例によって図書館から借りてきた本で、「団塊の肖像」という本を読んだ。
著者は橋本克彦という人だが、私の知っている人ではない。
1945年生まれということで、本人自身も極めて団塊の世代に近いので、自分自身もその中に入れて考えているようだ。
この本の著者の書き方は、極めて軽いノリで書かれている。
極めて若者風な書き方になっているが、ノリの軽さというのも、我々のような昭和時代のシーラカンスの世代にはなかなか受け入れ難いものがある。
やはりわれわれのような古典的な人間は、まともな書き方でないと受け入れ難いものがある。
しかし、内容的には極めてまともなことが書かれているわけで、その意味では興味深く読み通せた。
団塊の世代は日本の戦後復興とともにあったわけで、その意味では戦争の落とし子そのものである。
1945年昭和20年8月15日の終戦・敗戦で、日本の内外で日本兵の戦闘が終わり、外国で生き残った兵隊も、内地で出陣を待っていた兵隊も、それぞれに復員してきた。
兵隊のみならず、旧日本領であった地域の人々も、敗戦で今までの生活の基盤を追い出され、日本国内に引き上げざるを得なかった。
そういう外地にあった兵隊たちは基本的に若い人たちで、戦争中は禁欲を強いられていた。
従軍慰安婦の問題が一世を風靡した時期があったが、戦地という状況の中で、若い男が性欲を押し殺すことはあきらかに不条理であろうと思うが、それを軍が直接関与するということは、明らかに事実の歪曲だと思うし、無知をさらけ出すことだと思う。
ただ若い男の集団としての軍隊の傍に、それ目当てに集まってくる女たちがいることは、どこの世界でも同じであるが、軍が前線にまで女を引き連れて戦闘をするなどということは考えられないし、それは無知による誤解を通り越して、金ねだりのねつ造した話以外の何物でもない。
ただ、特攻隊員が今生の別れに肉欲を貪って旅立つということは充分に考えられる。
こういう場面で、従軍慰安婦の問題を提起して、政府から金をむしりとろうとする、あさましくもはしたない発想の対極に、特攻隊員に思い残すことなく任務達成出来るようにと、そういう形で国に御奉公する愛国心があったことも忘れてはならない。
あの時代、針灸師は彼ら自身の生業を通じ、慰安婦は彼女らなりの生業を通じ、日夜、辛酸を舐めつくしているであろう兵士の心の慰安、身体の休息を自ら買って出ることで、国家に奉仕する、国家に貢献することを願い出た人たちがいたことを忘れてはならない。
日本が戦争に負けたということは、当時の軍人がこういう下々の人たちの期待を全面的に踏みにじったということである。
負ける戦争ならば馬鹿でもできる。
日本の海軍兵学校や陸軍士官学校、はたまた東京帝国大学を出た官僚たちの戦争指導は一体何であったのだ。
日本が戦争に負けたということは、海軍兵学校や陸軍士官学校はたまた東京帝国大学の教育がいささかも功を奏していなかったということで、負ける戦争ならば馬鹿でもチョンでも出来る。
事実、日本が戦争に負けたということは、こういう連中がバカであり、チョンであったということに他ならない。
海軍兵学校や陸軍士官学校はたまた東京帝国大学を出た、本来ならば優秀であるべき人たちの馬鹿げた戦争指導によって、我々は奈落の底に突き落とされ、その結果として敗北した。
その敗北の結果として、大勢の若者、兵士として出征していた大勢の若者が故郷に帰り、家に帰り、再会を喜び合った。
当然ここでは自然発生的に愛情の交換、抑えられた欲情の解放、生きている確認としての行為が行われたわけで、結果としてそこで新しい生命が誕生したわけである。
日本各地で一斉にこういう状況を呈したので、日本各地で一斉に新しい生命が誕生してしまった。
この時点では日本はまだまだ廃墟であったが、この日本中で一斉に誕生した新しい生命が成長するにしたがい、あるいは前後が逆かもしれないが、戦後復興の過程で新しい生命が成長したのかもしれないが、この世代の子供たちは日本の戦後復興とともにあったことは間違いない。
この新しい生命が育つに従い、日本の社会も安定し、復興も軌道に乗り、その行きついた先が高度経済成長であり、その後の停滞基調である。
別の言い方をすれば戦後の第一世代と言うことでもあるわけで、彼らの弱点は戦争という悲劇を自ら体験していないというところにあると思う。
