仏教語に「妙好人」という言葉があります。
ひなびた漁村に妙好人といわれる老婆が住んでいました。
いつも自分が生かされていることを神仏に感謝していました。
ある夏、おおぜいの家族と一緒に小舟に乗り、湾を横切って対岸の親戚へ行くことになりました。
天気はよかったのですが、風が強かった。
お婆さんは日傘をさして舟のまん中に座っていました。
湾の中ほどまで来たとき、突然小舟は横波をくらい大きく傾きました。
子供たちが驚いて立ち上がった。
バランスがくずれて、アッという間に小舟は転覆してしまいました。
海に投げ出されたみんなが、ようやく舟べりにしがみつくと、お婆さんがいません。
必死になって小舟を引き起こしたところ、
なんとお婆さんは日傘をさしたままで、お念仏を唱えながら舟のまん中に座っていました。
「私は舟がひっくり返ったとき、阿弥陀さまがお迎えにいらっしゃったと思い、ありがたくてただもうお念仏を唱えていただけだよ」
と答えたという。
妙好とは清浄な白い蓮華(れんげ)の花を表します。
これから、学門や教養がなくても愚かな考えを持つこともなく、
自然の恵みに感謝して自由に生きることを
「妙好人」と
呼ぶようになりました。
また、石川啄木が友人が偉くなり、不遇を嘆き愚痴りたくなったとき、
「友がみな
われより偉く
見ゆる日は
花を買いきて
妻とたのしむ」
と歌っています。
人はどんな悪い環境におかれたときでも、
決してあせらず、自分の現在の持ち場に生かされていることを感謝して、
心豊かに生きて行けばよいのです。
啄木の妻のように大半の女性は分かってくれるものです。
蓮華はよどんだ汚ない泥の中から育つけれども、
真っ白で清浄な花を咲かせる
「白蓮華の人」といわれる
妙好人の生き方を
見習いたいと思います。
あなたも妙好人に
なりますように
合掌
ひなびた漁村に妙好人といわれる老婆が住んでいました。
いつも自分が生かされていることを神仏に感謝していました。
ある夏、おおぜいの家族と一緒に小舟に乗り、湾を横切って対岸の親戚へ行くことになりました。
天気はよかったのですが、風が強かった。
お婆さんは日傘をさして舟のまん中に座っていました。
湾の中ほどまで来たとき、突然小舟は横波をくらい大きく傾きました。
子供たちが驚いて立ち上がった。
バランスがくずれて、アッという間に小舟は転覆してしまいました。
海に投げ出されたみんなが、ようやく舟べりにしがみつくと、お婆さんがいません。
必死になって小舟を引き起こしたところ、
なんとお婆さんは日傘をさしたままで、お念仏を唱えながら舟のまん中に座っていました。
「私は舟がひっくり返ったとき、阿弥陀さまがお迎えにいらっしゃったと思い、ありがたくてただもうお念仏を唱えていただけだよ」
と答えたという。
妙好とは清浄な白い蓮華(れんげ)の花を表します。
これから、学門や教養がなくても愚かな考えを持つこともなく、
自然の恵みに感謝して自由に生きることを
「妙好人」と
呼ぶようになりました。
また、石川啄木が友人が偉くなり、不遇を嘆き愚痴りたくなったとき、
「友がみな
われより偉く
見ゆる日は
花を買いきて
妻とたのしむ」
と歌っています。
人はどんな悪い環境におかれたときでも、
決してあせらず、自分の現在の持ち場に生かされていることを感謝して、
心豊かに生きて行けばよいのです。
啄木の妻のように大半の女性は分かってくれるものです。
蓮華はよどんだ汚ない泥の中から育つけれども、
真っ白で清浄な花を咲かせる
「白蓮華の人」といわれる
妙好人の生き方を
見習いたいと思います。
あなたも妙好人に
なりますように
合掌