ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

決意から行動へ

2023-08-21 08:02:53 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「目的は何か」8月16日
 『平和学習「困難」7割 小学校アンケート』という見出しの記事が掲載されました。『戦争体験者の講話を聞いたり、地域の戦跡を巡ったりする学校での「平和学習」について、毎日新聞が全国47都道府県の小学校130校にアンケートしたところ、担当教諭の約7割が「困難に感じる」と回答した』という結果を報じ、「平和学習」の在り方について論じる記事です。
 私はこのブログで、我が国の伝統的な平和教育について、批判してきました。毎年8月になると、平和教育についての記事が増えるため、私がブログで取り上げる回数も増えていきます。今年もまた…、という思いもしますが、やはり取り上げざるを得ません。
 まず最初に感じた疑問は、上記の『戦争体験者の講話を聞いたり、地域の戦跡を巡ったりする学校での「平和学習」』という記述についてです。もし、「平和学習」の定義がこのようなものであるならば、そもそも「平和学習」を全国の小学校で行うことは不可能です。子供が歩いて行ける範囲に学びを成立させるだけの情報を引き出すことができる戦跡がある地域はそう多くはありませんし、体験者についても、80代後半で記憶が鮮明で子供相手に語れる方はめったにいません。「平和学習」をこう定義すること自体、「平和学習」の衰退につながる行為だと考えます。
 記事の中で、広島大大学院教授草原和博氏が、『戦争体験者の聞き取りという授業にこだわってきたことの限界があらわになっている』と語っていらっしゃいますが、その通りです。草原氏が『既にある資料館の展示物や漫画などを使って~』とおっしゃっているように、新たなアプローチを考えるべきでしょう。
  また、『困難な理由はこのほか、「自分自身が戦争体験者でないため、子供に聞かれて答えるのが難しい」(32人)、「郷土の戦火や原爆に関する知識が乏しい」(31人)が多かった』という記述にも落胆させられました。自分が経験したことしか教えられないというのであれば、歴史の99%は教えられないことになってしまいます。我が国の産業についても、教員の大部分は、農業・漁業・林業を経験したことがないはずです。やったことがないから教えられないというつもりなのでしょうか。こうした回答は、教員の授業を構築する能力不足を露呈しているだけです。
 少し角度は違うのですが、上述の草原氏が、授業時間の確保についてコメントしている内容についても、強い違和感を覚えました。草原氏は、『仮に平和学習を学習指導要領に組み入れてしまえば、一定の授業時間は確保されるだろう。一方で、それは国家の統制下に入ることになり、教育内容への鑑賞が厳しくなる。明記がなく定義がグレーゾーンにあるがゆえにできていたことが、明確に位置付けられてしまうと、自立的にできなくなる恐れがある』と述べていらっしゃいます。
 国家性悪説とでもいうような主張です。確かにそうした危惧がまったくないとは言い切れません。しかし、授業時間数確保というメリットがある以上、学習指導要領の内容についての議論を仕掛け、世論を味方に歴史修正主義的な主張を論破するくらいの気概をもつべきだと考えるのは、楽観的過ぎるでしょうか。私には、草原氏の姿勢は、初めから敗北主義に陥っているように思えてなりません。国民の理性を信じてもよいのではないでしょうか。
 最後に、毎年の繰り返しになりますが、「平和学習」の狙いは何なのか、という問題です。戦争の痛みを知る、それはそれで理解できます。それが最終目的でよいのか、ということです。
 私は、「平和学習」にしろ、「平和教育」にしろ、最終的な目的は、一人一人の子供に、我が国が再び戦争の悲劇に直面することがないように戦争を防ぐために具体的に行動する能力と意欲をもたせること、であるべきだと考えています。
 そのためには、どのような経緯で戦争への道を歩み始めたのか、戦争への道のどの時点で、どういう行動をとれば戦争に突入することを防げたのか、一人一人は平和を望んでいるはずなのに、平和を望む国民の集合体である民主主義国家が戦争をしてしまうメカニズムはどのようなものか、などの視点で、過去100年間の世界で起こった戦争を分析し、考えて議論する、そんな学習こそが平和学習、平和教育という名にふさわしいと考えます。
 「過ちは繰り返しません」と決意するだけではなく、過ちを繰り返さないための具体的なノウハウを学ばせる、そんな発想の転換が必要だと考えます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする