ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

中国軍と同じ側

2023-08-28 08:06:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「悪用?」8月22日
 『「物語」の軍事利用 米研究』という見出しの記事が掲載されました。『物語(ナラティブ)に人を動かす力があるならば、軍事技術に使えないか』ということで、米国防総省で研究が始まっていることについて報じる記事です。
 記事では、01年の米同時多発テロについて、『アルカイダが反米感情をあおるナラティブを拡散させ、西洋社会で差別されるイスラム系移民らの心をつかんだ』事例、アラブの春で『市民が語る貧困と怒りのナラティブがSNSで急速に広がり、独裁政権を次々なぎ倒した』事例などが紹介されていました。
 記事によると、米国では、『標的ごとに最適なナラティブを生成・拡散し、相手の思考を操作して「望ましい」行動へと促すシステムの数式化を目指していた』そうで、中国も『「未来戦争」が脳の領域をめぐる戦いになるとして、「制脳権」や「制脳作戦」について論じている』のだそうです。
 恐ろしい時代になったものです。そう感じるのは私だけではないと思います。しかしその一方で、私自身、こうしたナラティブが人を動かす、脳に強く作用するという特性を利用してきたとも思うのです。もちろん、中国軍や米国防総省のような高度なものではありませんが。
 例えば、歴史の学習です。授業では歴史マンガや歴史読み物などを資料として使ってきました。歴史読み物について言えば、私自身出版社の依頼を受け、何度か執筆さえしています。歴史物語には、毛利元就の三本の矢の話や、後北条氏の飯に2回汁をかけた話、長篠の合戦の鉄砲三段撃ちなどの「有名」な話を取り入れました。
 当時から、歴史的な事実とは異なる、あるいは裏付けが取れていない逸話であることは承知していましたが、子供に受け、イメージが浮かびやすいので使っていたのです。別の言い方をすれば、ナラティブが脳に強く作用するという特性を利用していたということになります。
 これって、ナラティブの悪用だったのでしょうか。社会科に限らず、道徳においても、ナラティブはとても有効な手段でした。理性的に判断して是非を評価することを意図的に避け、人々の行動を「美談」として感動とともに脳に刻み込む、あるいは当事者自身の行動の問題を隠し、悲劇の主人公として扱うことで同情と共感を「強制」する、そんな手法が使ってきたのです。
 特に「悲劇」の活用は、いわゆる「平和教育」では、とても顕著な特徴です。平和教育の教材の多くは、国民の多くが戦争への消極的加担者であったという点を伝えないまま被害者としての側面を強調するというナラティブを利用しているのです。
 つまり、学校、特に小学校においては、ナラティブのもつ脳への強力な影響力を利用して指導に当たるケースが多かったのです。これは、発達段階を考慮した適切な指導法だったのか、論理的に考える機会を奪い情緒に流されやすい人間を育ててしまう問題のある指導法だったのか、改めて考えてみるべきことだと思います。
 自分が、中国軍や米軍と同じ側にいるとは思いたくないのですが。

 

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