パニック障害について ②症状の進行

つづきです。
パニック障害と診断されるまで。


◆症状の悪化
電車通勤を始めて生活環境に変化があった頃、ウィメンズクリニックへ通っていました。
女性ホルモンのバランスによる症状だと勝手に思い込んていたためです。
駅から徒歩10分くらいのところにある病院でしたが、駅でトイレを済ませたあと、病院につくまでの間(トイレの見当たらない状況)、動悸とめまいが激しくなり、病院の受付でしゃがみこんでしまいました。
この時は、トイレに行きたい!と思っていました。
でも、10分前に済ませたあとなので、トイレに行っても出るわけがありませんでした。
ウィメンズクリニックでは、過活動膀胱との診断と、出産後の下半身内部の筋力低下とのことで、治療を進めましたが、クリニックに行くのに電車で行かねばならず、だんだん行く事が困難になりました。


◆趣味への影響
趣味で続けていた音楽活動も、だんだんと困難な状況になりました。
まず、演奏会でステージに出ている時に、不安を感じることが多くなりました。(自由にトイレにいけない状況)
不安から、出演時間ギリギリまでトイレにこもるようになりました。
やがて、介護用おむつをつけないとステージに立てなくなりました。(2009年-2010年)
それで粗相してしまうことは結局ありませんでしたが、おむつをすることで幾分不安が遠のきました。

団体での練習や、レッスンなど、トイレのない個室に30分以上入っていると、徐々に動悸が激しくなり、ひどかった頃は仲間や先生にご迷惑と思いつつも、室内にいられず中座してしまうことがよくありました。


◆苦手だった状況や場所
2010年になり、電車での通勤がいよいよ苦痛になってきました。
最初の頃は、めまいによって下車したことを、疲労だと思っていました。
急行で14の駅を通過して通勤していましたが、途中で一度降りるだけで済んでいた通勤が、二度、三度降りるようになり、最後の頃は、もう全ての駅のトイレを把握するほど、駅ごとにトイレに行きたくなって降りるほどでした。

レジの列や、家族と出かけた遊園地での列でも、やはり急にトイレに行きたくなり、並んでいられませんでした。
映画館や、コンサート会場などの客席でも、休憩時間や終演までホール内にいることが困難なので、ロビーで演奏会を聴いていたこともありましたが、次第に娯楽施設などへ足を向けようとも思わなくなりました。

路線バスは電車よりもさらにひどく嫌いました。(下車しても必ずトイレに行けるわけではない為)
高速道路での移動では、サービスエリア毎にトイレに立ち寄り、渋滞になると途端にめまいや動悸が激しくなって辛かったです。
また、サービスエリアでトイレを利用しても、車に戻るまでの間に「また行きたくなるかもしれない」という不安から、車とトイレを何度も往復するということがよくありました。
大好きな故郷に帰ることすら、苦痛になっていました。(神奈川-長野)今までは途中で一度休むだけで帰れるくらいの距離だったのに、移動時間が大幅に変わりました。
元々、外出や遊ぶこと、買い物が好きな性格なので、思うように外出できないことへのストレスが募りました。


◆母の勧め
だましだまし電車通勤をしていましたが、とうとう会社での来客時に会議室から退席してしまうようになり、仕事を続けることに疑問を持つようになりました。
そんな時に母が、「あなたはおそらくパニック障害だと思うから、心療内科を受診してみなさい」と提案されました。
それまでパニック障害とはどんなものなのか、まったく知識のなかった私にとって、すぐには状況を理解できませんでした。
ネットで調べてみるうちに、もしかしたらパニック障害なのではないかと自分でも思い当たる症状があったので、受診することを決めました。
心療内科にはすぐに通院することができず、予約をして、その症状のまま1ヶ月ほど待ってからの受診となりました。

つづく

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