生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

疑い深い人

2016-05-07 00:31:31 | 日々の暮らし
私は定年前の仕事柄、まず「その話は」疑ってかかる癖がついていました。

刑事のように。

この情報は本当だろうかと。

取材して裏を取ると、大抵は眉唾物ばかりでした。

旨い話はないということです。

安心、安全の広告見ても

本当か?

と疑っていました。


有名企業だから安心といわれてもその根拠を調べないと、

疑うことから

始まる

脳思考になっていました。

その後の仕事仲間から

嫌な性格とあきれられていました。

旨い話を持ち掛けられたり、

勧誘されたり、

訪問販売の営業マンや幹部にも

疑いの質問や、そのセールストークには何の根拠も見られません。


それはネズミ講のようです。

等と質問ばかりしていると避けられてしまいました。



人の弱味を突く
(コンプレックス商法)

言葉に人は弱い者です。

安心をもとめて、つい信用してしまうのです。

日本人は信じることは良いこと。

疑うことは悪いことと考える傾向が強いからです。

私は

「信じるために、

まず疑ってみる」

の精神を大切にしていました。

すると古代の言葉を見つけました。

最古の仏教より

『信じ込んではいけない十戒』

他人にだまされて自由を失わぬために、次の事に注意する。

1.「〇〇さんが君についてこんなことを言ってたよ」と聞かされても、確かめるまでは信じ込まないこと。


2.「この国では昔からこうするものだから」などと伝統を持ち出されても、信じ込まないこと。

3.それが流行していて評判がよくても、信じ込まないこと。


4.聖典やお経や本に書いてあるからといって、信じ込まないこと。

5.実際に確かめていない憶測を聞かされても、信じ込まないこと。

6.いかにも正しそうに、「〇〇理論」や「〇〇主義」によるとされていても、信じ込まないこと。

7.常識に合っていても、信じ込まないこと。

8.自分の意見に合っていても、「私もそう思ってたんですよ」と安直に信じ込まないこと。

9.相手の服装が立派だったり職業が素晴らしかったり態度がうやうやしくても、それらの見せかけに惑わされて、信じ込まないこと。

10.相手が自分の先生だからといって、盲目的に信じ込まないこと。

これ程までは疑ってはいませんでしたが、

医者や大学教授や国会議員さんや俳優さんの推薦文が合っても信じませんでしたから。


ほぼこの精神でした。

古代からこんな言葉があったなんて驚きました。

お経にあっても信じ込むなてすごいですね。

教科書に書かれていても信じ込まないと、
同じですから。

詐欺に合わない為にも
読んで聞かせたい言葉です。

また、納得する言葉に出会いました。


江戸時代の日蓮宗僧侶、元政の言葉です。


「何かを信じることは、人が生きる上で根本となるもの。

何かを疑うことは、
人が生きる上で方向を決めるよりどころや、新たな一歩を踏み出すきっかけとなるもの。

この二つは、どちらも欠かすことのできないものです」

なんと聡明な導きの言葉でしょう。

生きていく上で
「疑う、信じる」
の精神は
セットの熟語として

若い人にも記憶して

欲しいと思います。

合掌
コメント
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