アーサーキット sho-jo-ji(証城寺の狸囃子)

2023-02-19 13:29:14 | Wポップス
証城寺の狸囃子 * SHO-JO-JI - Eartha Kitt


http://blog-imgs-114.fc2.com/t/o/s/toshiichi/SHO-JO-JI.mp3



しょ しょ しょうじょうじ 
しょうじょうじの 庭は
つ つ 月夜だ
みんなでて こいこいこい
おいらの 友だちゃ
ポンポコポンの ポン

負けるな 負けるな
和尚さんに 負けるな
こい こいこい こいこいこい
みんなでて こいこいこい

しょ しょ しょうじょうじ
しょうじょうじの はぎは
つ つ 月夜に 花ざかり
おいらも うかれて
ポンポコポンの ポン



狸達とお寺の住職が一緒になって唄い踊っていたあの夜。

どの狸よりも張り切ってお腹を叩く、リーダーの大狸がいました。

両者が時間を忘れて競うように踊った愉快な夜は三日続きます。

四日目の晩、住職がいつもの場所でいくら待っても狸達は現れません。

翌朝、不思議に思った住職が本堂の周りを調べてみると、そこにはリーダーの大狸が倒れていました。

お腹を叩きすぎたせいか、皮が破れて死んでしまったのです

これは証城寺の狸囃子の伝説ですが、政界ドラマに仕立てれば、住職、大狸、狸たち、その配役は、

住職  菅元総理

大狸  岸田総理

狸たち 自公議員

ということになるのでしょうが、いずれにしても、彼ら・彼女らは踊らされてるだけ、躍らせている古狸がいること早く気がつかないと。(笑)











































































































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Blue Eyes Twist

2023-02-19 11:56:06 | エレキ(guitar/violin )
The Quiets - Blue Eyes Twist


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160211072454887.mp3



完治と全治の意味の違い

全治→病院での治療が必要無くなること

完治→日常生活に支障が無くなるまでに回復すること

だからお医者さんは全治○ヶ月とは言うが 完治○ヶ月とは決して言わない。


マスター、この二つの単語の違いを 考えたことはなかったです。(笑)

完治は自分の気分次第と言ったところでしょうか。

そういえば、自分で「完治したよ!」ということはあっても 、他人のことを「完治してるな〜」とは言ったことは無かったなぁ。











































































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道頓堀行進曲

2023-02-19 08:31:26 | Jポップス
海原千里・万里 「道頓堀行進曲」




赤い灯 青い灯 道頓堀の
川面にあつまる 恋の灯に
なんで カフェーが 忘らりょか

酔うてくだまきゃ あばずれ女
すまし顔すりゃ カフェーの女王
道頓堀が 忘らりょか

好きなあの人 もう来る時分
ナフキンたたもよ 唄いましょうよ
ああなつかしの 道頓堀よ




道頓堀・・・

一般的に日本橋 - 大黒橋間において、道頓堀川南岸の道頓堀通沿いに広がる繁華街を指します。

道頓堀通の南側に芝居小屋、北側に芝居茶屋が並ぶ構造だったため、現在も通の南側に娯楽施設、北側に飲食店が多いです。

道頓堀グリコサイン、かに道楽本店、中座くいだおれビル、金龍ラーメン、なんば道頓堀ホテルなど、多種多様な看板・建物の店舗であふれています。









































































































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山のロザリア/スリー・グレイセス

2023-02-19 06:13:36 | Jポップス
山のロザリア/スリー・グレイセス


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201602210900396d6.mp3



1 山の娘ロザリア いつも一人うたうよ
  青い牧場日昏れて 星の出るころ
  帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
  涙ながし別れた 君の姿よ

2 黒い瞳ロザリア 今日も一人うたうよ
  風にゆれる花のよう 笛を鳴らして
  帰れ帰れも一度 やさしかったあの人
  胸に抱くは形見の 銀のロケット

3 一人娘ロザリア 山の歌をうたうよ
  歌は甘く哀しく 星もまたたく
  帰れ帰れも一度 命かけたあの夢
  移り変わる世の中 花も散りゆく

4 山の娘ロザリア いつも一人うたうよ
  青い牧場小やぎも 夢をみるころ
  帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
  涙ながし別れた 君の姿よ



この曲は「ロシア民謡」と呼ばれていますが、元は、歌詞の無かった「アレクサンドロフスキー」という、ロシアの民族舞踊曲に、日本で独自に歌詞を付けたものです。


アレキサンドロフスキー (ロシア)



昭和31年に『牧場のロザリア』の題名で売り出されましたが、このときはさっぱり売れなかったそうです。

昭和36年ころになって、歌声喫茶から歌われ始め、『山のロザリア』と改題し、スリー・グレイセスの歌で売り出したところ、大ヒットとなりました。





































































































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主人公

2023-02-19 02:03:19 | フォーク&ニュー・ミュージック
主人公 さだまさし





時には思い出ゆきの 旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
「あの頃」という名の駅で下りて
「昔通り」を歩く
いつもの喫茶(テラス)には まだ時の名惜りが少し
地下鉄(メトロ)の駅の前には「62番」のバス
鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街
そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる

あなたの眩しい笑顔と
友達の笑い声に
抱かれて 私はいつでも
必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんてあなたは嫌ったけど
時を遡る切符(チケット)があれば欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって…
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とても はずかしいから

あなたは教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公

時折思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと 




自分の人生の中では 誰もがみな 「 主人公 」

だから僕は、人は必ず選ばれて生まれて来たのだと信じていたいし、
だからこそ、生きてゆくことに誇りを持ちたい。
自分が主人公であるという考え方は、とかく「利己」を感じさせる
危険な言い回しですが、生きてゆく強さをふるいたたせる為に
必要な起爆剤だと思ってください。 
自分の人生はドラマであると信じる事が、
時として自分の不幸を救うこともあるのです  (さだまさし)



時には思い出ゆきの 旅行案内書にまかせ
“あの頃”という名の駅で下りて
昔通り”を歩く


少年時代、漫画週刊誌の発売日によく駆け込んだ、商店街の入り口にある小さな本屋さんが、いつしか消えてしまってました。

活字離れ、出版不況といわれて久しく、またコンビニエンスストアなどがあちらこちらに出来て、雑誌や売れ筋の品揃えしかできない街角の小さな本屋さんの経営なんかはもう成り立たなくて、代わりにそれを吸収する形で、ターミナルビルなどに大規模な書店が増えました。

人と待ち合わせをするとき、ぼく(マスター)はよく、そんな大きな本屋さんの前で待ち合わせをします。

ぼくみたいな方向音痴でも、その場所は分かりやすい目印になるし、多少、早めに行って立ち読みしたりして、相手が遅れてきても、苦にならないからです。

そんなとき、よく探すのが、思い出ゆきの旅行案内書(ガイドブック)です…、もちろん、まあ、どんなに品揃えのいい書店にも置いてませんし、取り寄せもしてくれません。(笑)

でも、そんな本があれば、確かにそれを道先案内として、イメージの旅に出れるでしょう。

このご時世ですから、運賃も宿泊費も要らない旅もいいかも。(笑)

人それぞれに、「あの頃」という駅があって、さらに、人それぞれに名づけられた「昔通り」を歩く…。

いつもの喫茶には まだ時の名惜りが少し
地下鉄の駅の前には“62番”のバス
鈴懸並木の古い広場と学生だらけの街


ところで、ここで、この歌の旅が海外だったと気がつきます。(笑)

だって、「地下鉄」は、「ちかてつ」ではなく、「メトロ」と読ませ、また「鈴懸」は「プラタナス」と読ませるから、フランスのパリっぽい雰囲気があります。

じゃ、広場は、凱旋門広場かな、並木道はシャンゼリゼ通りなのかな、じゃ、学生だらけの街って、どこのあたりなんやろ。

と、まあ、行ったことないから、考えても全然分からないけど、でも、日本でも、似たような、そんな場所はありますよね。

強がり、負け惜しみ言う前に、やはり、ガイドブックは、Japanese版にしとくべきでしょうね。(笑) 

そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる

澄み切った青い空と白っぽいTシャツ…、雪模様の空と黒っぽいダッフルコート…、はるか遠く、彼方に過ぎ去っていった思い出たちは、セピア色の中に沈んでいるのに、何故か、ひとつのワンシーンだけが、総天然色で鮮やか記憶していることがあります。

もっとも、昨夜の晩飯のメニューすら、忘れるようになった今日この頃ですが。(笑)

“或いは”“もしも”だなんてあなたは嫌ったけど
時を遡る切符があれば欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって…


I wish I were ~、確か、反実仮想という言語表現法でしたね。

はるか昔の受験英語で習って、唯一覚えてることですが。(笑)

I wish I were a bird

直訳すれば、私は鳥だったことを望む、なんですが…転じて、鳥だったら良かったのになぁ、鳥だったら自由に空を飛べるのになぁ。

でも、現実は鳥ではない…。だから自由に飛べない…。

でも、過ぎたことに対して、「あるいは」「もしも」の選択肢を考えてみても、反省の材料にはなっても、何も前に進めない。

勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる


ひとしきり、振り返った後で、現実に戻らなければならない。

人生をひとつの物語になぞらえることがあります。

そして、その物語の中心人物となるのは、もちろん主人公…すなわち自分であるはずです。

自分の人生の中では
誰もがみな主人公


しかし、時として、そのシナリオは、主人公らしからぬ主人公の振る舞いを、無慈悲にも、主人公に要求する場合があります。

自分という主人公が、歩みし道を振り返ると、果たして自分の人生で自分が、ほんとうに主人公だったのかなって、ふと、そんな気持ちに駆られることも多いような気がします。

それでも、なお…。

私の人生の中では
私が主人公だと


そう言い聞かせて、歩むしかないのです。









































































































































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