ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ターゲットは男

2023-08-10 09:00:24 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「至る所に」8月2日
 東京学芸部吉井理記氏が、『娘との対話』という表題でコラムを書かれていました。その中で吉井氏は、5歳の長女とのやり取りを紹介しています。『自分の人形を2歳の妹に取られた、とぷりぷりしながら訴えてきた。「じゃ、お父さんがさーちゃん(妹)をメッてしかっておくね」とうなずいてみせると、意外にも首を振った。「ダメ。だって、さーちゃんは女の子だよ」理由が引っかかった。「女の子はしかっちゃダメ?」「うん。女の子は弱いんだよ」「弱いの?男男の子は?」「強い」「男の子はしかっていいの?」娘はうなずいた』。
 この後、吉井氏は、『我が家では女はこうで男はああだ、といった固定観念は抱かせないように気をつけてきたつもりだ』と述べ、長女の「女の子は弱い」発言の背景について考察を重ねていくのです。
 考えさせられます。このブログで何回か書いてきましたが、私は教委勤務時に、教員の服務事故に関する仕事をしてきました。最も多かったのが、体罰でした。小中高全ての校種が対象で、加害教員も男女、年齢様々でした。しかし、今改めて思い返してみると、一つだけ明確な傾向がありました。それは、被害者になる児童・生徒の大部分が、男だったことです。
 小学校の低学年の女性担任が頭を叩くのも男子児童、中学校の男性顧問が蹴りを入れたのも男子生徒ということです。当時は正直なところ、あまり意識していませんでした。でも、吉井氏のコラムを目にし、この理由を考えてみると、体罰教員の中に「男は強いから少々蹴っても叩いても構わない。でも、女子はダメ。顔に怪我でもしたら大事だ」というような意識があったのではないかと思うのです。
 もう少し具体的に言ってみましょう。どうしても仕方がない用事で担任が少しの間教室を離れることになった。課題のプリントを与え、静かに自習しているように言って教室を離れ、数分後に戻ると、教室は大騒ぎ。何人かの子供が席を立ちおしゃべりをしている。その光景を目にした担任は、特に騒いでいた5人の子供を目にとめる。思わず大声で名前を呼び、つかつかと近づくと頭をひっぱたく。そのとき、無意識のうちに「誰を叩くか」という選択をし、男子2人を叩き、女子3人は睨みつけただけで席に戻す。というような状況をイメージすればよいでしょうか。
 体罰が許されないことは当たり前ですが、ここではそのことよりも、体罰を行ってしまうという精神状態、理性をなくし頭に血が上った状態であるからこそ、普段は隠れている無意識の見方、男子=強い、女子=弱いという捉え方に行動が左右されるということを言いたいのです。
 体罰はともかく、上記のような状況で、関係者の中の男子に強く当たることで、学級全体に対する一罰百戒効果を期待してしまうという経験をした教員は多いのではないでしょうか。
 刷り込まれた性別への呪縛は強力です。教員は常に自分の中にある無意識の呪縛を見つめ続ける必要があります。

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