ウリパパの日記

自由気ままに・・・

高尾山6号路、1号路のセッコクが見頃 2020.5.30

2020-05-31 16:51:34 | 自然

昨日は午前中を中心に綺麗な青空が広がりました。八王子では最高気温が28.1℃まで上がっています。この春は緊急事態宣言が発令されたこともあって高尾山への入山は自粛していましたが、宣言が解除されたため、昨日高尾山の6号路と1号路の入口付近を散策してきました。目的は咲き始めたセッコクの観察です。

 

清滝駅前の様子。人出は例年の1~2割の印象。ケーブルカーは動いていますがリフトは運休中です。

 

北島三郎さんもマスクをつけて咳エチケットの注意喚起を行っていました。

久しぶりに6号路を歩きます。

 

最初の休憩地点でセッコク探し。比較的近いところに咲いていましたが、例年より花は少なめです。期待したジャケツイバラは全て散ってしまいました。

 

6号路をさらに上ると、セッコクがまとわりついた杉の老木が対岸に見えてきました。

 

枝にびっしり。

 

今年の5月は平年よりかなり気温が高かったため、例年よりセッコクの開花が早まっています。

 

咲き始めはピンクに色づいた花が目立ちます。

 

ピンクの花がまとまって咲いています。

 

こちらは純白のセッコク

 

さらに上流へ向かうと、高い場所に一塊咲いていました。

 

お気に入りの観察スポットにやってきました。目を凝らすと20m以上の高さにのところに4か所、セッコクが着生しています。

 

頭上には3つの塊が並んで咲いています。

ここで折り返します。

6号路のセッコクの群生地を後にします。

続いて1号路にやってきました。

 

6号路と違い、セッコクが着生する杉の木は登山路脇に立っています。従って1号路のセッコクは頭上を見上げる感じになります。1号路を上ると正面に見えてくるセッコクです。

 

1号路のセッコクは年々勢いを増している印象です。

 

スギの木の上部に着生するセッコク。逆光になってしまいました。一時期に比べてかなり花数が減ってしまった印象です。

 

さらに1本先の杉の大木に密生して着生するセッコク。

 

 

かなり上の方まで白いランの姿が見えます。

 

こちらの塊も見事です。

 

 

1号路のセッコクは至近距離で花が見れるところが魅力です。

薬王院参道の杉並木でも、頭上高いところにセッコクを見ることができます。双眼鏡必須です。昨日は時間が無くて回れませんでした。今週末にでも訪れたいところですが時間あるかな?

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釈迦ヶ岳 [高原山] 登山(3) 2020.5.29

2020-05-30 21:21:03 | 山登り

再びお釈迦様を拝んでから下山します。剣が峰までは昇りと同じルートを歩き、剣が峰からは大間々方面へ下ります。

 

正面に明神岳と前黒山。その背後には日留賀岳、男鹿岳、大飛佐山にかけての稜線、その右奥に那須岳を見渡します。

 

博士山の先には冠雪の飯豊連峰。

 

200mほど下ると正面に剣が峰と矢板市最高峰のピーク。標高1500mから下は木々が芽吹いて新緑が美しいです。

 

周囲に咲く白い花はシロヤシオではなくオオカメノキ

 

クランク型の木の幹

 

足元にはほとんど花の姿は見られませんが、剣が峰から大間々方面へ向かう稜線でポツンと咲いていた可憐な白い花。

 

矢板市の最高地点(1590m)を通過。

 

稜線ではところどころでミツバツツジが咲き残っています。

 

八海山神社に到着。

 

正面には八方ヶ原方面の新緑が広がります。

 

振り返ると釈迦ヶ岳

 

さらに2kmほど下ると大間々駐車場に到着。八方ヶ原の遊歩道が整備されていて、車を停めた小間々駐車場まではさらに2kmほど歩きます。

 

八方ヶ原では山ツツジが咲き始め。木によっては見頃を迎えています。あと1週間もすると満開の山ツツジに包まれることでしょう。

 

可憐なスミレはフモトスミレでしょうか。

小間々駐車場には11時10分に到着。帰りは矢板ICから東北自動車道、圏央道を経由して自宅に戻りました。3密をさけるために途中下車は無しです。また新型コロナウイルス対する免疫力を高めるため毎日10000歩以上歩くようにしていますが、昨日は久しぶりに30000歩以上歩きました(自宅に帰ってから病院への往復も含めています)。

おしまい。

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釈迦ヶ岳 [高原山] 登山(2) 2020.5.29

2020-05-30 13:33:11 | 山登り

釈迦ヶ岳火山群(南側)と塩原火山群(北側)を総称して高原山と呼ばれています。釈迦ヶ岳火山群は釈迦ヶ岳、鶏頂山、西平岳、中岳、剣ヶ峰などから成り、塩原火山群には前黒山、明神岳、大入道などが含まれます。昨日は塩原火山群の大入道から、釈迦ヶ岳火山群の剣が峰、釈迦ヶ岳まで歩いてきました。釈迦ヶ岳は高原山の最高峰で標高1795mあります。

 

山頂には一等三角点が設置されています。奥には高原山神社の祠、そしてお釈迦様の像が見えています。

 

釈迦ヶ岳の由来となった釈迦如来の石像です。ありがたく拝みました。比較的新しそうです。ここまでどうやって運んだのでしょうか・・・

山頂からは360度の大展望です。冬場であれば冠雪の富士山を見ることができるようですが、春はそこまでの遠望は期待できません。

 

東側の眺望。茨城県最高峰の八溝山(1022m) を見下ろします。

 

南東の眺望。逆光のため関東平野は霞んでいます。

 

霞みの中、双峰の筑波山(877m)、加波山(709m) 、栃木茨城県境の山々を遠望。

 

南西にには日光連山。

 

左から男体山(2486m)、女峰山(2483m)、太郎山(2386m)、その右奥には関東の最高峰である日光白根山(2578m)。

 

男体山と女峰山をズーム。高気圧の後面に入り南東の風が吹き上げているのでしょうか。男体山上空には早くも積雲が湧いて山頂を隠しています。

 

太郎山と日光白根山をズーム。日光白根山の北斜面にはかなりの残雪がありそうです。

 

