nokoの花図鑑

「みんなの花図鑑」に1か月あまり投稿していました。みなさまの投稿写真を見て刺激を受け、花の写真を撮りつづけます。

山口市 龍福寺 『太内義隆御菩提寺』について少し追加( ^ω^)…

2022年03月16日 | カメラ散策

3月6日、急に『大殿地域交流センター』に行くことに決め、地図検索をすると、偶然大きなお寺が

あることが分かり、何も調べる時間もないまま、車を走らせました。

5つ目の信号を左でしたが、4つ目の信号を左に回ってしまいました。

直ぐ、広々とした整備された道に出ました。

駐車場も『大殿地域交流センター』の駐車場の隣は『龍福寺』の駐車場でした。

主人はすぐ中に入りましたが、私はC-PLフィルターに変へ、庭のように植木が植えられ山門の前から

案内板などを読んでゆっくりと一礼し、山門をくぐりました。

 

 

その時は分からなかったのですが振り返ると山道があり、サクラの時期にはこの場所から見事な桜を

見ることができたでしょう。

 

 

 

豊後岩の由来の案内板

『太内氏に歴代政庁をこの地に置き、西日本に覇を担っていたが後には防・長・芸・備・石豊・筑の

7カ国の守護を兼ね、その富と権力は天下に並ぶべきものがなかった。

当時 世の中は兵乱にあけくれていたが、山口の町は平和を保っていたので戦乱の都をさけてこの山口に

来る公卿・文人が多くあり、いわゆる西の都の繁栄があった。太内氏はこれらの来訪の客をもてなした。

邸前に宏大壮麗な築庭をした。

そこには流水がありました。当時珍しい蘇鉄が植えられたりしたが、使用した岩は全部豊後の国から

舟で持ってきたものであった。

しかしこれらの岩は豊後の国を恋しがって雨の夜は「豊後に帰りたい」といって泣いていたという。

このような立派な岩も太内氏の滅亡後は荒廃して、わずかに豊後岩だけがここに残って往時の栄の跡を

しのばせている。』との案内板がありました。

※ 岡山から大分までを支配していたそうですが、豊後は大分です。

豊後岩の事は帰宅後知ることになり、岩の確認が出きず残念です。

 

『討つ人も 討たるヽ人も 諸ともに』と書かれています。

 

写真は沢山撮りましたので、今日の写真はまだ未発表のものばかりです。

我が家の寒アヤメは、例によってに抜かれてしまいました。

 

同じ、乙女椿を移植しています。水不足で弱りました。枯れると思います。可愛いお花ですが・・・

 

似たような写真は出していますね。

 

 

余り遠くに来ることが在りませんので、備忘録としてもアップしたいと思います。

『大殿地域交流センター』に飾られたお雛様、毎年、飾らして下さるそうです。

 

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