戦争を体験していないということは、自らの手を汚したことがないということでもある。
彼らのほんの少し前の世代は、明らかに軍国少年・少女の世代で、自ら軍国主義の旗を振った記憶が贖罪として心の隅に横たわっているが、団塊の世代にはそういう心の澱のようなものは一切存在しないわけで、その面では実に天真爛漫に振舞える。
そこにもってきて彼らは戦後の民主教育を正面からまともに受けてきたわけで、ここで前の世代との紐帯が見事に断絶してしまっている。
問題は戦後の民主教育の中身である。
戦前、戦中の軍国主義というのは、突き詰めると草の根の下から沸き出た軍国主義だったと思う。
ところが戦後の民主教育ではそれでは具合が悪いわけで、上から押し付けられたものだ、という風に教え込まれた。
この部分の認識を解明することが、この時代の知識人の使命ではなかったかと思うが、こういう知識人は、自分自身の視点を、皆が皆、共産主義、社会主義国に向けてしまって、自分の足元を見るということを怠ってしまった。
遠い遠い海の向こうの光り輝く共産主義、あるいは社会主義というものだけを見つめて、そういう夢を食う獏に成り下がってしまい、自分の足元を固めるという地道な作業を怠ってしまった。
その結果として、軽薄な表面上の薄皮のようなスローガンを鵜呑みにして、それに惑わされてしまった。
その最大の過誤は、間違った平等主義と、義務と責任の履き違えである。
その典型的な例が、「先生と生徒は同じ人間だから対等であって、平等であるべきで、立場の違いがあってはならない」という思考である。
これでは教育が最初から成り立たないわけで、それこそ戦争中に「天皇は神様だ!」という等しい暗愚な思考ではないか。
こういうバカなことが戦前、戦中、戦後を通じて生き残っているということこそ驚くべきことではないのか。
戦中は「天皇は神様だ!」という話に異論を唱えれば、そのことだけで刑務所送りであったが、戦後はいくら異論を唱えても、それだけで刑務所に入れられることはなくなった。
すると、大勢の人がその整合性に欠けた話に同調するわけで、「そんなバカな話はない、納得出来ない」と異論を唱える人が一人もいない。
「先生と生徒が平等であるとするならば、教育は成り立たない」という正論を誰も吐かないということは一体どういうことなのであろう。
いくらでも異論を唱えることができる状況の中で、「おかしいなあ!!」と思うことに対して沈黙を守るということは、天に向かって唾を吐くようなもので、その因果応報は自分に降りかかってくると思う。
ただ、事の正否よりも、「先生と生徒は平等だ」という倫理の中には、思考の新旧の違いがあって、それに異論を唱えることが「古い考え」だと思われることを回避するために、沈黙を守るということもありうるかもしれないが、だとすればそれこそ日本民族の本質を曝け出すということになる。
戦後の民主教育の良いところは、自分の意見をはっきり言う習慣を得たことである。
自分の意見をはっきり言えれば、異論も堂々と言えるが、するとそれは仲間内からイジメという形でブーメランのように帰ってくるわけで、上から抑圧でないところが極めて陰湿である。
とは言うものの、従来の「長いものには巻かれる」という因習を正面から否定するもので、その背景には権威を恐れないということがあると思う。
権威を恐れないので、上からの抑圧はないが、仲間という横からのイジメが暗黙の圧力になってしまう。
団塊の世代が権威を恐れないのは、彼らを教えた世代が、まさしく権威の崩壊を目の当たりに見たので、その影響が大きく作用していると思う。
今まで、権威という鎧で覆われていたものが、その実態が実は空で、中身が何も詰まっていない、という現実に晒されたのが、終戦、敗戦の際に露わに現出してしまった。
そういう経験をへた先生から権威の喪失を教わったのが、この団塊の世代だと思う。
そして彼らが生まれ落ちたときはまだ世の中は混乱していたが、その混乱を鎮静化させたのが彼らの親の世代だったわけで、彼ら自身がそれに貢献したわけではない。
彼らは自らの成長とともに身の回りがだんだん豊かになって、自分自身は困窮した時代というものを経験したことがない。