西側の眺望です。日光連山の西には尾瀬の燧ケ岳、帝釈山、田代山、冠雪の会津駒ケ岳、三岩岳の大展望。

 

手前の鶏頂山の左奥には黒岩山(2163m)。その左奥には至仏山(2228m)のピークがちょこっと姿を見せています。尾瀬の山々の右奥には東北地方の最高峰である燧ケ岳(2356m)。

 

冠雪の燧ケ岳をズーム。まだまだ残雪が多そうです。

 

 

田代山の北側には残雪が輝く会津駒ケ岳と三岩岳。

 

会津駒ケ岳 (2133m) と大戸沢岳(2089m)。

 

その北側には三岩岳 (2065m)。冬場の降雪量が多く、まだまだ雪山です。

 

三岩岳の北側には梵天岳、丸山岳、会津朝日岳、浅草岳と福島県と新潟県経付近の山々が連なります。

 

梵天岳(1765m) と 丸山岳(1820m)。

 

会津朝日岳(1624m) と浅草岳(1585m)。その間にちょこっと山頂が姿を見せている白銀の山は守門岳(1537m)でしょう。もう少し標高の高い三本槍岳まで行くと、これらの山々がはっきり姿を現します。

 

会津朝日岳の山頂をズーム。

 

北側の遠望です。博士山(1482m)の右奥には100km以上も先の飯豊連峰が見えています。

 

飯豊連峰をズーム。大日岳(2128m) から 飯豊山(2305m)に続く峰々。新潟県と山形県境に位置します。

 

そして北北東には那須連山。西から三本槍岳(1917m)、1900m峰、朝日岳(1896m)、茶臼岳(1915m)。

 

朝日岳と茶臼岳をズーム。朝日岳の左手前には剣が峰のピークが見えていました。

山頂に到着するまで出会った登山者は1名(山頂直下で追い越し)。そして山頂で1時間ほど朝食休憩中にやってきた登山者は20名程度。ほどんどが単独登山者です。山頂は非常に広いので密にならずに展望を楽しんだり、遠望の山々を紹介したり、シロヤシオが少なかったことについて話し合ったりしました。北側の眺望は木々が少し邪魔するために、高台に登らないと見えないため、飯豊山が見えることを説明したら皆さん驚いていました。登山客は福島県からやってきた方が多かった印象です。私は茨城県に単身赴任中と紹介しました(笑)。皆さんマスクを着けずに普通に会話していましたが、ソーシャルディスタンスを十分に意識して、同じ方向(見える山の方向)を向いて大きな声で話し合いました。

1時間の間でかなり積雲が発達して、雲行きが怪しくなってきました。前日よりも早い時間に天気が崩れてにわか雨や雷雨になる予報が出ているので、10時25分に山頂を後にして下山することにしました(続く)。

 

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釈迦ヶ岳 [高原山] 登山(1) 2020.5.29

2020-05-29 20:04:55 | 山登り

今日は会社の休業日でした。県境を越える移動の自粛要請が出ているため筑波山に登ろうかと考えていましたが、3密のリスクが高そうです。そこで、同じ北関東の栃木県の高原山に登ることにしました。

昨日の雷雨が未明にあがり、今朝は爽やかな青空が広がりました。笠間では最低気温が10.7℃まで下がり、筑西市などの県西部では霧の朝となりました。朝5時20分に友部のアパートを出発。真岡まで北関東自動車道を利用し、国道408号、国道4号を矢板へ向かい、県道56号で県民の森へ向かいます。7時15分に八方ヶ原の小間々駐車場に到着。既に3台の車がとまっていました。

 

小間々駐車場の標高は1150mです。ミツバツツジは散ってしまい、ヤマツツジが見頃を迎えています。ここから標高1402mの大入道山へ向かいます。

 

新緑の散策路を進み、大入道への登山路を右折します。ここの表示がわかりにくいので、うっかり直進すると大間々駐車場へ向かってしまいます。

 

いったん沢へ下り、再び急な上りとなります。ここで道を間違え、笹薮を上るはめになってしまいました(笑)。途中、鹿の親子に出会いました。熊でなくてよかった。もちろん大音量が鳴る熊鈴は鳴らしています。

ようやく登山路に合流し、8時5分に大入道に到着。そこから尾根歩きが続きます。

 

この尾根道にはシロヤシオが群生しているのですが、期待したほどではありませんでした。時期が早いのではなく蕾の数自体が非常に少ないようです。それでも、ところどころ白い花が目を楽しませてくれました。

 

ところどころでミツバツツジが咲いています。正面は前黒山です。

 

再びシロヤシオ

 

シロヤシオとミツバツツジのコラボ

 

気持ちの良い尾根歩きが続きます

 

釈迦ヶ岳の山頂で会った方の情報では、今年は花の付き方が悪く、蕾自体が少ないとのこと。確かに尾根道のシロヤシオは蕾もチラホラといった印象でした。

 

本日一番のシロヤシオ。剣ヶ峰への上りにさしかかる手前です。

 

8時40分。標高1540mの剣ヶ峰に到着。大間々方面からの登山道と合流します。ここから釈迦ヶ岳へ向かいます。

 

標高が1500mを超えると、明神岳方面の稜線の先に白銀の山が姿を現します。会津駒ケ岳から三岩岳方面の稜線です。期待以上の眺望に恵まれそうです。

 

南には霞の先に筑波山と加波山、吾国山から高峰方面の茨城県の山々を遠望。

 

新緑と花を見ながら、明るい尾根道歩きが続きます。

 

北には那須連山。右から南月山、茶臼岳、三本槍岳と連なります。

 

稜線を吹く風は冷たく、半袖ではやや肌寒いです。正面に目指す釈迦ヶ岳が見えてきました。ここから急な上りが続きます。しかし見晴らしは最高です。

 

振り返ると、はるか彼方に残雪の飯豊山が姿を現しました。100km先の山形・新潟県境の山です。

 

西側には尾瀬の燧ケ岳。

 

その北には会津駒ケ岳と三岩岳。山頂からの眺望が楽しみです。

 

9時35分。標高1795mの釈迦ヶ岳山頂に到着。小間々駐車場から2時間20分でした。期待通り、山頂から360度の眺望が広がっていました(続く)。

 

