ウリパパの日記

自由気ままに・・・

白萩満開の大悲願寺 2022.9.17

2022-09-18 15:14:55 | 東京都

非常に強い台風14号が九州に接近中です。関東地方では台風外側の雲が北上して連休後半は悪天候が予想されているため、天気が崩れる前の昨日午前中に墓掃除を兼ねて八王子霊園と上川霊園へお墓参りに出かけました。そしてお墓参りが終わってから奥さんを連れて、あきる野市の大悲願寺を訪れ、白萩の花を見てきました。上川霊園から大悲願寺までは車で10分で到着です。

3連休初日ですが、彼岸の入りは9月20日なので訪れる人も少なく駐車場はガラガラでした。昨年9月14日に3年ぶりに訪れた時は、白萩はまだ咲き始めでした。今年は開花がやや早めで、ちょうど見頃を迎えているようです。

 

長屋門をくぐると、蓮鉢が置かれていました。浮き草が浮かんでいます。メダカでも飼っているのでしょうか。

 

鉢に描かれた金魚絵が面白い。蓮の葉を頭に乗せているのでしょうか??

 

白萩を見る前に社務所へ寄り道します。赤い帽子が可愛いぴんころ地蔵尊。

 

目的のリコリスが満開です。最近よく見かける黄色い彼岸花です。

 

社務所前には白い彼岸花も植えられています。

 

本堂へ向かう参道へ戻ります

 

ちょうど満開

 

蓮の葉を入れてもう一枚

 

満開の白萩の花をズーム

 

本堂前へ続く白萩も見ごたえあります。こちらは少し散り始めていました。

 

白萩の中に稚児大使 真魚ちゃんの幟が立っています。真魚ちゃんは弘法大師空海の幼名です。

 

伊達政宗 白萩文書の説明です。1623年にこの寺を訪れた仙台藩主の伊達政宗は白萩の花に心を奪われ、正宗がその白萩を所望したいと大悲願寺に宛てた書簡が残っているようです。

前日に訪れた偕楽園の萩は、その仙台藩から譲り受けたもので、その中には白萩も含まれていました。もしかしたら、偕楽園の白萩の元祖は大悲願寺の白萩だったという可能性もありますね。

 

長屋前の白萩も満開

 

本堂前の白萩

 

変額が掲げられている本堂中央前にやってきました

 

中門前から本堂をズーム

 

鐘楼前から本堂を振り返ります。手前の白萩はピークを過ぎて散り始めていました

 

白萩の見学はこれくらいにして、観音堂にやってきました。ここを訪れるたびに紹介する仁王門前からの眺めです。観音堂は1794年(寛政6年)建立。無畏閣とも呼ばれ、国重要文化財である木造伝阿弥陀如来と脇侍の千手観音・勢至菩薩が安置されています。

 

無畏閣と書かれた扁額の上の正面の欄間には色鮮やかな彫刻が施されています

 

無畏閣の扁額の周囲にもたくさんの彫刻

 

向かって左手は天国への道。大日如来様が極楽に座り、足元には三途の川が流れています。

 

向かって左は地獄の様子。閻魔大王様が座っています。その横では舌を抜かれたり、ゆで釜にされたり・・

観音堂の彫刻は1840年頃に制作されたものでかなり色あせてしまいました。平成18年に修復されて色鮮やかに彩色されたそうです。

 

観音堂の西側には弘法大師を祀った大師堂。こちらの欄干にも彫刻が施されています。

 

仁王門の中から見る観音堂とイチョウの大木。秋の黄葉の季節も綺麗です。

 

仁王門内側(観音堂側)の天井画。幕末の絵師・藤原善信と森田五水によるものです。

 

こちらは外側の天井画。状態よく保存されています。金色山は大悲願寺の山号です。

 

外から見た仁王門。1895年(安政6年)の建立です。

 

仁王門の扁額と観音堂の正面の彫刻

 

大悲願寺の周辺では彼岸花が満開。金色山大悲願寺と彫られた寺標柱は木の陰で半分見えません。

 

南側を振り返ると五日市線が通過中でした。

 

最後に中門(朱雀門)を見学。昨年訪れた時は植栽工事中で珍しく開門していました。でも門の色は朱色ではありませんでした。この1年で朱色に塗り替えられたのでしょう。青空であれば、百日紅の赤い花と共に映えそうです。

 

ここには院号の吉祥院と書かれた扁額が掲げられています。こちらもリニューアルされました。

 

参考に昨年9月14日に訪れた大悲願寺の様子を紹介しておきます。比較すると、中門(朱雀門)がリニューアルされた様子がわかります。

 2021年9月に訪れた大悲願寺

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水戸偕楽園の萩まつり 2022.9.16 | トップ | 長沼公園のツルニンジンが見... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東京都」カテゴリの最新記事