欲しいものは幾つも目の前にあり、それは何時でも自分のものとすることが出来たわけで、それを得るために血のにじむような苦労をするという経験もない。
こういう世代は実に素直に成長するわけで、家が裕福であればその心も素直に伸びるが、この素直さがはなはだ問題なわけだ。
血のにじむような努力してでも得なければならないものは何一つ存在していないわけで、望めば何でも手に入る時代になった。
その意味で、素直な心で大人になると、世の中の歪みが気になってきて、この世の中の悪や不正を見逃す心の寛容さに不純を感じ、許せない気持ちが昂じてきたのである。
そしてそれは「正しい人間」の当然の行いで、正しいがゆえに、それに棹差すことが憚られ、その考え方は自己増殖する。
先の「先生と生徒は平等だ」という論理も、人間としては平等だが、教える立場と教えを受ける立場という立場の違いは平等ではありえない。
一つの言葉の中に、正しい部分とそうではない拡大解釈の部分があるわけで、戦後の民主教育では、その正しい部分のみを抽出して全体を包み込もうとするから思考が混乱するのである。
そして、この団塊の世代の正しさを求める純真な者にとっては、その裏側にある汚い部分、いかがわしい部分を綺麗さっぱり払しょくしたいわけで、そうなると世の中の潤滑油が機能しなくなって、ぎくしゃくとした摩擦が生ずるようになる。
一言でいえば、純情な世間知らずの若者の青臭い正義感とでもいうべきであろう。
この団塊の世代はとにかく数が多い。
数が多いということは、物事を決める際に極めて強力なエネルギ-になるわけで、民主主義の多数決原理の中では非常に有利である。
それが全共闘世代の本質にそのまま引き継がれている。
この全共闘の連中も基本的には青臭い正義感の集合体であって、その潜在意識の中にはまぎれもなく日本民族のDNAが潜んでおり、それは一応もっともらしい理由付けにフォローされてはいるが、むき出しの好戦的な敢闘精神である。
「正義のためには人を殺しても良い」というむき出しの闘争精神、敢闘精神が隠されているのである。
問題は、彼らが「自分は正しい事をしているのだ」という思い込みに浸ることである。
この思い込みが根底に潜んでいるので、自分の行為が正しい事であり、それを認めないのは相手が悪いという論理になる。
これらの人々は、それぞれに純で、真面目で、正義感が強くて、自分たちは有意義なことをしているのだ、という思い込みに浸っているので、他者の行為が許せないわけで、結局のところ内ゲバを志向し、仲間同士で殺し合いということに行きつく。
戦後の日本社会でも様々な抵抗運動があって、運動を推進する側と警察の間では内戦状態を呈する感があったが、ここに日本民族の根源的な戦闘精神、極悪非道な殺傷を何とも思わない人知を超えた残虐さというものを私は感じる。
あの戦争中、日本軍の占領下ではひどい事が行われたと言われているが、私はまんざら嘘ではないと思う。
戦後の学生運動や、労働運動の過激さを見ても、我々の同胞は実に残虐な性癖を兼ね備えている。
デモ行進一つとっても、デモの目的は示威活動なわけで、静かにプラカードを持って歩くことが本来の姿であるが、彼らの場合はジグザグ行進で故意に警察を挑発しており、明らかに共産党員が仕掛けていることは明々白日である。
全共闘世代の一部のものが武装闘争に走るというのも、我々の民族の持つ残虐非道なDNAの表れであって、それこそ好戦的な資質の具現である。
戦中に特攻隊員として南の海に散華していった若者も、基本的にはその心の内に、純で、真面目で、正義感が強くて、自分たちは有意義なことをしているのだ、自分の父母兄弟、学友、故郷の人々のために自分さえ犠牲になればそれに貢献できるという思いであったろうと思う。
その純な心が自分の内側に向かって内向すれば自己犠牲の形を取るが、これが外側に向かうと内ゲバという形で他者に対する残虐な行為という形になる。
あの戦争中に純な若者の心が内側に向けばそれは自己犠牲という形になったが、それが外側を向くと被支配者に対する理不尽な暴虐という形で露呈したのではないかと思う。
どちらにしても我々、大和民族の潜在意識の中には、人間の業としての残虐な行為を引き起こす、強力で好戦的な精神の因子を内包していると思う。