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笠間市の楞厳寺 2020.5.27

2020-05-28 20:42:37 | 茨城県

昨日も友部での在宅勤務でした。朝と夕方の休憩を減らし、ちょっと長めの昼休みを頂いて笠間町の楞厳寺を訪れました。友部からは国道50号と県道1号を利用して20分程度で到着します。笠間市の北西、標高431mの仏頂山の麓に位置します。

 

県道1号を左折し非常に細い農道を1kmほど走ると、田んぼに中にポツンと立つ山門が見えてきました。石柱には佛頂山楞厳禅寺と彫られています。

 

この山門は国指定文化財に指定されています。建立は室町時代中期、様式は禅宗様式 四脚門 切妻造り茅葺き、大きさは間口3.7m 奥行3.8m。壁や扉が無い吹抜け構造です。笠間市のHPから引用します。

この門は禅宗様式の四脚門である。主柱を高くのばし平(ひら)三斗組(みつとぐみ)で梁木を受け,控柱も平三斗組で桁および繋虹梁を受けている。柱間には扉や壁がなく,全部吹抜けである。軒は,一軒繁垂木であるが,後年の補修で内法貫,飛貫,頭貫の各鼻には,それぞれ異なった繰形の木鼻を飾り,また虹梁の下には花模様付の錫状彫が施されている。屋根は,切妻造りの茅葺きで全体に簡素で優れた山門である。(引用終わり)

見た感じ、質素な四脚門です。

 

額に ”竟堅門" と書かれています。読み方がわかりません。。。

 

円柱状の柱に支えられる屋根。屋根裏は少し赤っぽい色です。何度も修復されてきたのでしょう。

 

茅葺きの屋根です。

山門から正面の山の中の本堂へ進みます。

 

山門から300~400m進むと楞厳寺へ向かう階段が見えてきました。

 

楞厳寺の説明です。ボロボロです(笑)。楞厳寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、宋の千岩が開山し律宗に属していたと伝えられています。室町時代に笠間時朝が中興し、笠間城主の菩提寺としたそうです。

 

参道の階段の先に山門。

 

先ほどの山門よりさらに質素な四脚門をくぐり境内に入ります。

 

正面には大きな御堂。昔の観音堂でしょうか。

 

御堂の左奥には小堂がたたずんでいます。

 

山門脇には立派なカヤの木

 

 

苔むした境内に佇むお地蔵様と祠

 

正面に見えた小堂です。聖徳太子を祀った太子堂のようです。

 

小堂の右手には十三仏

 

十三仏の説明が彫られていました。亡者を浄土に導く13の仏・菩薩です。初七日の不動明王から三十三回忌の虚空蔵菩薩まで担当が決まっているようです。初めて知りました。

 

初七日の不動明王から見た13仏

 

御堂の南側を引き返し、いよいよ本堂へ向かいます。楞厳寺境内の裏山一帯はヒメハルゼミの発祥地として有名です。片庭地区はヒメハルゼミの北限とされ国指定天然記念物に指定されています。笠間市のHPから引用します。

ヒメハルゼミは,笠間市片庭の楞厳寺と八幡神社境内に生息する。地元の人は大蝉と呼んでいるが,体は小さくやさしい。雄は体長24mm,雌は細長い産卵管があって27mm位である。沖縄・奄美大島・九州・四国・本州に分布し,当所は太平洋側の分布北限である。6月下旬から7月下旬まで発生し,鳴き声は聞こえるが,鳴いている姿はほとんど見ることができない。カシ,シイ等の暖地性の常緑樹木に生息し,一匹が鳴き出すと一斉に合唱するという珍しい習性をもっている(引用終わり)

茨城県には、前の記事で紹介したハマナス自生南限地帯、そしてヒメハルゼミ発生地(北限地)と珍しい国指定天然記念物が存在しています。

 

石燈篭と本堂です。旧い建造物が多い楞厳寺の中では新しく感じます。

 

本堂正面の彫刻です。

 

本堂の左手に、木造千手観音立像が安置されている収納庫があります。十一面千手観音仏像は国指定重要文化財となっています。文化財ウイークなどで内部が特別公開されることがあるようです。

 

境内の木に着生するラン。ヨウラクランでしょうか。。

仏頂山の麓にたたずむ楞厳寺は笠間ゆかりの古刹。苔むした参道、山門をはじめとする古い建造物など見どころの多いお寺です。7月に再び訪れてヒメハルゼミの鳴き声を聞いてみたいですね。それとも文化財公開ウイークのタイミングで木造千手観音立像を見にくるか・・・

 

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ハマナス自生南限地帯 2020.5.26

2020-05-27 20:29:06 | 自然

ハマナスの花は東北地方や北海道など寒い地域に自生します。茨城県でもひたち海浜公園で見ることができますが自生ではないかもしれません。ハマナス自生南限地帯が茨城県鹿嶋市にあり、国の天然記念物に指定されているという情報を先日頂いたので、昨日の夕方、仕事を早く切り上げて見てきました。

場所は鹿嶋市大字大小志崎。友部のアパートから県道と国道51号を利用して50km、約1時間で到着しました。途中鉾田から小雨が降り出しました。

 

国道51号の案内版。ここを左折します。

 

海へ向かって下り、左折します。

 

車を堤防脇の空き地に止めて、波打ち際から50mほど内陸の保護区域へ向かいます。

 

ところどころピンクの花が咲いています。これがハマナスの花です。

 

柵の外から見えるところで咲いている花は10輪程度。散ってしまった花もありますが、まだ蕾も多く開花時期は長そうです。

 

大小志崎のハマナス自生地は太平洋側の南限の地として,鳥取県鳥取市白兎のハマナス自生地が日本海側の南限地として同時に国の天然記念物に指定にされたようです。鹿島地域では5月上旬から7月頃にかけてが開花時期です。

 

帰りに堤防に登り、鹿島灘を見渡します。

アパ―トとの往復で出会った人は0人でした。

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笠間市太田の飛龍神社 2020.5.26

2020-05-26 20:39:16 | 茨城県

今週から再び茨城県で在宅勤務を始めています。昨日、首都圏の1都3県と北海道の非常事態宣言が解除されましたが、会社のほうは工場を抱えているため感染リスク抑制を目的に引き続き在宅勤務推奨となっています。今週末から徐々に事務所への出勤を増やしていく予定です。在宅勤務時は、友部から勝田の通勤往復90分を有効活用できるので、毎日10000歩を目標に友部周辺を歩き回っています。自宅の高尾近辺よりもさらに人口密度が小さいので3密はほとんど気にする必要ありません。今朝は6時40分から8時にかけて、友部から北山公園まで散策し、帰りに宍戸の大田地区を経由して戻ってきました。距離にして6.6km, 9400歩です。北山公園から宍戸へ向かって下る途中、訪れたことのない神社があったので立ち寄りました。

大田地区の飛龍神社です。鳥居をくぐり階段を昇ります。

 

手水舎です。長寿の泉と説明にあります。瀧(滝)神社とも言われ、昔は境内地に細流があり滝が流れていたそうです。その水は下流の田畑を潤し人々の生活や健康を支えてきたそうです。長寿の泉で手を清めます。

 

拝殿前から振り返ります。

 

拝殿です。こじんまりとした神社です。

 

右側の阿形の狛犬。

 

左側の吽形の狛犬。

 

拝殿前には小さな龍のお供え

 

飛龍神社の扁額です。

飛龍神社は1043(長久4)年の創建で、宍戸町郷土誌によると御祭神は大国主命・木花咲耶姫命・大己貴命・補佐臣命とあります。1872(明治6)年に宍戸神社に合祀され、1881(明治15)年、同社を離脱、飛龍神社として復活したそうです。平成11年から15年計画で老朽化が進んだ本殿や拝殿屋根の銅板葺き改修、狛犬と手水舎の設置、参道石畳の敷設、境内社三峯神社の改築等が行われてきました。

 

屋根の主棟鬼飾りをズーム。

 

同じような焼き物が拝殿脇に置かれてました。

 

拝殿と本殿(右側)です。

 

本殿の中をコンデジで覗かせてもらいました。歴史を感じさせます。

 

社殿改築の記念碑です。同時に憩の広場も整備されたのでしょう。

 

その広場の先にある三峯神社。この三峯神社は古くから地域の農耕神としてお祀りされ、五穀豊穣や家内安全を願う氏子の信仰を集めてきたそうです。

 

記念碑前を右手に下ると、北山公園から下ってくる道に出ました。

 

大田地区にはジャガイモと栗の畑が広がります。

 

そろそろ栗の花の季節を迎えます。

 

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浅川金刀比羅神社から金刀比羅尾根散策 2020.5.24

2020-05-24 17:30:32 | 自然

今日も爽やかな初夏の陽気となりました。八王子では日中の最高気温が26.2℃まで上がっています。例年の今頃は高尾山に咲き始めるセッコクの様子を見に行くのですが、今は緊急事態宣言発令継続中。高尾山への入山は自粛中です。とはいっても3密にならない散歩は健康のために欠かせません。天気も良いので、午後から近くの尾根道を歩いてきました。

今日のルートは高尾駅近くの浅川金刀比羅神社から出発です。近くにあってなかなか行く機会がない神社です。なぜかというと初沢山以上の急坂をひたすら上り続ける必要があり、三和団地方面へ下ると高尾へ戻るのが遠くなってしまうからです。今日はさらに金刀比羅尾根を南へ下ってみることにしました。

 

高尾駅の西から登山口を登ります。防空壕跡の立ち入り禁止区域との境界はフェンスで区切られ、そのフェンス沿いを一気に50m以上登ります。

 

途中、祠がありました。可愛いご地蔵様が皿の中に安置されています。

 

急坂を登ること10分。標高256mの山頂の神社に到着。

 

浅川金刀比羅大権現の由来です。高尾近辺ではあまり知られていない神社ですが、神職を含め地元のボランティアによって支えられているという話を昔聞いたことがあります。この山の下には戦争中に造られた秘密の飛行機用地下壕跡があります。その遺構を含めて山全体を開発計画から守るために地元の方達が協力して高尾駅に一番近い山の自然を守ってきた歴史があるそうです。

 

正式名称は淺川金刀比羅宮

 

 

神社の中には、お客さんが2名いたので、外から拝見。

 

龍神です。

 

 

 

瓦紋です。何の印でしょうか。

 

こちらは金刀比羅の神紋ですね。

 

小さな祠が二つありました。

 

階段を下りて鳥居の前から振り返ります。傍には平和観音像。まだ新しそうです。

この金刀比羅宮には大昔に来たことがあるのですが、確か、立派な剣の塔があった記憶があります。今日は見あたりませんでした。記憶違いかな・・・

 

鳥居を後にして西へ向かいます。住宅街(三和団地)の北側を細い遊歩道が続きます。右手奥には高尾山。今日は手前の尾根道を歩きます。

 

細い遊歩道を5分ほど歩くと分岐点に差しかかりました。左手は浅川中学校経由で高尾駅方面。右手を下ると国道20号の落合に出ます。ここを直進して再び尾根道を登ります。

 

しばらく歩くと、左側の展望が開け、東京スカイツリーが見えました。今日は湿度が低く風が強いせいか、意外と遠望がきくようです。

 

もう少し南下します。

 

見晴らしの良い尾根に出ました。東側に高尾霊園。その先は紅葉台団地。

 

さらに先の見晴らしの良い場所で振り返ります。正面は初沢山。だいぶ遠くまで来てしまいました。

 

東側には東京スカイツリーをはじめとする都心のビル。

 

六本木や東京タワーも見えました。

大昔にここを歩いたときは、四辻という場所で高尾山口方面と高乗寺方面へ尾根道から下ることができたのですが、今日はその分岐点が見当たりませんでした。道標自体がありませんでした。もしかしたら度重なる台風の被害で登山路の整備が追いつかなく、廃路なったのかもしれません。これ以上南下すると戻りが疲れそうなので、同じ尾根道を引き返します。

 

帰りは三和団地を下り浅川中学校を経由して戻ります。中学校前のお地蔵さんも暑い中、マスク着用中でした。

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アベノマスク到着! 2020.5.23

2020-05-23 22:15:42 | Weblog

久しぶりに青空が広がりました。今週月曜日から金曜日まで八王子の日照時間は昨日の0.4時間のみ。洗濯物が乾かない毎日が続いていましたが、ようやく初夏の陽気が戻り、最高気温も平年を上回る24.4℃まで上がりました。

