例によって図書館から借りてきた本で、「一台のクルマがあれば人生を変えるのに十分だ」という本を読んだ。
随分ながったらしい題名だ。著者は徳大寺有恒氏。
彼は他にも「間違いだらけのクルマ選び」という本を出しているので、名前だけは知っており、この作品も読んだことはある。
この世の中にクルマを作るメーカーも沢山あり、そこから生産されるクルマも掃いて捨てるほどある。
そういう背景があるからこそ、その一つ一つに「ああでもない、こうでもない」と屁理屈を付ける商売も成り立つのであろうが、消費者からみればあまり参考になるものではない。
クルマ作りというのは典型的な資本主義社会の中の商品であって、その中で世に出されてくる数々の車には、如何なる車を作れば売れるか、というメーカー側の意図が当然大きく作用している。
万を期して世に出したものが消費者に受け入れられない、となると当然メーカーはその原因を探り、良く売れるように改善を加えて再度挑戦してくる。
こういう背景があるからこそ、自動車評論家というような商売が成り立つわけだが、消費者はその評論家の言うことを信じて車を購入するわけではない。
消費者には消費者の立場があって、自分の意図というものをしっかりと持っているわけで、自分の信念でもって購入する車を選択している。
と、思いたいところであるが、実情は案外そうではなく、人の振り見て我が振り直すという面が多分にあり、選択の基準は案外隣の人の車であったりする。
隣人の車を基準にして、それより大きいか、小さいか、同じメーカーか、他のメーカーか、というぐらいが選択の基準になっているような気がしてならない。
日本の車市場に出回っている車もピンキリなわけで、廉価なものから高級車まで、日本の消費者は自由に選択できる。
この本は前に出た「間違いだらけのクルマ選び」ほど、それぞれの車の長所と短所を列挙するほど極端な書き方ではないが、一つのモノに対して、それぞれの人のそれぞれの思いは千差万別な筈で、それを「良いの悪いの」と決めつけるわけにはいかないと思う。
ただ、各人各様に、それぞれの車に対する思いというものはあると思う。
私は三菱の関連企業で録を食んできたので、生涯を通じて三菱の車を乗り継いできた。
よって、他のメーカーのものはほとんど乗ったことがない。
自動車評論家といえども、あるメーカーを徹底的に糾弾することは、自分を路頭に迷わせることにもつながりかねないので、そうあからさまな悪口は控えざるを得なかろうが、三菱は目下のところ車に関しては弱小メーカーになり下がってしまったことは紛れもない事実であろう。
この件に関しては、商品としての車の優劣よりも、企業体質の方の問題がより大きな課題であったに違いない。
企業体質として、商品に対するユーザの心を汲みとりきれなかったに違いない。
ユーザの心を汲みとれなかったというよりも、企業そのものが、如何にものを作り、如何に消費者に届けるか、という企業としての在り方そのものがぐらついていたものと推察する。
愛知県はトヨタ自動車の本拠地であって、トヨタは徹底的に商売道に徹しきっていると思う。
そういうものが三菱の自動車には欠けていたと思う。
日本の自動車産業の飛躍は、第二次世界大戦後のことで、それには戦前の技術が十分に生かされていたに違いない。
戦前、戦中には飛行機を作っていた人達が、日本が戦争に敗北して飛行機が作れないという状況下で、大勢の人が自動車メーカーに流れてきたものと推察する。
しかし、飛行機というものは大衆とはかけ離れた存在であったが、自動車というのは大衆と密接に関わり合う商品なわけで、「良いものを作れば売れる」というものではなかったということになる。
良くても大衆に愛されるものでなければ売れない、という資本主義をもっとも顕著に具現化する商品であった訳だ。
そこで私の心情としては、大衆に愛されるものを無批判に受け入れることは、自分の自尊心が許さなかったのである。
絵にかいたような天邪鬼ということだ。
私の生涯を通じて、手にし得る車といえば、徳大寺氏も素直に認めているように、サニー、カローラ、コロナ、ブルーバードであったが、私はこれらに触ったこともない。
最初から選択肢の中に入っていないし、手にしたいと思ったこともない。
別に三菱の人間だからというわけではない。
強いて言えばあまりにも大勢の人が愛用しているからという理由であろう。
昔を振り返って一度でも手にしてみたいなあと思った車は、いすすのベレット1600GTであり、MGミゼットであり、ウイリスのジープであった。
三菱の人間としてGTOは手にしたいと願っていたが、これは高すぎてとうとう手にすることなしに過ぎてしまった。
その代りFTOで走り回った。
三菱の車は、もともと出回っている数が少ないので、聞こえてくる話もあまりないが、これらは実に良い車だったと思う。
まさしく我田引水という面が大いにあろうが、私自身、他のメーカーのものに乗ったことがないので、自分の知覚した範囲でしか語れないが、その意味で今ならばランサーエボリューションが乗ってみたい最右翼に来る。