それが戦前のテロ行為であり、神風特攻隊であり、戦後は、あさま山荘事件であったり、大菩薩峠の大量殺戮であったり、テルアビブ空港の乱射事件であったりしたわけである。
こういう事件はなにも団塊の世代だけの特異な行動ではなく、純な若者が正義を短編急に実現しようとする過激な行為であって、時代を超えて現出している。
団塊の世代は戦後の民主教育を真正面から受けてきたわけで、彼らの精神構造には旧来の思考による秩序とか因習に価値を置く気風は極めて希薄であるが、民族の根源的な潜在意識としての残虐性はそのまま引きずっている。
その意味で彼らは極めて民主化された思考を持っているようにみえるが、群れをなしたとき、その残虐性は正義漢というお面をかぶって露呈してくるのである。
団塊の世代の論議とはかけ離れるが、昭和20年の8月の東京の現状を目の当たりにして、それでもなお徹底抗戦を主張した我が同胞の思考をどういう風に考えたらいいのであろう。
彼らは特別に偉い地位のものではなく、高い階級の軍人でもなく、組織内では極めて中庸な地位と職域に属していた人たちであったが、そういう人たちが従来の価値観を、つまりメンツのみで他者をより以上の奈落に落とすことを厭わなかったわけで、これを邦人・同胞に対する究極の残虐さと言わずした何と表現したらいいのであろう。
反撃するに何の武器もないまま、つまり竹槍で近代化したアメリカ軍の上陸を阻止する、という発想そのものがあまりにも無知であり、バカであり、愚昧であって、それがなされた時の結果を考えると、彼らの邦人に対する残虐性に身の毛もよだつ思いがする。
沖縄戦を見るがいい。
これと同じことが団塊の世代の全共闘の学生にもあったわけで、独りよがりの正義感に酔いしれて、自分では正義と思い込んでいたことが如何に陳腐なことかを知らなかったわけである。
生きた人間の生、焼け残った地で右往左往している庶民、国民、市民、同胞よりも、彼ら自身のメンツに重きを置いたわけで、この一事をもってしても彼らの同胞に対する残虐性は誤魔化しようがないではないか。
「独りよがりの正義感で以って他者の迷惑を顧みない」、これこそ戦後民主主義を根本から考え直すべきことではなかろうか。
著者は橋本克彦という人だが、私の知っている人ではない。
1945年生まれということで、本人自身も極めて団塊の世代に近いので、自分自身もその中に入れて考えているようだ。
この本の著者の書き方は、極めて軽いノリで書かれている。
極めて若者風な書き方になっているが、ノリの軽さというのも、我々のような昭和時代のシーラカンスの世代にはなかなか受け入れ難いものがある。
やはりわれわれのような古典的な人間は、まともな書き方でないと受け入れ難いものがある。
しかし、内容的には極めてまともなことが書かれているわけで、その意味では興味深く読み通せた。
団塊の世代は日本の戦後復興とともにあったわけで、その意味では戦争の落とし子そのものである。
1945年昭和20年8月15日の終戦・敗戦で、日本の内外で日本兵の戦闘が終わり、外国で生き残った兵隊も、内地で出陣を待っていた兵隊も、それぞれに復員してきた。
兵隊のみならず、旧日本領であった地域の人々も、敗戦で今までの生活の基盤を追い出され、日本国内に引き上げざるを得なかった。
そういう外地にあった兵隊たちは基本的に若い人たちで、戦争中は禁欲を強いられていた。
従軍慰安婦の問題が一世を風靡した時期があったが、戦地という状況の中で、若い男が性欲を押し殺すことはあきらかに不条理であろうと思うが、それを軍が直接関与するということは、明らかに事実の歪曲だと思うし、無知をさらけ出すことだと思う。
ただ若い男の集団としての軍隊の傍に、それ目当てに集まってくる女たちがいることは、どこの世界でも同じであるが、軍が前線にまで女を引き連れて戦闘をするなどということは考えられないし、それは無知による誤解を通り越して、金ねだりのねつ造した話以外の何物でもない。
ただ、特攻隊員が今生の別れに肉欲を貪って旅立つということは充分に考えられる。
こういう場面で、従軍慰安婦の問題を提起して、政府から金をむしりとろうとする、あさましくもはしたない発想の対極に、特攻隊員に思い残すことなく任務達成出来るようにと、そういう形で国に御奉公する愛国心があったことも忘れてはならない。
あの時代、針灸師は彼ら自身の生業を通じ、慰安婦は彼女らなりの生業を通じ、日夜、辛酸を舐めつくしているであろう兵士の心の慰安、身体の休息を自ら買って出ることで、国家に奉仕する、国家に貢献することを願い出た人たちがいたことを忘れてはならない。
日本が戦争に負けたということは、当時の軍人がこういう下々の人たちの期待を全面的に踏みにじったということである。
負ける戦争ならば馬鹿でもできる。
日本の海軍兵学校や陸軍士官学校、はたまた東京帝国大学を出た官僚たちの戦争指導は一体何であったのだ。
日本が戦争に負けたということは、海軍兵学校や陸軍士官学校はたまた東京帝国大学の教育がいささかも功を奏していなかったということで、負ける戦争ならば馬鹿でもチョンでも出来る。
事実、日本が戦争に負けたということは、こういう連中がバカであり、チョンであったということに他ならない。
海軍兵学校や陸軍士官学校はたまた東京帝国大学を出た、本来ならば優秀であるべき人たちの馬鹿げた戦争指導によって、我々は奈落の底に突き落とされ、その結果として敗北した。
その敗北の結果として、大勢の若者、兵士として出征していた大勢の若者が故郷に帰り、家に帰り、再会を喜び合った。
当然ここでは自然発生的に愛情の交換、抑えられた欲情の解放、生きている確認としての行為が行われたわけで、結果としてそこで新しい生命が誕生したわけである。
日本各地で一斉にこういう状況を呈したので、日本各地で一斉に新しい生命が誕生してしまった。
この時点では日本はまだまだ廃墟であったが、この日本中で一斉に誕生した新しい生命が成長するにしたがい、あるいは前後が逆かもしれないが、戦後復興の過程で新しい生命が成長したのかもしれないが、この世代の子供たちは日本の戦後復興とともにあったことは間違いない。
この新しい生命が育つに従い、日本の社会も安定し、復興も軌道に乗り、その行きついた先が高度経済成長であり、その後の停滞基調である。
別の言い方をすれば戦後の第一世代と言うことでもあるわけで、彼らの弱点は戦争という悲劇を自ら体験していないというところにあると思う。
戦争を体験していないということは、自らの手を汚したことがないということでもある。
彼らのほんの少し前の世代は、明らかに軍国少年・少女の世代で、自ら軍国主義の旗を振った記憶が贖罪として心の隅に横たわっているが、団塊の世代にはそういう心の澱のようなものは一切存在しないわけで、その面では実に天真爛漫に振舞える。
そこにもってきて彼らは戦後の民主教育を正面からまともに受けてきたわけで、ここで前の世代との紐帯が見事に断絶してしまっている。
問題は戦後の民主教育の中身である。
戦前、戦中の軍国主義というのは、突き詰めると草の根の下から沸き出た軍国主義だったと思う。
ところが戦後の民主教育ではそれでは具合が悪いわけで、上から押し付けられたものだ、という風に教え込まれた。
この部分の認識を解明することが、この時代の知識人の使命ではなかったかと思うが、こういう知識人は、自分自身の視点を、皆が皆、共産主義、社会主義国に向けてしまって、自分の足元を見るということを怠ってしまった。
遠い遠い海の向こうの光り輝く共産主義、あるいは社会主義というものだけを見つめて、そういう夢を食う獏に成り下がってしまい、自分の足元を固めるという地道な作業を怠ってしまった。
その結果として、軽薄な表面上の薄皮のようなスローガンを鵜呑みにして、それに惑わされてしまった。
その最大の過誤は、間違った平等主義と、義務と責任の履き違えである。
その典型的な例が、「先生と生徒は同じ人間だから対等であって、平等であるべきで、立場の違いがあってはならない」という思考である。
これでは教育が最初から成り立たないわけで、それこそ戦争中に「天皇は神様だ!」という等しい暗愚な思考ではないか。
こういうバカなことが戦前、戦中、戦後を通じて生き残っているということこそ驚くべきことではないのか。
戦中は「天皇は神様だ!」という話に異論を唱えれば、そのことだけで刑務所送りであったが、戦後はいくら異論を唱えても、それだけで刑務所に入れられることはなくなった。
すると、大勢の人がその整合性に欠けた話に同調するわけで、「そんなバカな話はない、納得出来ない」と異論を唱える人が一人もいない。