今日は歯医者が終わってから親が入院中のリハビリ病院でソーシャルワーカーと今後の相談。とても親切な方で、いろりろな選択肢を提示頂き大変助かりました。その後長沼の実家へ向かい整理の続きです。夕方実家のポストを見るとアベノマスクが届いていました。八王子では配布が始まったのかなと思い、実家から自宅に戻りポストをのぞいてみましたが、届いていないようです。しばらくすると郵便局の自動車がマンションの前に停まったので再びポストへ。すると、予想通り届いてました。

今頃という印象ですが、せっかく91億円ものお金をかけて国民に配布されたプレゼント。紹介しておきます。

 

首相官邸と厚生労働省からのメッセージ。

 

洗剤を使って洗ってくださいとのことです。

マスク不足は既に解消し、スーパーの野菜売場に山積みとなって売られています。価格もかなり下がってきました。緊急事態宣言が解除される直前の今頃に届いても・・・

 

マスクの表側。端っこで糸がほずれています。昔、給食当番で使ったマスクを思い出しました。粗いガーゼ5層という噂だったので早速調べたところ、5層どころか10層以上ありました。これだけ多層になれば、多少目が粗くても多少は飛沫感染を防ぐ効果は期待できそうです。

 

市販のマスクに比べると横幅が一回り小さい。顔が小さい私にとってはちょうどよい大きさかもしれません。息子がガーゼ構造を観察するため一を部切り裂いてしまいましたが、使い捨て用の取替えシートを内側に重ねれば使用可能。使ってみることにしましょう。

 

ところで、イスラエルでは画期的なマスクが発明されたそうです。

左手でレバーを操作して口の部分を開くことができるそうです。現在特許申請中とか・・・

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南浅川橋から白山神社、大光寺、高楽寺散策 2020.5.21

2020-05-21 20:14:11 | 自然

今年の5月は平年より暑い日が多かったのですが、昨日からオホーツク海高気圧におおわれ日中は15℃を下回る肌寒い日が続いています。八王子の最高気温は昨日が14.4℃、今日は12.9℃と季節が1カ月逆戻りした陽気となっています。また月曜日から連日の雨降りで、洗濯物が乾かない日が続いています。

今週は高尾の自宅で在宅勤務。明日は休業日で八王子の病院で人間ドックを受診します。年1回の人間ドッグを意識している訳ではありませんが、在宅勤務で外へ出る機会が減っているため、毎日適宜休憩をとり一日1万歩を目標に自宅周辺、あるいは友部のアパート周辺を歩くようにしています。今日は雨が小止みになった午後に長めの休憩を取得して、南浅川を散策。久しぶりに廿里町の白山神社まで出かけてきました。

まずは南浅川橋へ向かいます。

 

昨年11月から続いている長寿命化工事の案内です。

 

工事は間もなく終わります。足場が外されてリニューアルした橋が姿を現しました。見た目は以前とほとんど変わりません。

 

今日は陵南公園をパスして上流へ向かいます。高尾街道をクロスして暫く歩くと左側に小さな鳥居と祠があります。ここの桜はお気に入りで、春に見に来ることがあります。ここの鳥居もリニューアルしたみたいです。

 

しばらく上流へ向かうと、右手に白山神社へ昇る階段が現れます。

 

ここを訪れたのは7年ぶり。以前来たときは無かった「歯の神様」を紹介する案内板が立てかけられていました。白山=歯苦散か。なるほど・・・

 

狛犬に迎えられ30段の階段を昇ります。奉献の台座は新しいですが、その上の狛犬は歴史を感じさせます。

 

拝殿にお参りします。

 

扁額は、歯苦散神社ではなく白山神社でした(笑)。比較的新しい神社です。以前に紹介した記事の再掲になります。「高尾駅界隈」という本によると、白山神社は多摩森林科学園の裏にあり、実験林が拡張された際に、麓の白山橋のそばに社殿を移築したそうです。つまりこの白山神社は山頂から麓に移されたのです。

 

もともとあった山上の本殿に向かいます。200段を超える階段と坂をひたすら登ります。

 

5分ほど歩いて本殿に到着。

 

狛犬です。右側は阿形

 

左側は吽形。

白山神社では鳥居前、拝殿前、山頂の本殿前と3対の狛犬を見かけました。いずれも姿が異なっています。一番歴史を感じさせるのは鳥居前の狛犬です。もともと山頂にあった狛犬を鳥居前に移し、山頂には新たな狛犬を置いたのではないでしょうか。

 

本殿は木の格子で覆われています。

 

横から見た姿。

以前にも紹介しましたが、「高尾山界隈」から白山神社に関する記載を再掲します。由緒ある神社のようです。
 「新編武蔵風土起稿」(1826)によれば、十一面観音の板碑があって、文永十二年(1275)の銘があると記されていることからすれば、700余年前鎌倉時代に遡ることになります。また山上の本殿は、社務所の案内書に滝山城主大石左衛門によって造営されたことを記録する棟札がある、と説明があります。もっとも現在の建物は寛文十一年(1671)に造営されていたものといわれます。
なお、江戸時代、時の幕府より十四石の御朱印(将軍家より寄進)をたまわっていますが、この地方の神社としては高額で、格式の高さを示しています。

 

本殿のある場所は山頂ではありません。裏側に山道が続いているのでさらに登ってみました。暫く歩くと山頂と思われるところに祠がありました。

 

山頂の先は檜の木の植林地になっています。以前、山頂から左手へ下る道を歩いたことがあります。多摩森林科学園の敷地となっていて、境界は有刺鉄線で覆われ敷地内には入ることができませんでした。

 

白山神社の帰り、大光寺に寄ってみました。この時期に訪れるのは初めてです。

 

一輪だけ蓮の花の蕾がありました。早いですね。

 

百日紅の木にセッコクが着生していました。

 

続いて高楽寺を訪れます。毎年春に見事な姿を見せてくれる紅枝垂桜。緑の姿も貫禄です。

 

一心祈願疫病退散の祈願を毎日行っています。

 