ところが、なにしろ乗る本人が加齢で、もうそういう意欲がなくなってしまった。
随分ながったらしい題名だ。著者は徳大寺有恒氏。
彼は他にも「間違いだらけのクルマ選び」という本を出しているので、名前だけは知っており、この作品も読んだことはある。
この世の中にクルマを作るメーカーも沢山あり、そこから生産されるクルマも掃いて捨てるほどある。
そういう背景があるからこそ、その一つ一つに「ああでもない、こうでもない」と屁理屈を付ける商売も成り立つのであろうが、消費者からみればあまり参考になるものではない。
クルマ作りというのは典型的な資本主義社会の中の商品であって、その中で世に出されてくる数々の車には、如何なる車を作れば売れるか、というメーカー側の意図が当然大きく作用している。
万を期して世に出したものが消費者に受け入れられない、となると当然メーカーはその原因を探り、良く売れるように改善を加えて再度挑戦してくる。
こういう背景があるからこそ、自動車評論家というような商売が成り立つわけだが、消費者はその評論家の言うことを信じて車を購入するわけではない。
消費者には消費者の立場があって、自分の意図というものをしっかりと持っているわけで、自分の信念でもって購入する車を選択している。
と、思いたいところであるが、実情は案外そうではなく、人の振り見て我が振り直すという面が多分にあり、選択の基準は案外隣の人の車であったりする。
隣人の車を基準にして、それより大きいか、小さいか、同じメーカーか、他のメーカーか、というぐらいが選択の基準になっているような気がしてならない。
日本の車市場に出回っている車もピンキリなわけで、廉価なものから高級車まで、日本の消費者は自由に選択できる。
この本は前に出た「間違いだらけのクルマ選び」ほど、それぞれの車の長所と短所を列挙するほど極端な書き方ではないが、一つのモノに対して、それぞれの人のそれぞれの思いは千差万別な筈で、それを「良いの悪いの」と決めつけるわけにはいかないと思う。
ただ、各人各様に、それぞれの車に対する思いというものはあると思う。
私は三菱の関連企業で録を食んできたので、生涯を通じて三菱の車を乗り継いできた。
よって、他のメーカーのものはほとんど乗ったことがない。
自動車評論家といえども、あるメーカーを徹底的に糾弾することは、自分を路頭に迷わせることにもつながりかねないので、そうあからさまな悪口は控えざるを得なかろうが、三菱は目下のところ車に関しては弱小メーカーになり下がってしまったことは紛れもない事実であろう。
この件に関しては、商品としての車の優劣よりも、企業体質の方の問題がより大きな課題であったに違いない。
企業体質として、商品に対するユーザの心を汲みとりきれなかったに違いない。
ユーザの心を汲みとれなかったというよりも、企業そのものが、如何にものを作り、如何に消費者に届けるか、という企業としての在り方そのものがぐらついていたものと推察する。
愛知県はトヨタ自動車の本拠地であって、トヨタは徹底的に商売道に徹しきっていると思う。
そういうものが三菱の自動車には欠けていたと思う。
日本の自動車産業の飛躍は、第二次世界大戦後のことで、それには戦前の技術が十分に生かされていたに違いない。
戦前、戦中には飛行機を作っていた人達が、日本が戦争に敗北して飛行機が作れないという状況下で、大勢の人が自動車メーカーに流れてきたものと推察する。
しかし、飛行機というものは大衆とはかけ離れた存在であったが、自動車というのは大衆と密接に関わり合う商品なわけで、「良いものを作れば売れる」というものではなかったということになる。
良くても大衆に愛されるものでなければ売れない、という資本主義をもっとも顕著に具現化する商品であった訳だ。
そこで私の心情としては、大衆に愛されるものを無批判に受け入れることは、自分の自尊心が許さなかったのである。
絵にかいたような天邪鬼ということだ。
私の生涯を通じて、手にし得る車といえば、徳大寺氏も素直に認めているように、サニー、カローラ、コロナ、ブルーバードであったが、私はこれらに触ったこともない。
最初から選択肢の中に入っていないし、手にしたいと思ったこともない。
別に三菱の人間だからというわけではない。
強いて言えばあまりにも大勢の人が愛用しているからという理由であろう。
昔を振り返って一度でも手にしてみたいなあと思った車は、いすすのベレット1600GTであり、MGミゼットであり、ウイリスのジープであった。
三菱の人間としてGTOは手にしたいと願っていたが、これは高すぎてとうとう手にすることなしに過ぎてしまった。
その代りFTOで走り回った。
三菱の車は、もともと出回っている数が少ないので、聞こえてくる話もあまりないが、これらは実に良い車だったと思う。
まさしく我田引水という面が大いにあろうが、私自身、他のメーカーのものに乗ったことがないので、自分の知覚した範囲でしか語れないが、その意味で今ならばランサーエボリューションが乗ってみたい最右翼に来る。
ところが、なにしろ乗る本人が加齢で、もうそういう意欲がなくなってしまった。