へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

国際情勢のはざまで...

2018-03-08 08:07:58 | 日々雑感

 国際情勢の表舞台に立つのが外交官であるならば、私は国際情勢の裏舞台に立つのは自衛官であると思っている。

 
 私が陸上自衛官を志願した32年前、当時はまだ「ソ連」の時代で冷戦時代の末期に近かった。その年は、日航機の墜落事故があり、大寒航空機撃墜事件があった。
志望の動機を聞かれ、面接官に真顔で「ソ連から北海道を守るためです」とかなり過激な発言をしたのを覚えている。

 それがきっかけで?合格してからは、東京都練馬区大泉学園町と埼玉県朝霞市の境目にある(実際に駐屯地の中に「県境」がある🎵)朝霞駐屯地で半年間の教育を受けた。

 当時は、女性の枠が少なく、全国各地の合格者がここに集められての教育だった。

 そこでの教育が終わると、全国各地の駐屯地に配属される。

 北海道出身の私は、なにがなんでも沖縄に行きたかった。が、面接で「北海道出身なんだから北海道で勤務しなさい」と言われ、北海道へ強制送還🎵

 自衛隊入隊動機の一つは、親元を離れるコトだったが、配属先は実家の小樽の隣街🎵札幌市南区の真駒内駐屯地に決まった🎵

 こうして脆くも私の「親元を離れる」計画は崩れ去った(^_^)

 今、考えるとソ連を脅威としていた時代、北海道北西部の海岸沿いのサロベツ原野⬅トランスエゾ、オロロンラインでお馴染みの... にソ連の空挺部隊が落下傘で夜間に降りてくる❗と本気で考えられていた。

 だから、北海道に多くの隊員を送り込む。当時は九州出身者が多数送り込まれ、中にはそのまま住み着いた人もいた。

 通信兵として駐屯地の中でNTTのような仕事(電話交換手のほか、電柱に登って電話線の張り替え作業もした🎵)し、兵卒から下士官の部内試験に合格してからは、5年間、再び朝霞駐屯地で、今度は隊員を教育する側として勤務した。

 この時受けた幹部昇任試験に合格して、当時、女子に門戸が開かれて年数が浅い地対空ミサイル部隊に職種変換した。理由は、海に囲まれている日本は、地対空ミサイル部隊こそ、諸外国の侵入から我が国を守る「最前線」ダ❗と思ったからだ。

 実際にミサイル実射訓練で二度、渡米した。

 ミサイル部隊に転換して最初の赴任先が、今、私が住んでいる福岡県飯塚市だった。

 飯塚...見慣れない二文字になんて読めばいいのか、戸惑った。飯の塚?それって、いったい何処に有るの?
当時は新幹線のぞみは走っていない。東京から博多まで6時間かけて移動した。飯塚駅に到着すると昼間から酔っぱらいがワーワー叫んでる。迎えのトラックの荷台から外の景色を眺めると、どんどん山の中へ入っていく(^_^)全くとんでもない所に来てしまったモンだ❗と池袋まで電車で15分の朝霞から来た私は思った(^_^)

 今思えば、時代は既にソ連が崩壊し、金日成が死去して朝鮮半島情勢が一気にキナ臭くなってきた時であった。飯塚駐屯地は陸上自衛隊の地対空ミサイル部隊の中で最も朝鮮半島に近い部隊だ。⬅まだ当時は北朝鮮もミサイル開発できる段階には無かったが。

 その後、再び北海道に帰り⬅幹部になると2-3年で異動しないといけない。移動距離が大きいと手当ても大きいので私は喜んで異動した(^_^)、千歳で勤務して2年目に中隊長が何気に言った。

 おい、澤田...お前の希望先の沖縄ではないけど、九州の勤務があるんだ。行くか?

 ハイ💖と手を上げ、二度目の飯塚勤務...半島情勢は、この頃から北朝鮮兵士が福岡に上陸してゲリラ活動が活発化する...なんて想定に移行していた。⬅村上龍の小説「半島を出でよ」が実際にあり得る、とも考えられていた。

 そして、熊本での3年間の勤務を終え⬅ここは九州・沖縄を統括する本社でもあるので、大抵の希望は通った。念願の沖縄勤務に(^ー^)❤

 憧れの守礼の門に波をあしらった部隊章を手にした時は感無量💖だった。

 しかし、朝鮮半島情勢と併せて中国が台頭し、にわかに南西諸島の防衛が最優先❗と叫ばれるようになり、新編部隊を立ち上げるコトになり、私は立ち上げの一端を担った。

 元締めの総務から隊員の福利厚生を担当する部署に異動した時、朝霞の公務員宿舎が財務のやり玉に上がり、会計検査院検査を受け、担当官から「700万の国損を与えた」となじられた。

 中国船の東シナ海航行が頻発化し、石垣島に新編部隊を置く話が浮上すると、全国的に公務員宿舎削減の中、その動きに反して宿舎獲得のため、地元財務と戦った。

 そのまま定年まで沖縄にいるのかな?でも、なかなか希望のポストが空かない(^_^)

 そのうち、沖縄在住4年半になり、いい加減、沖縄を出ざるを得なくなった。もう一度、ミサイル部隊に戻れ❗というコトになり、三度目の飯塚勤務に...


 話が変わるが、写真は石垣島市長選をめぐる動きを解説した、先週の読売新聞記事である。こういう図は、一昔前なら、秘密事項、下手すれば国家機密に値するような事項だったが、今は国民として知っておかなければいけない事項である。

 ここに、石垣島500人~600人、とある。要するに私が所属していたミサイル部隊を含む他の部隊から隊員を差し出し、新たに部隊を新編する、という計画である。

 このため、三度目の飯塚は今までに無い多忙感満載の職場と化していた。

 あれから4年...石垣島、宮古島に先駆けて昨年、与那国島に部隊が駐屯し始めた。

 そして、私が定年3年を前に中途退職を決意した一因である「多忙感」の根源、石垣島への新編部隊配置をめぐり、今なお、二転三転どころか、こうして政治的に利用されている。

 まあ、致し方ないところだが、せっかく築き上げてきた計画が、市長選の結果次第では白紙に戻る...そんな現場の元同僚達のコトを思うと、いたたまれない気持ちになる。

#welovegoo
#石垣島市長選







 
コメント
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