枝垂れ桜の傍に佇むお地蔵様。手前のお地蔵様は新しいですね。大きなお腹の布袋様でしょうか。。。

1時間をはるかに超過してしまった散歩から戻ると、八王子市から「特別定額給付金のお知らせ」の案内が届いていました。アベノマスクより早く到着です。八王子市ではマイナンバーカードを使ったオンライン申請を中止して郵送による申請のみ受け付けるそうです。アベノマスクは物を届けるため仕方ないとして、全国民にお金を配るのにこんなに難航するとは。日本はIT後進国。三流国家です。昭和の時代から変わっていません。情けない・・・

 

 

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筑波山を見ながら関東平野を南下 2020.5.14

2020-05-19 20:53:34 | 茨城県

関東鉄道常総線は下館から取手まで関東平野の田園地帯を南北に結んでいます。先週5月14日の帰りは常総線に沿って筑波山を左に見ながら南下してみました。いつもは筑波山を右に見ながら常磐道を南下するので、新鮮な気分です。

筑西市から見る筑波山は、左側に女体山、右側に男体山の双峰となります。

 

麦畑と小貝川の堤防の先に双方の筑波山。

 

大宝の手前、常総バイパス沿いの「道の駅しもつま」に立寄りました。3階の展望台から見た筑波山です。女体山はちょうど男体山の陰となって見えません。

 

男体山頂をズーム。筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所の右に男体山御本殿があります。左奥にはパラボナアンテナ。10km程度の距離なのでとても間近に見上げます。

 

大宝八幡宮を見学後、下妻へ向かって南下中に見える筑波山。ここまでくると女体山が男体山の右側に姿を現します。水田に映る筑波山の姿も印象的です。朝方にダブルダイヤモンドつくばが見える時期がありそうですね。

 

常総ICに向かって常総バイパスを南下すると右側にお城が見えてきました。比較的新しそうです。記念にパチリ。帰って調べたところ常総市の地域交流センターのようです。別称「豊田城」と呼ばれているそうです。平安時代末期から戦国時代までこの地方を支配した桓武平氏一族の豊田氏が、東部に流れる小貝川沿いに城館を築き、豊田城(とよだじょう)と呼ばれていたことから命名されました。開館は平成4年とのことです。7階の展望室に登ることができるようなので、コロナ騒動が一段落ついた頃に訪れてみたいです。また筑波山に登った時に見下ろしてみたい建造物として牛久大仏とこの豊田城をメモしておきましょう。

常総ICから圏央道を西へ向かいます。空気が澄んでいると進行方向に左手富士山が見えるのですが、若干霞んで見えません。北の空に日光連山はうっすらと見えているので、途中菖蒲PAで休憩して見晴らしの良さそうな場所に移動します。

 

道の駅しもつまの展望塔からうっすらと見えていた日光連山が、埼玉県からも見えています。80~90kmの距離です。

 

左のピークは日光白根山。男体山の右に大真名子山、女峰山と続きます。

 

足尾の山々と赤城山(黒檜山)の間に見慣れない山が見えています。八王子の長沼からは黒檜山の右に尾瀬の至仏山、高尾山から足尾の山々の先に尾瀬の燧ケ岳が見えるのですが、もっと西側の山になるようです。

 

ズームします。山容からすると、きっと武尊山でしょう。家に帰り地図で調べたところ、武尊山で正解でした。

 

武尊山の西には赤城山。見えるのですが、右から黒檜山、駒ケ岳、山頂にアンテナが見える地蔵岳、そして荒山と連なります。

 

菖蒲PAで日没をむかえました。飛行機雲が綺麗です。

 

暫くすると交差する飛行機雲が見えました。方角により高度が異なるようです。

 

圏央道は高架を増しるため見晴らしが抜群です。浅間山方面に夕日が沈んだようです。

 

浅間山をズーム。危ないですね・・・

 

 

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下妻市の大宝八幡宮(2) 2020.5.14

2020-05-18 20:15:47 | 茨城県

大宝八幡宮は、鳥居をくぐってから拝殿に辿り着くまで見どころが満載でした。いよいよ拝殿にお参りします。

 

お賽銭箱と拝殿内部です。

 

八幡宮と書かれた扁額。

 

拝殿の両脇には平成狛犬。白いマスク姿です。

 

左側の狛犬。これらの狛犬は別名「撫で犬」と言われ、御利益を得たいところを撫でると八幡さまのご霊験があらたかに授かるそうです。

 

拝殿を出ると社務所です。入口の大黒様と恵比寿様もマスク姿でした。

 

拝殿の右わきには立派な大王松。大正天皇御即位記念樹です。

 

拝殿の奥には国指定文化財の本殿。

 

HPから引用します。
大宝元年(701)、藤原時忠公が筑紫の宇佐神宮を勧請創建されました。現在の建物は天正五年(1577)、下妻城主多賀谷尊経(重経)が再建されたもの。再建当時の棟札墨書銘と擬宝珠刻銘も現存しており、貴重な史料となっております。建物は三間社流造で建ち上がりも高く、柱も太くてどっしりした重みを見せておりますが、それに比べて組物は小柄で複雑に組み合わされ、桃山時代の地方色が濃く表れています。屋根は萱葺きであったが、昭和40年に茅葺形銅板葺に改められました。天正期の地方的建築の有様を示す貴重な文化財として、国の重要文化財に指定されています。(引用終わり)

 

中に立ち入ることはできず、実際には柵の間から垣間見るだけとなります。

 

願い石の納め処には、願いが書かれた白い石が積まれていました。

 

 

奥へ進みます。次に現れたのは大国さま(黒鳥神社)。大国主命を祀ったお社で縁結びの御利益があるといわれています。

 

さらに奥には祖霊殿。江戸時代末期に大宝寺護摩堂として建立されました。旧大宝寺唯一の遺構。現在は祖霊祭祀を執り行い多くの御霊様が祀られています。

 

さらに奥には夫婦檜。

 

夫婦檜の根元には、自然の石である夫婦石。

 

カエルのオブジェ。背中にも子ガエルが乗っています。

 

さらに奥へ進むとあじさい神苑が広がっています。国指定の史跡である大宝城跡の土塁保全のためにあじさいを植えたのが始まりで、300種, 4000株を越えるあじさいが咲き誇るそうです。

 

下妻政泰公忠死之碑です。

 

関東鉄道常総線がそばを通っています。大宝駅を発車した電車が下館方面へ向かいます。

 

本殿を裏側から見上げます。

 

西側にまわり本殿を見上げます(実際には柵の外から)

