ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「国鉄の戦後がわかる本」

2009-09-07 13:36:36 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「国鉄の戦後がわかる本」というのを読んだ。
タイトルをそのまま信じて借りてきたが、いささか拍子抜けの感がした。
戦後の混乱を語っている分には問題はないが、その戦後の混乱の大きな山は、当然のこと下山事件、三鷹事件、松川事件という大きな事件を抜きには語れないと思う。
ところが、その部分が欠落している。
これらの事件についてはすでに多くの人が論を立て、それぞれの見解に立って本も出ているので、今更屋上屋を築くことはないという判断だと推察するが、タイトルが「国鉄の戦後を語る」となれば、その部分に足を踏み込まずに通りすぎるということは、「仏作って魂入れず」の類にあたる。
戦後という混乱の中で、国鉄という組織は実によく機能したと思う。
戦前、戦中を通じて、一つの組織が組織として有効に機能するということは、突き詰めれば戦争遂行に極めて熱心に協力したという言い方になってしまうが、それはそれで国民として立派な行為だと思う。
国家が国家の意志として戦争をしているのであって、そういう状況下では国民としては国の方針に協力することはいささかも卑下することではない。
ところが、その結果として、戦争に負けてしまったとき、人々は負けるような戦争を指導した元の国のリーダーに対して、「裏切られた」という感情を持つのも、生きた人間として当然のことで、我々は戦後そのことを素直に自分達で裁いてこなかった。
自分達で裁く前に占領軍が勝手に彼等の論理でそれを行ってしまったので、我々が自分達の同胞に騙されていた、という憎しみの感情と憤怒の気概が緩和されてしまった。
そういう国民感情はひとまず置いておいて、旧国鉄の人々というのは実に健気に働く人たちであったと思う。
私の父親は、生前に自分史らしきものを認めており、それを読むと、あの終戦の日、つまり1945年、昭和20年8月15日も東京の山手線は平常通り動いていたという。
丁度、正午になって天皇陛下の放送があるということで、すべての列車が最寄駅に停車し、乗客はホームにおりて、構内放送で玉音放送を聞いたが内容はさっぱり理解できなかったと述べている。
放送が終わったら、お客はまた元通り車両に乗り、お客も電車も何事もなかったように物事が進んでいったと述べている。
父のこの自分史によると、この時に山手線から見える東京の景色は、それこそ見事な焼け野原で、上野駅から海が見えたとも書いてあったが、ここまで言うと真偽が疑わしい。
私が注目すべきことは、こういう事態においても当時の国鉄職員というのは実に健気に自分の職務を遂行していたという事実である。
これは我々、日本民族の組織論の顕著な例示であって、我々の組織というよりも、我々の民族の特質として、公共に対する忠誠というか、奉仕の精神が、脈々と民族の潜在意識として、伏流水のように我々の中に流れていると思う。
あの戦争中の前線の兵士にも、自ら特攻隊に志願して散華していった若者にも、この公共の福祉に貢献しようという潜在意識は脈々と流れていたものと推察する。
問題は、こういう健気な気持ちを食い物にする管理者、組織のトップの存在である。
「天皇陛下のために若者が散華していった」という軍国美談は、こういう中間層の戦意高揚のためのねつ造であって、彼等は後に残された同胞、父母、兄弟、恩師、学友に「幸あれ」と願って、散華していった。
旧国鉄でも、旧の軍隊でも、大きなピラミット型の組織を形作っているわけで、そのピラミット型の底辺の人達は上の人の言うことを実に健気に実践しようと考え、それに一生懸命尽くそうとしているが、ピラミット型の中程から上の人達は、そういう底辺の人々の忠誠を食い物にしているのである。
東京の大空襲でも、広島の原爆投下でも、鉄道の復興は実に早かったようには思うが、それはひとえに旧の国鉄職員の努力のたまものであったに違いない。
そういう旧国鉄が民間に分割されるということは、昔の大日本帝国の軍隊が自衛隊に成り替わったようなものである。
戦後という時期は、組織の下部において実務を実践している人たちに、職務や勤務や自分の仕事に対する誇りを否定するように仕向けることを民主化という言い方で押し付けてしまった。
我が日本民族は、1945年、昭和20年8月15日まで、完全に我が同胞の戦争指導者、政治指導者に騙され続けていたわけで、その恨みが国民の底辺に広く深く静かに浸透したという部分も無きにしも非ずであるが、この混乱に乗じて雲蚊の如く湧き出てきたのが、共産主義の賛歌である。
今まで治安維持法で押さえ込まれていたパンドラの蓋を開けてしまったのが、日本に進駐してきた占領軍であった。
ここで私として全く腑に落ちない気持ちになるのは、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた知識人と称する人たちの存在である。
その多くは大学教授として「象牙の塔」に籠っていたかもしれないが、こういう学識経験豊富な知識人が、軍国主義に対しては沈黙を通し、世の中が逆転して、民主主義の世になると、共産主義を礼賛するということは一体どういうことなのであろう。
