鹿島槍ヶ岳

父が突然他界して、20年が経ちました。
この20年で私は結婚し、出産し、母が犬を飼ったり、おじいちゃんも他界したり、家を建て直したり、弟も結婚したり、父が知らないあいだに色んな変化がありました。

スポーツが得意で特にサッカーはコーチングするくらい、スキーはカナダでヘリで山頂へ行き、滑り降りてくるほどの腕前のカッコいい父でした。
そんなスポーツ万能の父が鹿島槍スキー場で命を落として以来、しばらくの間「スキー」は我が家で禁忌とされたけど、落ち着いてからは毎年12月29日には鹿島槍でスキーをするのが私の恒例行事。

ひろさんと行ったり、家族みんなで行ったり、スキー大好きな次女と2人で行ったり、毎年毎年命日は「父と滑る」ような気持ちでスキーを楽しんできました。

今年はとうとう思春期の娘たちは同行しなくなり、生まれて初めての一人スキー!
今年は雪が少なくて、残念ながら父が倒れたポイントまで行けず、近いところまで行ってお線香を焚いて手を合わせました。
青空にくっきりと白く分ける爺ヶ岳から鹿島槍ヶ岳の稜線を目近にみて、おおお、と何回もため息が出そうな雄大な風景のなかに、ひとりぽつんと雪の上に座ります。
こんなに晴れたら日焼けしちゃうな。。

突然死というのは本当に残された者には「なぜどうして」という気持ちがなかなか癒えることがなくて、いつまでも私たち家族は「いつかお父さんが帰ってくるんじゃないか」というちょっとした期待を持ったような感じのまま過ごしています。

ひとりでリフトに乗り、ゲレンデを滑り降りるたくさんのスキーヤーを眺めながら、あの中にカッコよく滑る父もいるような気がして「なんでだろうなぁ」と思わず言葉が漏れた。
父がいればどうだったろう、なんて言ったろうと思う瞬間が、この20年の間に何回もありました。
大震災のときは激しく揺れた建物内でつい「おとうさーん!」てたすけを呼んでしまったり。
色んな場面で父不在のまま決めてきたことを、空でどう思ってるのかな。

今日の鹿島槍は晴天で、雪さえあれば多くのスキーヤーで賑わったでしょうに、雪不足でゲレンデが2面しかなくちょっと残念でした。
それでも今年もここに来れて良かった。昨年は身体壊してスキー出来なかったから2年ぶりの鹿島槍。
出来ることならこの先も毎年毎年滑りに来たいと思います。
父との思い出に触れに。

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