生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

湧き立つ幸福

2019-01-15 13:21:04 | 日々の暮らし
幸福とは一度手に入れたら永久に変わらないと錯覚している人がいます。

「青い鳥」のメーテルリンクは幸福とは、手にした瞬間に飛び去るものと述べています。

「幸福とは泡でできている。
それは、陽炎(かげろう)のように儚(はかな)いものである。」
(美輪明宏)

しかし、私は幸福とは持続できるものと思っています。

それは何にでも感謝合掌することです。

嫌やな仕事でもある事の喜び。

寝ることができる喜び。
風呂に入れる喜び。

手足腰の痛みがやわらいだ喜び。

着るものがある喜び。

食べものやお酒がのめる喜び。

お布施を頂ける喜び。

太陽に感謝する喜び。

大地の女神(ガイア)に感謝する喜び。

神様の存在に感謝する喜び。

それらを感じていれば
幸せは持続できるのです。

こんなまずいもの食えるか!
サービスが悪い!
と愚痴ばかりいう人は病気や水や電気のない生活をしたら気づくでしょう。

色彩学で「白」を際立たせるには、そのかたわらに「黒」を置けばよいがあります。

いわゆる「明と暗」です。

苦労は「黒」。

黒が深ければ幸せの
「白」が目立つもの。

苦労は幸福の源なのです。

泡のように瞬間に消え去る幸せも、いつまでもあなたのそばで湧き立つ泡となるのです。

     合掌

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美しく老いる

2019-01-15 01:49:01 | 日々の暮らし
シスター渡辺和子さんの本『目に見えないけれど大切なもの』より

「老いの哀しさ」
について紹介します。

イエス様は、この世においでになって、私たち人間が味わうであろうすべての苦しみ、哀しみを、一つの例外を除いて味わってくださったと、私は思っている。


その例外が「老いの哀しさ」ではなかっただろうか。


33歳でおなくなりになったのだもの。

でも、イエス様は、よくわかっていらしたのだ。

ペドロに向かっておっしゃっている。

「よくよくあなたにいっておく。
あなたが若かった時には
自分で帯をしめて、
行きたいところに
行くことができた。

しかし、歳をとると
あなたは両手を伸ばし、ほかの者に帯をしめられ、
行きたくない所に連れて行かれるであろう」
(ヨハネ21.18)

老いるということは哀しいことなのだ。

一生を日本に捧げて87歳で逝ったヘルマン・ホイヴェルス神父が

「年をとるすべ」と題した随筆の中に、南ドイツの友人からもらったとして次の詩を紹介している。

『最上のわざ』

この世で最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、
ねたまず、
人のために働くよりも、
けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、
親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、
これで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを

少しずつはずしていくのは

真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、

それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

それは祈りだ。

手は何もできない。

けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、
神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ。わが友よ、
われなんじを見捨てじ」と。
(人生の秋に)

美しく老いるすべ、

老いを恵みとして

受け止める心を謳(うた)っていると

ホイヴェルス神父は述べています。

老いるということは、


個性的になる



チャンスなのだ


これが、老いの恵みである。


渡辺和子さんの言葉を紹介しました。


素敵な言葉に感謝です。

合掌
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