「先生と生徒が平等であるとするならば、教育は成り立たない」という正論を誰も吐かないということは一体どういうことなのであろう。
いくらでも異論を唱えることができる状況の中で、「おかしいなあ!!」と思うことに対して沈黙を守るということは、天に向かって唾を吐くようなもので、その因果応報は自分に降りかかってくると思う。
ただ、事の正否よりも、「先生と生徒は平等だ」という倫理の中には、思考の新旧の違いがあって、それに異論を唱えることが「古い考え」だと思われることを回避するために、沈黙を守るということもありうるかもしれないが、だとすればそれこそ日本民族の本質を曝け出すということになる。
戦後の民主教育の良いところは、自分の意見をはっきり言う習慣を得たことである。
自分の意見をはっきり言えれば、異論も堂々と言えるが、するとそれは仲間内からイジメという形でブーメランのように帰ってくるわけで、上から抑圧でないところが極めて陰湿である。
とは言うものの、従来の「長いものには巻かれる」という因習を正面から否定するもので、その背景には権威を恐れないということがあると思う。
権威を恐れないので、上からの抑圧はないが、仲間という横からのイジメが暗黙の圧力になってしまう。
団塊の世代が権威を恐れないのは、彼らを教えた世代が、まさしく権威の崩壊を目の当たりに見たので、その影響が大きく作用していると思う。
今まで、権威という鎧で覆われていたものが、その実態が実は空で、中身が何も詰まっていない、という現実に晒されたのが、終戦、敗戦の際に露わに現出してしまった。
そういう経験をへた先生から権威の喪失を教わったのが、この団塊の世代だと思う。
そして彼らが生まれ落ちたときはまだ世の中は混乱していたが、その混乱を鎮静化させたのが彼らの親の世代だったわけで、彼ら自身がそれに貢献したわけではない。
彼らは自らの成長とともに身の回りがだんだん豊かになって、自分自身は困窮した時代というものを経験したことがない。
欲しいものは幾つも目の前にあり、それは何時でも自分のものとすることが出来たわけで、それを得るために血のにじむような苦労をするという経験もない。
こういう世代は実に素直に成長するわけで、家が裕福であればその心も素直に伸びるが、この素直さがはなはだ問題なわけだ。
血のにじむような努力してでも得なければならないものは何一つ存在していないわけで、望めば何でも手に入る時代になった。
その意味で、素直な心で大人になると、世の中の歪みが気になってきて、この世の中の悪や不正を見逃す心の寛容さに不純を感じ、許せない気持ちが昂じてきたのである。
そしてそれは「正しい人間」の当然の行いで、正しいがゆえに、それに棹差すことが憚られ、その考え方は自己増殖する。
先の「先生と生徒は平等だ」という論理も、人間としては平等だが、教える立場と教えを受ける立場という立場の違いは平等ではありえない。
一つの言葉の中に、正しい部分とそうではない拡大解釈の部分があるわけで、戦後の民主教育では、その正しい部分のみを抽出して全体を包み込もうとするから思考が混乱するのである。
そして、この団塊の世代の正しさを求める純真な者にとっては、その裏側にある汚い部分、いかがわしい部分を綺麗さっぱり払しょくしたいわけで、そうなると世の中の潤滑油が機能しなくなって、ぎくしゃくとした摩擦が生ずるようになる。
一言でいえば、純情な世間知らずの若者の青臭い正義感とでもいうべきであろう。
この団塊の世代はとにかく数が多い。
数が多いということは、物事を決める際に極めて強力なエネルギ-になるわけで、民主主義の多数決原理の中では非常に有利である。
それが全共闘世代の本質にそのまま引き継がれている。
この全共闘の連中も基本的には青臭い正義感の集合体であって、その潜在意識の中にはまぎれもなく日本民族のDNAが潜んでおり、それは一応もっともらしい理由付けにフォローされてはいるが、むき出しの好戦的な敢闘精神である。
「正義のためには人を殺しても良い」というむき出しの闘争精神、敢闘精神が隠されているのである。
問題は、彼らが「自分は正しい事をしているのだ」という思い込みに浸ることである。
