鶴保沖縄北方相は8日の参院内閣委員会においても、沖縄県東村の米軍ヘリパッド建設現場で大阪府警の機動隊員が抗議行動をしている人に「土人、シナ人」発言した問題について、田村議員の質問に答えて「私個人が大臣という立場で、『土人である』と言う事が差別であるとは断定できない」とか、人権問題であるかどうかの問題については、第三者が一方的に決めつけるのは非常に危険な事。言論の自由はもちろんどなたにでもある」と述べたという。
ところで、大阪府警はすでに当該の2人の機動隊員を21日、「軽率で不適切な発言で、警察の信用を失墜させた」として戒告の懲戒処分にした事を発表している。また、警察庁は再発防止に向けた指示を21日付で警察庁警備課長名通達で全都道府県警に出しており、警備に際して関係者の人権尊重に関する指導などを徹底するよう求めている。内容は、人権に配慮した適切な警備のため、必要な指導を日頃から確実に行う。実際の警備における関係者の人権の尊重、中立性・公平性の確保、関係者の安全への配慮、常に冷静沈着な対応について指示を徹底する、などである。
現在、この指導が実際のところ、どのように進められているのかわからないのであるが、鶴保氏が、このような動きを知りながら、改めて再び上記のような「発言」をしたという事は看過してはいけない非常に問題視すべき事だと思う。「言論の自由」とは別の問題である事さえ理解していないようである。
「差別であるとは個人的には断定できない」とか「第三者が一方的に決めつけるのは非常に危険な事」という事を述べているが、自分の立場を自覚していない事を自ら暴露しているのである。つまり、「沖縄北方相」が「沖縄の諸問題」を扱う責任者であり、「判断」の最高決定者であるという自覚を持っていないという事である。また、「大臣が判断を下さなくても済ます事ができる」という認識を持っている事である。「いじめ」における「傍観者」の立場が、「いじめ」の「加害者」を幇助する効果を持つ「共犯者」ととして、「加害者」と同等の責任を問われるべきであるとみなすならば、鶴保氏がとっている立場は「土人」発言をした「機動隊員」を幇助する「傍観者」であり、「土人発言者」と同等の責任を問われる立場に立っているとみなす事ができるという事なのである。彼はその事を理解していないのである。
鶴保氏は、色々と持論を展開したという事であるが、展開すればするほど「自縄自縛、身から出た錆、自業自得」という言葉が意味する状態に自ら陥っているのであるが、その事を理解できないのである。ついでに言えば、10月6日の沖縄出身の自民党衆議院議員パーティーで、「沖縄県選出の国会議員に必ず、来るべき選挙で勝利してもらわなければならない。沖縄の振興策とリンクしています」と挨拶し、選挙結果によって政府の沖縄振興策が変わる事を示唆する発言をしている事にも大臣としての常識のなさを暴露している。
鶴保氏は、大臣の器ではないし、ましてや「沖縄北方大臣」の器ではないという事を、自ら暴露したという事であり、辞職するか、更迭されるかのどちらかの道しか残されていない事に気づいているのだろうか。頭の回転が良くないようだから、多分、気づいていないのだろうな。
(2016年11月9日投稿)