生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

善意の架け橋

2018-08-29 11:03:26 | 日々の暮らし
【知られざる第一次世界大戦の偉業】シベリア出兵とポーランド孤児救出劇 現在も続く両国の友好
という記事を読みました。
テレビで観て感動した記憶があります。

 第一次世界大戦(1914〜18年)末期、同盟国・ロシアで起きたロシア革命に干渉すべく、日本は、米国、英国、フランスなどの連合国とともにシベリアに派兵した。世にいう「シベリア出兵」です。

 最終的に、兵力7万3000人と戦費10億円を投じ、約3000人もの戦死者を出しながら、得るものがなかった対外戦争だったと酷評されてきました。
だが、結果として、
765人のポーランド孤児を救うことができたことをご存じだろうか。

 
ときは19世紀、ロシアからの独立を勝ち取るために戦いを挑んだポーランド人が、政治犯としてシベリアに送られた。
また、第一次世界大戦で戦場となった母国を離れて逃れてきた人々など、当時のシベリアには15万〜20万人のポーランド人がいました。

 第一次世界大戦が終結し、ポーランドは独立を回復したが、シベリアのポーランド人はロシア内戦の中で凄惨(せいさん)な生き地獄に追い込まれ、多数の餓死者や病死者、凍死者を出したという。

 その惨状を知った極東ウラジオストク在住のポーランド人が「せめて親を失った孤児だけでも救わねば」と、「ポーランド救済委員会」を立ち上げ、東奔西走した。

 これに、ロシア革命の余波を警戒して、第一次世界大戦終結後もシベリアに兵をとどめていた日本が手を差し伸べたのです。

 1920年6月、ポーランド救済委員会から救援の打診を受けた日本政府は、日本赤十字社に「救済事業」を要請し、救護活動を決定した。2週間後には、最初のポーランド孤児らを乗せた輸送船がウラジオストクを出発し、福井県・敦賀港に到着した。

 このとき、日本赤十字をはじめ、軍や警察、役場、敦賀市民は孤児たちを温かく迎え入れた。食事や菓子でもてなし、病気の治療にあたるなど、手厚く養護したのである。22年8月までに、日本が救出したポーランド孤児は計765人に上った。

 ポーランド政府の要請に基づき、元気を取り戻した孤児たちは横浜港や神戸港から母国に向かった。船で日本を離れるとき、感動的な出来事がおきた。ポーランド孤児たちは「日本を離れたくない」と泣き出したのだ。

 シベリアで極寒・極貧の生活を強いられ、愛情に触れたことのなかった孤児にとって、日本はまさに天国だったのだ。

 孤児らは船上から「アリガトウ」を連呼し、「君が代」とポーランド国歌を高らかに歌い感謝の意を表して別れを惜しんだという。

 日本では、この感動的な史実はほとんど知られていない。だが、ポーランドでは今でも、この孤児救援劇が語り継がれ、恩返しが続いている。

 阪神・淡路大震災(95年)を受けて、ポーランド政府は95、96年、被災児童らをポーランドに招待した。首都ワルシャワで4人のポーランド孤児と対面させるなど、日本の子供たちを温かく励ましてくれた。

 東日本大震災(2011年)でも、ポーランド政府は被災した岩手県と宮城県の子供たちを2週間もポーランドに招いてくれた。

 批判にさらされてきた「シベリア出兵」だが、日本とポーランドの友好を育んだ物語を忘れてはならない。

という内容です。

兵藤長雄著『善意の架け橋−ポーランド魂とやまと心』(文藝春秋)

ありがたい話にであったことに

合掌
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永遠の命さくらももこさん

2018-08-29 00:33:46 | 日々の暮らし
世界最古の物語。
古代メソポタミアの実在の王ギルガメシュの神話。


粘土板に記載されたものが断片的に発掘され解説した物語です。



絵本も出ているようです。

読みにくいが感動の本でした。

「永遠の命」

ギルガメシュ王が不老不死の薬を求めて旅をするのです。


途中助けたライオンに壊れた車を引かせて、森や砂漠を行くのです。

ライオンが疲れきって
倒れてしまうと、

ライオンを背負って歩き続けるのです。


永遠の命の薬を求めて。

しかし、永遠の若さの秘薬を手に入れたが、

恨みを持つ男に奪われてしまうのです。

ギルガメシュ王は
大きく、強く、なんでも持っていましたが

幸せではありませんでした。

友達がいなかったからです。


いつも一人ぼっちでした。

ある時、大きな鳥が

飛んで来て、


王様を背中に乗せて

上空から王様が築いた
美しい都を見せてやるのでした。

王は誇りと幸せで一杯でした。


王よ!


