
阿南姫
【氏族】
伊達氏
【生没】
1541年ー1602年
【父親】
伊達晴宗
【母親】
久保姫
【兄妹】
岩城親隆
伊達輝宗
女子(伊達実元室)
女子(小梁川盛宗室)
留守政景
石川昭光
彦姫(蘆名盛隆室)
女子(佐竹義重室。宝寿院)
国分盛重
杉目直宗
【旦那】
二階堂盛義
【子供】
蘆名盛隆
二階堂行親
【解説】
伊達晴宗と久保姫との間に生まれた長女。
独眼竜と恐れられる伊達政宗は弟輝宗の子供であり、阿南から見れば甥。
須賀川城城主二階堂照行の嫡男盛義に嫁ぐ。
夫盛義が蘆名盛氏に追従すると、子盛隆が人質になるが・・・・・
盛氏の子蘆名盛興が子なく亡くなり、蘆名氏の当主になる。
夫が病死し次男行親が相続するも亡くなり阿南が須賀川城主に須田盛秀が実質的な城代になる事になる。
蘆名盛隆が大庭三左衛門に恨まれ暗殺される。
その後、実家で甥伊達藤次郎政宗が率いる伊達家と対立し。
蘆名・相馬連合軍の一員として郡山合戦に派兵する。
摺上原の戦いにおいて甥の伊達政宗により妹で義娘である彦姫が嫁いだ蘆名氏が滅亡する。
それ以降、政宗から幾度となく降伏を薦められたが阿南はこれを頑強に拒否。
佐竹氏・岩城氏の援兵とともに防戦した。
しかし、一族保土原行藤の内応と政宗の猛攻により壮絶な戦いの末須賀川城は落城。
阿南は助け出され、政宗により信夫郡杉目に移され厚く遇された。
阿南はこの待遇を嫌い、甥の岩城常隆を頼って赴いた。
常隆が死去すると、甥佐竹義宣の下へ身を寄せた。
関ケ原の戦いの影響で.佐竹家の転封に伴い出羽国に赴く途中、須賀川付近で病に罹り死去。
墓所は須賀川の長禄寺。
【氏族】
伊達氏
【生没】
1541年ー1602年
【父親】
伊達晴宗
【母親】
久保姫
【兄妹】
岩城親隆
伊達輝宗
女子(伊達実元室)
女子(小梁川盛宗室)
留守政景
石川昭光
彦姫(蘆名盛隆室)
女子(佐竹義重室。宝寿院)
国分盛重
杉目直宗
【旦那】
二階堂盛義
【子供】
蘆名盛隆
二階堂行親
【解説】
伊達晴宗と久保姫との間に生まれた長女。
独眼竜と恐れられる伊達政宗は弟輝宗の子供であり、阿南から見れば甥。
須賀川城城主二階堂照行の嫡男盛義に嫁ぐ。
夫盛義が蘆名盛氏に追従すると、子盛隆が人質になるが・・・・・
盛氏の子蘆名盛興が子なく亡くなり、蘆名氏の当主になる。
夫が病死し次男行親が相続するも亡くなり阿南が須賀川城主に須田盛秀が実質的な城代になる事になる。
蘆名盛隆が大庭三左衛門に恨まれ暗殺される。
その後、実家で甥伊達藤次郎政宗が率いる伊達家と対立し。
蘆名・相馬連合軍の一員として郡山合戦に派兵する。
摺上原の戦いにおいて甥の伊達政宗により妹で義娘である彦姫が嫁いだ蘆名氏が滅亡する。
それ以降、政宗から幾度となく降伏を薦められたが阿南はこれを頑強に拒否。
佐竹氏・岩城氏の援兵とともに防戦した。
しかし、一族保土原行藤の内応と政宗の猛攻により壮絶な戦いの末須賀川城は落城。
阿南は助け出され、政宗により信夫郡杉目に移され厚く遇された。
阿南はこの待遇を嫌い、甥の岩城常隆を頼って赴いた。
常隆が死去すると、甥佐竹義宣の下へ身を寄せた。
関ケ原の戦いの影響で.佐竹家の転封に伴い出羽国に赴く途中、須賀川付近で病に罹り死去。
墓所は須賀川の長禄寺。
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