この思い込みが根底に潜んでいるので、自分の行為が正しい事であり、それを認めないのは相手が悪いという論理になる。
これらの人々は、それぞれに純で、真面目で、正義感が強くて、自分たちは有意義なことをしているのだ、という思い込みに浸っているので、他者の行為が許せないわけで、結局のところ内ゲバを志向し、仲間同士で殺し合いということに行きつく。
戦後の日本社会でも様々な抵抗運動があって、運動を推進する側と警察の間では内戦状態を呈する感があったが、ここに日本民族の根源的な戦闘精神、極悪非道な殺傷を何とも思わない人知を超えた残虐さというものを私は感じる。
あの戦争中、日本軍の占領下ではひどい事が行われたと言われているが、私はまんざら嘘ではないと思う。
戦後の学生運動や、労働運動の過激さを見ても、我々の同胞は実に残虐な性癖を兼ね備えている。
デモ行進一つとっても、デモの目的は示威活動なわけで、静かにプラカードを持って歩くことが本来の姿であるが、彼らの場合はジグザグ行進で故意に警察を挑発しており、明らかに共産党員が仕掛けていることは明々白日である。
全共闘世代の一部のものが武装闘争に走るというのも、我々の民族の持つ残虐非道なDNAの表れであって、それこそ好戦的な資質の具現である。
戦中に特攻隊員として南の海に散華していった若者も、基本的にはその心の内に、純で、真面目で、正義感が強くて、自分たちは有意義なことをしているのだ、自分の父母兄弟、学友、故郷の人々のために自分さえ犠牲になればそれに貢献できるという思いであったろうと思う。
その純な心が自分の内側に向かって内向すれば自己犠牲の形を取るが、これが外側に向かうと内ゲバという形で他者に対する残虐な行為という形になる。
あの戦争中に純な若者の心が内側に向けばそれは自己犠牲という形になったが、それが外側を向くと被支配者に対する理不尽な暴虐という形で露呈したのではないかと思う。
どちらにしても我々、大和民族の潜在意識の中には、人間の業としての残虐な行為を引き起こす、強力で好戦的な精神の因子を内包していると思う。
それが戦前のテロ行為であり、神風特攻隊であり、戦後は、あさま山荘事件であったり、大菩薩峠の大量殺戮であったり、テルアビブ空港の乱射事件であったりしたわけである。
こういう事件はなにも団塊の世代だけの特異な行動ではなく、純な若者が正義を短編急に実現しようとする過激な行為であって、時代を超えて現出している。
団塊の世代は戦後の民主教育を真正面から受けてきたわけで、彼らの精神構造には旧来の思考による秩序とか因習に価値を置く気風は極めて希薄であるが、民族の根源的な潜在意識としての残虐性はそのまま引きずっている。
その意味で彼らは極めて民主化された思考を持っているようにみえるが、群れをなしたとき、その残虐性は正義漢というお面をかぶって露呈してくるのである。
団塊の世代の論議とはかけ離れるが、昭和20年の8月の東京の現状を目の当たりにして、それでもなお徹底抗戦を主張した我が同胞の思考をどういう風に考えたらいいのであろう。
彼らは特別に偉い地位のものではなく、高い階級の軍人でもなく、組織内では極めて中庸な地位と職域に属していた人たちであったが、そういう人たちが従来の価値観を、つまりメンツのみで他者をより以上の奈落に落とすことを厭わなかったわけで、これを邦人・同胞に対する究極の残虐さと言わずした何と表現したらいいのであろう。
反撃するに何の武器もないまま、つまり竹槍で近代化したアメリカ軍の上陸を阻止する、という発想そのものがあまりにも無知であり、バカであり、愚昧であって、それがなされた時の結果を考えると、彼らの邦人に対する残虐性に身の毛もよだつ思いがする。
沖縄戦を見るがいい。
これと同じことが団塊の世代の全共闘の学生にもあったわけで、独りよがりの正義感に酔いしれて、自分では正義と思い込んでいたことが如何に陳腐なことかを知らなかったわけである。
生きた人間の生、焼け残った地で右往左往している庶民、国民、市民、同胞よりも、彼ら自身のメンツに重きを置いたわけで、この一事をもってしても彼らの同胞に対する残虐性は誤魔化しようがないではないか。
「独りよがりの正義感で以って他者の迷惑を顧みない」、これこそ戦後民主主義を根本から考え直すべきことではなかろうか。