goo blog サービス終了のお知らせ 

アラレ

2010-05-23 14:26:23 | Weblog

今週水曜日姉の下で暮らしている旦那さまのお父さんが急に亡くなられた。姉も姑さんもびっくり。舅さんは毎朝ジョギングをされ朝風呂へ入られるってのが毎日の日課でした。この日もいつものようにジョギングして朝風呂に入られたそうです。でもいつもより長い・・・・と心配した姑さんが風呂場へ。「大丈夫?」と開けたら・・・・もうお湯の中に沈んでいらしたそうです・・・・。慌てて上半身だけでも姑さんが引き上げ姉を呼び姉は救急車を呼び運びましたが・・・もうダメだったそうです。心不全か・・・認知症だったのでもしかしてウトウトしちゃったかもしれません。全然苦しそうなお顔ではなかったそうです。葬儀屋さんとの打ち合わせで今亡くなられてる方が多いらしく火葬場があいてないと言われ2日後お通やになりました。私と旦那とアラレはお通やに、告別式は旦那は仕事だったのでアラレと私と兄やんと行きました。お通やのお焼香ではアラレと私でやりました。告別式ではアラレが「一人でやりたい」と言い出し一礼の仕方やお焼香のやり方を教えやらせてみました。張り詰めた空気がアラレの一人のお焼香で和やかな空気にかわりました。親族に一礼して亡くなった舅さんの遺影にも一礼して三回お焼香して・・・お焼香のときなかなか落ちなかったみたいでそれにちょっと時間かかってしまいましたがお焼香終わって一礼してもどってきました。よくできました。可愛かった。女の子のほうがなんでも積極的にやりたがる。だから自立が早いのかな。そしてほんとは告別式だけ参列させてもらったら帰る予定でしたが急きょ私の父親も参列だったのでトイレが大変だなって思って残ることになりました。大阪からおかあさんもきていましたがおかあさんは身体がちいちゃいのでちょっと無理。火葬場で父がちょっと目力がなくなってるようでした。いつもは昼寝の時間なのでたぶんそれで睡魔が襲ってきてるみたいでした。眠くて足元もふらついてると言い出したのでお葬儀屋さんに横にならせてくれる部屋を案内していただきました。しかし・・・そこは畳み部屋。布団は地べたに敷く・・・。ベッドでしか無理なのでこれって寝るときや起き上がるとき大丈夫か・・・と不安。父は「大丈夫や」と言い車椅子から私も支えながら立たせ支えながら寝かせました。暫く横に。でも五分で骨あげ。寝ころんだばかりやのに・・・。姉が「お父ちゃんは寝ててもらおう」ってことに。父もそうするって。骨あげへ私も。お葬儀屋さんから「お父様はお骨をくるんだらお呼びに行かれてください」と言われ合図があってダッシュで私と兄やんと父親のもとへ。父に起きるように伝え最初私だけで父を起こしましたが畳みは滑るので父も踏ん張れないので兄やんと私が両脇抱え起こし立たせ車椅子に行きました。必死で戻りましたさ。玄関で皆さんお待ち~。姉が「早く」と言ってたんだけどそんな早くできるかい。しょうがないやんと、ちょっとムッとしてマイクロバスに父を立たせ乗せました。たぶん父は相当疲れたと思います。火葬も無事終わり精進料理をいただくときアラレは食べ終わったら暇になりビンのキャップ集めを始めました。各テーブルにあるキャップ集めをして積んだりお花の形のようにならべたりして遊んでいました。子どもってなんでもおもちゃにするんですね。まわりの方々も和まれていました。子どもってアラレしかいなかったので場の空気を和やかにしてくれたのでアラレを連れて行ってよかった。私は父の面倒をみおかあさんがアラレの面倒をみてたので父は「なんか逆やな」って笑っていました。でも亡くなった姉の舅さん。とても豪快な方だったし習字もお得意で墨で書く絵が素晴らしいのです。父が姉のとこへ住むようになり姉んちに行けば毎回舅さんたちにご挨拶していくんだけどそのたびアラレをニコニコと迎えてくださりお話もしていただきました。一人は女の子の孫がほしかったそうです。認知症になってから娘の顔は忘れるけど姉の顔は絶対忘れなかったそうです。奥さんの言うことより姉の言うことのほうがきいてくれたそうです。姉はお通やでいろんな思い出が走馬灯のように蘇ってきて嗚咽して泣いていました。ご飯持って行ったら「ありがとう。00ちゃん」と毎回「ありがとう」ってお礼を言ってくれるそうです。可愛いお爺ちゃんでした。そして帰る時間。帰り兄やんと喋ってたのですが喪服を着てるのでもしかして私らをみかけた次男死亡説を知ってる人は「あっ!ほんまに死んだんや。おかあさんやお兄ちゃんが喪服に制服や」って誤解するやろなって話しながら帰ってきました。しつこいようですがおります、次男は

 

 



最新の画像もっと見る