・・・・
屋裏の変で南部晴政から不信の目で持たれ暗殺の危機に陥っている田子信直(南部信直)を助け晴政と対立し。
死後、晴政の子晴継の烏帽子親として加冠の儀を執り行っている。
晴継が早世し相続問題が起こり、信愛は信直の側近として仕えるようになる。
そして、前田利家に謁見し鷹を献上し豊臣秀吉に南部家が追従する意思があると伝えている。
上記の通りもあってか、信愛は南部家における外務担当官であったと伺える。
花巻城代を勤めていた次男秀愛が亡くなり花巻城代8000石を有した。
1599年に信直が亡くなり歳もあってか隠居しようとするが。
南部利直に止められ剃髪して松斎と称しながら仕える。
背景には八戸氏に対抗する人物がいないとされるからである。
関ヶ原の戦いでは南部家が東軍に参加したに伴い花巻城を守備する。
しかし、同じ東軍である伊達政宗が扇動した和賀忠親が一揆勢が攻めてくる岩崎一揆がおこる。
東北の関ヶ原とされる慶長出羽合戦で南部軍主力が南部領内から出払っており。
一揆勢1000名に対し僅か数十人しかいなかった。
柏山明助の通報により信愛は迎え撃つ態勢を整え。
二ノ丸、三の丸陥落を受けるも自らの策を駆使して撃退に成功する。
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