ぶらり~下條村

奥ちゃんのひとりごと

左右木愛弼画家の件

2015年05月15日 | Weblog

桃さん コメントありがとうございます。

 左右木先生の事を知りたいとの事ですが 先生が 昭和56年 12月18日 国立市のアトリエにて 心筋梗塞で亡くなって 早 30年が過ぎました。

先生は テーマのモチーフを求めて全国を歩き回ってて 飯田地方に道租神を求めて 
45年頃から来てた様です。

親しくなった家の人が 先生は 達磨は書かないの? と 聞いたら 
得意題材との事で 書き上げてくれ それを観た近所の人も 書いて欲しいと  
人から人に 知り渡りましたのが始まりと聞いてましたねぇ。

それからは亡くなるまで 毎年の様に 飯田地方に来て呉れてました。

↓ 当時 アトリエ誌 No 624 2月号に 先生の特集で 
  「水彩画・表現技法のいろいろ」 81ページにわたって載ってます・表紙絵も先生

その最後に 先生の紹介が出てるので載せますね。






誌の中の ほんの一部の画像より












先生が亡くなった後 先生と たまたま母達・今は佳き記念に



その後 先生の息子 玲氏も来飯 そして下條にも
父の事を知りたいと連絡入り  当時 職場を一時抜けさせてもらったのも懐かしい



先生が来飯知ると 宿に書いて貰いに集まる愛好家 そのご愛堂会に発展
小柄で髭を生やしてた先生は 大勢の前で 出来た製品に直接 筆

襖であれ 屏風であれ 自信が有るって事ですよね
般若心経でも書いてたもの

先生にも そして水彩画  作品にも魅かれましたねぇ。

玲氏は 当時 石版画を専門としてて その後 個展の はがきも戴いたが仕事で余裕が無くて 東京に行けませんでした。

今回 桃さんのコメントで 玲氏で検索してみたが全然見つからない
これを機に 調べてみたくなってます。

桃さんの事も詳しく判りませんので この範囲にしてみましたが
少しでも知る ヒントになって欲しいと願ってます。