ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

トップの厳しさ

2023-08-01 08:27:37 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「失格」7月26日
 『「降格人事は社員教育の一環だ」』という見出しの記事が掲載されました。数々の不正疑惑が浮上している中古車販売大手『ビッグモーターの兼重宏行社長の記者会見での主なやりとり』について報じる記事です。
 その中にとても気にかかる記述がありました。『経営陣は(不正行為を)知らなかったのは事実だと思う(略)私は組織ぐるみではないと思う』という兼重氏の言葉です。「思う」という表現が問題だと考えるのです。
 厳密に言えば、問題なのは「思う」の根拠が示されていないことです。記者は、あるいはその背後にいる世間は、経営陣は知っていたはずと疑っているのです。それを否定するのであれば、否定できるだけの根拠を示す必要があります。
 「外部の弁護士に経営陣一人一人について、1時間以上の時間をかけ聞き取り調査をしてもらった結果、知っていたと判断されるものはいなかったと報告を受けているので~」というように、判断の根拠を示さなければ、会見を開く意味がないのです。組織ぐるみという指摘に対しても同様です。
 私も指導室長時代に、教員の不祥事などで、何回か保護者説明会に出席し、質問を受けたことがあります。校長でも、室長でも、どんな小さな組織であっても、責任ある立場の人間は、外部の疑念に対して説明責任を負います。その際に最も留意しなければならないのが、事実を話す、思う・考えるなど自分自身の評価や認識を口にするときはその根拠を示す、分からないことは現時点では分からないと伝え現在取り組んでいる調査の状況を話すという原則を守ることです。
 事実を隠蔽したり、改ざんしたりすることが許されないのは当然ですが、希望的観測を述べることもそれと同じくらい問題であり、危険なことです。事実認識の甘さ、責任転嫁、その場逃れなどの印象を与えてしまえば、取り返しがつきません。一度信用を失ってしまえば、その後の言葉は全て虚偽だと疑われてしまうのです。
 校長の中には、「私は職員を信じています」とか「我が校にはそんな生徒はいないと信じています」などと口にする人がいます。そうした性善説に立った人間観こそが教育者に相応しいと考えているようですが、これもアウトです。危機対応で大切なのは、事実を明らかにした上で、対応策を打ち出すことですから、事実確認を怠り、薄っぺらな人間観を振りかざすようでは、その能力を疑われても仕方がありません。トップとは厳しいものなのです。

 

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