「戦前戦中は治安維持法があったから沈黙さざるを得なかった」という言い分は、私に言わせれば後出しジャンケンと同じで、自分の勇気のなさをカモフラージュする言い分でしかない。
学識経験豊富な知識人であればこそ、一篇の法律など、持っている知識を総動員すれば、どういう風にでも言い逃れ、言いくるめ、問題点を煙に巻く芸当が出来る筈で、それが出来ないということは何んのための学識経験なのかということに行き着く筈である。
学識経験豊富な知識人といえども、人の子として「自分が可愛かったから、当たり触りのないように黙っていた」というのならばまだ人間として正直な言い分であるが、自分の勇気のなさを治安維持法の所為にするのは責任転嫁というもんだ。
で、世の中がひっくり返って、何を言っても牢屋に入れられることがない、ということがわかると俄然、勇気百倍になって大声で吠えまくるというのが戦後に生き残った学識経験豊富な知識人と言われる人たちの存在である。
実にあさましい醜態ではないか。
組織というものは、管理する側とされる側の図式で成り立つわけで、そこで管理される側が組合というものを作って管理する側と対峙することは当然のことである。
この両者は、企業の存在理由、あるいは理念を成就する目的達成については利害が反してはならない筈で、不合理な要求で会社をつぶれてしまって元も子もないわけで、普通はこういうことにはならない。
つまり、企業の、あるいは組織の目的達成のためには、労使協調が本筋であって、その根本の理念を捨てて、ただただ使用者側を潰すことが目的のような労使交渉は許されるべきではない。
戦後の国鉄の労働組合の中には大勢の共産党細胞が入り込んで、組織の内側から組織そのものを蝕み、食い散らかしたわけで、問題はこういう状況に対して当時の日本のメデイア、及び学識経験豊富な知識人などが組合側、いわゆる共産党の言い分を容認したことにある。
こういう過激な思想や行動に理解を示すことが、この時代のトレンデイ―な流れであったわけで、戦後の日本のメデイアや学識経験豊富な知識人が、こういう風潮に喜々として身をゆだねたことは、戦前・戦中において軍国主義を吹聴しまくった振舞いと全く同じ軌跡を歩んでいることと同じであるが、彼等はそれに気がついていない。
こういう連中も、日本という大きなピラミット型の社会の中では、その中間層を構成しているのであって、その下の階層は日夜汗にまみれて企業戦士として前線で戦っているにもかかわらず、その後方で机に前に座って愚にもつかない議論をしながら、底辺の人の汗と血の成果の業績の上澄みをかすめ取っている図である。
旧国鉄は戦後の混乱の中で旧植民地からの引揚者の雇用の確保という意味からも、大勢の人を受け入れざるを得なかったことも事実であろう。
ならば組合員の中から、共産党の細胞を排除する動きが出てきてもよさそうに思うが、そういう動きは一切なかったように我々の目からは見える。
国鉄の組合の中で、共産党細胞が傍若無人な振る舞いをしていて、それを制止し、軌道に乗せ、常識の範囲の押しとどめることが出来なかったということは、体制に流され続けたということであって、戦前・戦中の我々が軍国主義の奔流に抗しきれずに押し流された構図と全く同じということになる。
国が破たんした時は敗戦、占領という事態になったが、国鉄が破たんした時はそれがJRとして生まれ変わったわけで、同時に昔の軍国主義者が排除されたのと同じで、国鉄内の共産党細胞も排除されたものと考える。
「思想・信条の自由」だから何をしても許されるということは全く別のことで、共産主義をいくら信じても構わない、『赤旗』をいくら購読してても構わない、けれども現行法に違反すれば、それは当然罪科を負うわけで、自分の思想信条に忠実に行動したのだから無罪だ、という論理は成り立たないことは言うまでもない。
「国鉄の戦後」という場合、組合内部における共産党員の動きを無視しては、話そのものがありえないと思う。
戦後の日本で共産党の活躍というのは、目を覆いたくなるようなものが多いが、共産党というのは、常に政府および現行体制に戦いを挑んでいる。
日本民族の深層心理の中には判官贔屓というものがあり、常に、強いものに立ち向かう弱いものに味方したくなる心理が根付いており、そういうものを感情的に容認する部分がある。
役所に出す書類に捺印が抜けていて受理されないと、役所の四角四面の対応を糾弾して、印鑑の一つぐらいあってもなくても構わないではないかという論理になる。
こういうことが重なり合って、結局、行く着く先が慣れ合い、癒着、杜撰な書類管理ということになるが、戦後の国鉄労組の中の共産党細胞の横暴も、一つ一つの細かい違反を、その都度その都度潰しておかなかったので結果の集大成として分割民営化ということになったに違いない。
民営化直前の国鉄職員の働き具合というのは、我々には詳しく知らされていない。
しかし、巷間に流れている情報や噂話では、彼等は徹底的に働かないということが伝わってきている。
約60数年前に国鉄一家と言われた国鉄職員は、東京大空襲があっても、広島や長崎に原爆が落とされても、終戦の日にも、彼等は職務を全うして、列車を運行し続けて、打ちひしがれている国民に勇気と希望を啓司し続けたのに、彼等の末路を一体どう考えたらいいのであろう。
国鉄という巨大な組織の構造的な疲労もさることながら、組合の中に浸透した共産主義と、それをフォローする共産党細胞の不見識な振る舞いと、それ外側から煽りに煽る学識経験者とかメデイアの存在が、国鉄という組織を消滅に追い込んだに違い。