 

若宮八幡宮です。HPから引用します。

源頼朝が奥州征伐を達成したのを期に、下河辺行平に命じ文治五年(1189)に勧請させた八幡宮。若宮様は第十六代仁徳天皇のことで、その父親が第十五代応神天皇八幡様です。御本殿には第十四代仲哀天皇をお祀りしているので、親・子・孫と三代続けてお祀りしていることになります。(引用終わり)

 

神馬舎です。木製の白い馬が奉納されていました。

 

そばにはフクロウの像。

 

大寶七福神です。 皆さん笑顔です。

 

神楽殿

 

神楽殿の脇には、さざれ石。学名は石灰質角礫岩。全国各地の石灰質の山や谷で産出しますが、この石は国歌発祥の地といわれる岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったものです。

 

拝殿と本殿の周りを散策して戻ってきました。再び、なんじゃもんじゃの木と拝殿を拝みます。

 

最後に一の鳥居まで歩いてみました。大寶八幡宮と書かれた社号標と一の鳥居。その奥に、二の鳥居、三の鳥居、随身門と続きます。

初めて訪れた大宝八幡宮は見どころ満載でした。八幡大神は、一切生業の守護神とされ、家内安全、交通安全、厄除、方位除、商売繁盛などに御利益があるといわれています。大宝の名前から宝くじが当たるとの評判で、宝くじ祈願の神社として全国より祈願成就の参拝を受けているそうです。

 

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下妻市の大宝八幡宮(1) 2020.5.14

2020-05-17 20:22:17 | 茨城県

茨城県のアパートで在宅勤務中の5月13日にパソコン用のヘッドセットが壊れてしまい音声が伝わらなくなりました。分解調査したところ音量調節部の断線が発覚。あまりにもお粗末な結線で半田ごてがあれば修繕可能です。そこで翌日夕方に急遽自宅へ戻ることにしました。

5月14日は、二つ前の記事で紹介の通り長い昼休みをとったものの業務を早めに終わらせて、15時過ぎにアパートを出発。国道50号を西へ向かい筑波山の西側を南下して下妻市の大宝へ向かいます。目的は一度訪れてみたいと思っていた大宝八幡宮です。友部のアパートから1時間15分で到着しました。

 

大宝八幡宮の紹介です。大宝八幡宮は関東最古の八幡宮と言われ、大宝元年(701年)に藤原時忠が筑紫宇佐の八幡神を勧請、創建したのがはじまりです。本殿は安土桃山時代(1577年)建造で 国の重要文化財に指定されています。祭神は誉田別命(第15代応神天皇=八幡大神)、足仲彦命(第14代仲哀天皇)、 息長足姫命(第14代仲哀天皇の后=神功皇后)の3柱です。

 

境内は大宝城の城跡にあり、南北朝時代の動乱の名残をとどめる国指定史跡となっています。

 

鳥居をくぐると左手に相撲場があります。HPの説明を引用します。

御創建壱千参百年祭を記念して建てられた本格的な土俵。両国国技館の土俵と同じ大きさで、土も同じく筑波山の土を使用しています。毎年6月中旬に高砂部屋と錦戸部屋が3泊4日の稽古合宿を行い、迫力のある稽古を後援会会員を始め見物客に披露します。会員にはちゃんこ鍋の振る舞いもあります(引用終わり)。

 

その先には天皇御即位記念樹である黒松。樹齢60年と説明にありました。令和元年5月1日に植樹されたそうです。長さ10mにもなる立派な松です。

 

正面の随身門です。昭和天皇御座位六十年を記念して建立された神門です。

 

大宝八幡宮の御由緒が書かれていますが、解読できませんね(笑)。かわりにHPから引用します。

大宝元年(701年)、藤原時忠公が筑紫(つくし)の宇佐神宮を勧請創建したのがはじまりです。天台宗の古い経文の奥書に「治承三年(1179年)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあるため、平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかります。平将門公も戦勝祈願のために度々参拝し、当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられています。
「吾妻鏡(あづまかがみ)」に下妻宮(しもつまのみや)としるされ、文治五年(1189年)、奥州征伐平定の日、源頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建されました(引用終わり)

平将門や源頼朝が参詣している由緒ある神社なのですね。

 

狛犬ではなく仁王像が睨みをきかせています。向かって右側の阿形像。

 

左側の吽形像。

神前に邪気や穢れが近づかないように睨みを効かせています。かつて大宝八幡宮の境内には8つもの寺院(大宝八ヶ寺)があり、神仏習合の名残です。

 

酒樽の来福酒造は昨年末に訪れました。筑西市の酒蔵です。

 

随身門をくぐると参道の両側に石灯篭と狛犬。

 

向かって右側です。口を開けた阿形の狛犬。

 

向かって左側。口を閉じた吽形の狛犬が並びます。

 

その先の拝殿前にも狛犬たち。

 

手水舎です。ここで手水を行ってから御神前に進みます。亀や河童の姿、そして左奥に船が浮かんでいます。

 

寶船に乗った七福神でした。平成17年に奉納されたものです。七福神が乗った宝船が水の上に浮かんでいるように見えます。 

 

手水舎の奥に鐘楼があります。蝉鐘楼と説明にありました。天正1年(1573年)嘉慶1年(1387年)鋳造の鐘で、1573年9月に多賀谷氏が戦利品として持ち帰り奉納したと伝えられています。明治時代以前は実際にここで撞かれていて、今は県指定有形文化財として宝物殿に宝蔵されています。現在の鐘は復元されたもので、永久の防火・火災難除の祈りを込めて瓦と彫刻に水に縁のある「蝉」を配しているそうです。

 

鐘楼の近くに、ご神木お乳銀杏がありました。この木のお乳の処に触れると母乳の出が良くなると伝えられているそうです。

大宝八幡宮にはご神木が沢山ありました。

 

手水舎の近くにはご神木のおがたま(招霊木)。現在の神事では榊を用いますが、古来はこの招霊木が使用されていました。このおがたまは1円玉の表のデザインに使われています。

 

こちらは社務所横のご神木の大銀杏。日露戦争に出兵し無事帰国された外山長兵衛が戦の神として名高い八幡様に奉納したものです。

 

拝殿の左手前には、なんじゃもんじゃの木。

 