君の求めた


永遠の命が



ここにある。


君が築いたウルの都。


人々の心の中に



永遠に生き続けるだろう。



永遠の命とは




素晴らしい行い




なんだと教えた。



世界最古の物語でした。


さくらももこさんとは

同郷ですので残念です。
故郷を離れて数10年になるので懐かしく観ていました。

さくらももこさんの家のあたりはお店もあまりない住宅街です。


私は港からその近くの学校に通っていました。
清水銀座があり。
七夕祭りや港祭りが唯一の楽しみでした。

あの頃何度か取材依頼したのですが、目立ちたくないからと断れました。

郷土に

永遠の命を

残された

さくらももこさんの

ご冥福をお祈り致します。

合掌






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アケビ

2018-08-28 05:13:50 | 日々の暮らし
毎朝散歩していると、気になる木の実があります。
秋になると沢山の実ができます。

誰も取らないので、道に落下しています。

熟すと紫色になります。
もしかしたら、今では珍しいアケビかもしれません。

梅の実もたくさん落下しています。

銀杏の坂道もあります。

そんな山里を歩いています。

秋がやって来ています。

南国のような今年の夏はもういいね。

日本の秋

早く恋。

合掌
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希望と絶望

2018-08-28 03:13:09 | 日々の暮らし
以前聞いた話。

「光が多い所では

影も強くなる。」

「金色は

白と黄色と黒が

含まれている…。」

何か素敵な

言葉でした。

ゲーテとカフカの


文豪の二人が

述べた言葉でした。

カフカは絶望の人

ゲーテは希望の人

と言われていたから、

表と裏

白と黒


を語っていたのでしょうか。

この言葉に引かれた訳は

人間には、明るい人も

暗い人も

それぞれ

反対の色を

合わせ持っているのだ。

という事を感じたのです。

光輝く金色だって、

黒い色を

持っている。

そんな事を

感じたのです。

ゲーテも

84歳まで生きたの

ですが、妻や子、兄弟

、友人全てを亡くして

絶望を味わっていた

と言います。

人生も同じ

希望と絶望を

繰り返して

生きていくものかも

しれません。

片方だけの人生など

ないと。


この言葉に

そんな意味が

含まれているのだと、

感じて紹介しました。

余談ですが、ゲーテは世界万博に行った時に日本文化に触れ、特に日本茶を愛する日本人に
繊細さを感じたと当時の新聞記事にありました。
故郷のライン川にあるブドウ畑からできる繊細なワインに似ていて、日本人なら分かるはずだと述べていました。
ゴッホを尊敬していたゲーテだからゴッホが愛した日本に関心を抱いていたからかもしれません。

ゲーテとゴッホと浮世絵の話になると長くなるのでこの辺でやめます。

今日の佳き日に

合掌

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三心

2018-08-27 01:17:25 | 日々の暮らし
人間関係に『三心』の心得があります。

★喜心(きしん)
喜びを持って行う心のこと。
仕事に対しての感謝のみならず真心こもった料理とか、義務や義理で作ったのではないこと。

★老心(ろうしん)
父母の心、親心を指します。
よその子も我が子と思って愛情持って尽くしましょう。

★大心(だいしん)
人の賞賛にも有頂天にならず、ののしられても怒らず、事に処して判断を誤ることのない心を指す。

以上を三心といいます。

大心は難しいですね。


この心得を噛みしめて、今日も生きたいと思います。

近くを散歩したら通学路に小さなせせらぎ歩道を見つけました。

水車の回るのを何時までも見つめていたよ。

合掌
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