生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

永遠のテーマ

2019-01-02 20:39:24 | 日々の暮らし


私の永遠のテーマは

『生きる力になれば』

を考え日々応援歌を綴る事です。

それは、この世は辛く、苦しい事が多いからです。


少しでも、日々生きるエネルギーが沸いて来てくれたらと願って止みません。

それは、自分への応援歌にもなるからです。

今日は一休さんの言葉を紹介します。


一休さんが80歳の頃、

応仁の乱で西の総大将を務めた武将、

山名宗全が病床で不安になったのか一休禅師を呼んだ。


見舞いに来た一休は


『なんじすでに末期な

り、我もゆき人もゆく

。ただこれ一生は、

夢の如く、幻の如し』

と言葉を掛けたそうです。


宗全は安心して往生したそうです。

(あんたはもうじき死ぬだろう。
だけど、あんたは一人
じゃない、私もゆき他の人達もゆくのだから不安になることはない。
あんたも愛や名誉など、いろいろあったろうけど、人の一生は夢幻だよ。
喝(かーつ)!)

凄い言葉を掛けたと驚きました。

また、江戸末期に

物外(もっがい)という名僧があるお殿様に依頼されて

正月の床の間ように書いて渡した書があります。

『婆死ぬ、嬶(かか)死ぬ、倅(せがれ)死ぬ、孫死ぬ』

正月に死ぬばかりの書に驚きませんか?

縁起が悪いと思いがちです。

順序よく死んでゆくことがめでたいという意味です。

順序が逆になっても後悔や憎しみを持たないことがめでたいとの意味もあります。

何か勇気が沸いて来ませんか。

まだまだ生かされているのだから今日を精一杯生きましょう!

合掌。

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手放す幸せ

2019-01-02 20:39:24 | 日々の暮らし
2日は五ヶ所の都内の神社仏閣に参拝してきました。

今日は「手放す幸せ」について話したいと思います。

般若心経に
「度一切苦厄(どいっさいくやく)」
という言葉があります。

度は動詞で、
「悟りの世界に渡す」という意味です。

ゆえに、度一切苦厄とは
『すべての苦しみや行き詰まりを、悟りの(心やすらかな)岸に渡した』という意味です。

何故か、一切の苦や厄を消し去って無くしたと言わないのでしょうか。

苦(四苦八苦)や厄(行き詰まりの意味)は消し去ることはできないので、悟りの岸に渡してしまったというのです。

すごく、意味深い言葉だと思いました。

苦しみ悩みの心を
消すのでなく、

悟りのある仏様に渡してしまえば楽になるということでしょうか。

一人で悩んでいないで、どんどん渡してしまえばいいのです。

それが、「幸せ」になるということです。

幸せの語源を調べると、不思議な事が分かりました。

「幸」は手かせの象形文字から来ているのです。

手錠をかけられて束縛されている象形文字なのです。

幸せとは、とらわれている執着のような意味から、解放され手放すことで幸せを得ると解釈されたようです。


『度一切苦厄』『幸』

のキーワードは

「手放す幸せ」と

私は思いました。


皆様の日常の消し去る事ができない、苦しみや行き詰まりに

どうしよう!

お先真っ暗だ!


と落ち込む時もあると思います。


その心を一度
空っぽに
解放してみましょう!

楽になって

いい結果

救いの手立てが

やって来るものです。



私の経験からもです。

皆様の導きの気づきになればありがたく思います。

合掌

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心の旅路

2019-01-02 03:47:00 | 日々の暮らし
私の住む回りには高い山もない小高い丘や平地があるのみ。

北は何処だろう?

するとやっと気がついた。

ロケットのように天に向かって立っている

ゴミ焼却炉の巨大な煙突だ。


まさしく北にある。

東に羽田空港がある。

南にランドマークタワーが見える。

富士山は西その先が関西か。

飛行機が北の空に
飛んで行く。

寒い北国へ。

私は心の旅をしている。

風景も人生と同じだ。

歩いて行けば景色も出会いも違う。

悲しみも喜びも刻んで歩く。

昔の人は心の星として

北極星を頼りに旅をした。

今年はどこへ旅だとう

あの旅立ちの歌聴きながら。

喜びも悲しみも受け入れて人生の心の旅に出よう。

合掌

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