なんじゃもんじゃの木の説明がありました。正式名称はヒトツタバコ。

 

純白の花がちょうど満開でした。

 

なんじゃもんじゃの木の横には宝物殿。ここには、土器・戦国時代の具足・皇室御下賜品など数多くの宝物が納められています。代表的なものは、瑞花雙鳥八陵鏡・丸木舟・銅鐘(いずれも県指定文化財)の三点が挙げられます。

見どころ満載の大宝八幡宮。ようやく拝殿に参拝します(続く)

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十二社神社から万葉公園散策 2020.5.17

2020-05-17 13:36:39 | 自然

本州南岸の低気圧は東海上に遠ざかり、本州は北から高気圧に覆われています。気温は高めですが、湿度が低く爽やかな陽気となっています。昨日は雨のため5000歩しか歩けていないため、4月から続けてきた一日10000歩の目標が途絶えてしまいました。今週末に1年ぶりの人間ドッグが控えていることもあり、気を取り直して午前中に自宅の近くを散策してきました。東京では緊急事態宣言継続のためマスクをつけて徹底的に3密を避けます。

まずは十二社神社へ向かいます。社殿の前では白いシャクナゲが咲き始めていました。

咲き始めの花は色が濃く鮮やかに見えます。

 

階段脇には白いタツナミソウ。これはオカタツナミソウかな?違いが分かりません。

 

ツツジに似た白い花が咲く初めています。この季節の花はあまり馴染みがなく、名前もわからないものが多いです。

 

階段下の鳥居。十二社の森の緑が一段と濃くなってきました。

 

続いて真覚寺へ向かいます。桜の木に着生するピンクのセッコクがまだ咲いていました。数年前に比べて花数が減ってしまいました。

 

心字池の様子。あと1カ月もするとアジサイの花が咲き始めます。

 

境内に咲くタツナミソウ。

 

続いて

続いて隣接する高宰神社へ向かいます。

 

こちらでもタツナミソウが綺麗に咲いています。

 

ユキノシタも咲き始め。

 

石垣に咲くフタリシズカ。

 

高宰神社から万葉公園を登ります。ヤツデの若葉が成長しています。

 

展望台に到着。今日は肉眼でも東京スカイツリーが見えていました。

 

奥多摩の山並み。

今日はこれから病院に届け物をします。午前中の散策中に電話があった件です。そして長沼の実家へ向かいます。目標の10000歩まで残り1200歩。今日は何とか達成できそうです。

 

 

 

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ビオトープ天神の里で昼食休憩 2020.5.14

2020-05-16 10:54:37 | 茨城県

5月13日の昼に茨城県では雹が降りました。上空に寒気が入ったためで、寒気が抜けた翌5月14日は爽やかな初夏の一日となりました。笠間では最低気温7.0℃、最高気温27.7℃と日較差は20℃を越えています。茨城県での在宅勤務中は、朝と夕方に30分、昼食時に60分の休憩を取り、10000歩を達成するためなるべく外を歩くようにしています。一昨日はあまりにも快適だったので、コンビニでおにぎりを購入して、友部駅の北側にあるビオトープ天神の里を散策してきました。

 

アパートから線路を越えて10分も歩くと、このような長閑な山村風景が広がっています。一面の麦畑です。今月末には麦秋の候という表現がぴったりの景色が楽しめそうです。ここから500mほど北へ向かうと、ビオトープ天神の里に到着します。

 

歩いてきた道を振り返ります。遠くには愛宕山など岩間方面の山々を遠望します。

 

ビオトープ天神の里に到着。友部で単身赴任生活を始めて5年目に入りますが、ここを訪れるのは初めて。ビオトープではホタルも見られるそうです。夜の星も綺麗そうですね。

 

東口ゲートのすぐそばにあるヘイケボタルの里。木道を歩いてみました。

 

木道を抜けて山林に入る手前で見かけたムラサキサギゴケの群生です。

 

山林を越えて再び湿地に出ると、花の看板が目に入ってきました。サワオグルマという花が自生しているようです。ちょうど今が花の季節みたいです。

 

正面を探すと黄色い花が咲いています。

 

ズームします。湿地に生えるサワオグルマ。初めて見ました。

 

ノアザミで蜜を吸うのはクロアゲハでしょうか。

 

カキツバタの木道を歩きます。

 

オオムラサキの里に休憩所がありました。ここで昼食とします。他に誰一人訪れている人はいません。大自然を一人で満喫です。近くにはメダカが生息する池もありました。

 

友部方面の眺め。

 

昼食後、近くの山林を散策。イチヤクソウの蕾をたくさん見かけました。この花が咲く今月末にもう一度訪れてにあいですね。その頃まで在宅勤務が続いていたらですが。。。

 

ギンランも10輪ほど見かけました。キンランは咲き終わっていました。

そろそろ戻る時間です。ヘイケボタルの里から山林に沿った歩道を歩きます。

 

畦道で咲いているピンク色の花はイモカタバミ?

 

切り株から新芽が芽吹いています。

 

山林を抜けると左手に鳥居がありました。

 

鳥居の先に祠。神社の名称はわかりません。地図で調べても名称が記載されていませんでした。

 

遊歩道から車道に出ます。振り返ると、くり畑と高いケヤキの木?。笠間は栗の産地だけあり、くり畑が点在しています。

 

友部方面へ戻ります。大理石の石塀が見えてきました。解体工事中?のようです。

 

裏手にまわると聖観音菩薩の案内板。笠間市の有形文化財に指定されている寄木造の彫刻です。どこに安置されているのでしょう。。。

 

近くには数多くの石仏、石碑があります。これは聖徳太子の石像?

 

正面に祠がありました。医王山吉祥院と書かれています。昔はお寺だったのでしょう。聖観音菩薩はこの中に安置されているのでしょうか。わずかに開いている窓から中をのぞいてみましたが、見当たりませんでした。

 

この周辺は、友部駅の北側ですが笠間市南友部となります。昔は宿地区と呼ばれていたのでしょうか・・・

 

道端に咲くニワゼキショウ。青い花はあまり見かけません。

13時が近くなってきたので慌ててアパートに戻ります。予定を大幅に超過し往復含めて70分の散策でした。今後も在宅勤務が続くようであれば、季節を変えて訪れてみたいと考えています。

 

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