こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。
冷え込んでいますが風もなく穏やかな天気になりました。
中学歴史教科書には多くの天皇が登場します。中世以前では、推古、天智、天武、持統、聖武、桓武、後三条、後白河、後鳥羽および後醍醐天皇です。これらの天皇の政治や業績を整理しておくと良いでしょう。
今回は、後鳥羽天皇を紹介します。後鳥羽天皇は、平安時代末期から鎌倉時代初期に在位しました。自らも中世屈指の歌人であり、新古今和歌集の編纂を命じるなど、空前の文化隆盛をもたらします。しかし、政治では承久の乱によって隠岐に流されてしまいます。
当時の時代背景は、平清盛の娘徳子を母にもつ安徳天皇が即位した年に、後鳥羽天皇は高倉天皇の第四皇子(四宮)として誕生します。権勢を誇っていた平家も、以仁王や源頼朝の挙兵により翳りが見え始め、1183年には安徳天皇を伴って西国に移ります。第二皇子(後の後高倉院)は、平家と行動をともにしましたが、四宮は都に留まり、その翌日、新帝候補として後白河院から呼ばれます。他に、三宮(惟明親王)も呼ばれたのですが、三宮は後白河院を見て泣いてしまったのに対して、四宮は院の膝に乗ってきてなついたので、院は四宮を新帝に定めたと「平家物語」や「愚管抄」にあります。
このようにして後鳥羽天皇が誕生するのですが、都と西国に二帝が並び立ち、さらに三種の神器なくしての即位でした。その後、1185年に平家が壇ノ浦で滅亡することで、後鳥羽天皇は唯一の天皇となります。その在位期間は、天皇として15年、上皇として23年と長期に渡り君臨しますが、本格的な武家政権である鎌倉幕府の存在により、それまでの天皇とは権力のありかたが違ってきたことが、承久の乱に繋がったのだとと思います。
冷え込んでいますが風もなく穏やかな天気になりました。
中学歴史教科書には多くの天皇が登場します。中世以前では、推古、天智、天武、持統、聖武、桓武、後三条、後白河、後鳥羽および後醍醐天皇です。これらの天皇の政治や業績を整理しておくと良いでしょう。
今回は、後鳥羽天皇を紹介します。後鳥羽天皇は、平安時代末期から鎌倉時代初期に在位しました。自らも中世屈指の歌人であり、新古今和歌集の編纂を命じるなど、空前の文化隆盛をもたらします。しかし、政治では承久の乱によって隠岐に流されてしまいます。
当時の時代背景は、平清盛の娘徳子を母にもつ安徳天皇が即位した年に、後鳥羽天皇は高倉天皇の第四皇子(四宮)として誕生します。権勢を誇っていた平家も、以仁王や源頼朝の挙兵により翳りが見え始め、1183年には安徳天皇を伴って西国に移ります。第二皇子(後の後高倉院)は、平家と行動をともにしましたが、四宮は都に留まり、その翌日、新帝候補として後白河院から呼ばれます。他に、三宮(惟明親王)も呼ばれたのですが、三宮は後白河院を見て泣いてしまったのに対して、四宮は院の膝に乗ってきてなついたので、院は四宮を新帝に定めたと「平家物語」や「愚管抄」にあります。
このようにして後鳥羽天皇が誕生するのですが、都と西国に二帝が並び立ち、さらに三種の神器なくしての即位でした。その後、1185年に平家が壇ノ浦で滅亡することで、後鳥羽天皇は唯一の天皇となります。その在位期間は、天皇として15年、上皇として23年と長期に渡り君臨しますが、本格的な武家政権である鎌倉幕府の存在により、それまでの天皇とは権力のありかたが違ってきたことが、承久の乱に繋がったのだとと思います。
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