花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

中国四川省の自然と世界遺産に触れた旅(3)

2007年06月23日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省
 五日目 朝、起きたら、顔が数カ所、ムラになって赤く日焼けしていた。昨日、日焼け止めクリームを塗らないで3000mの所で止まったバスの外に3時間以上も立っていたからだろう。慌ててたっぷりと日焼け止めクリームを塗った。

 再び高地の九歳溝空港まで登り、飛行機に乗ってまた成都に戻った。
 空港からバスで郊外の楽山に行き、そこで川の合流点に向かって船舶の安全祈願のため岩に掘られた大仏としては世界一大きな世界遺産「楽山大仏」(台座から頭頂まで71m)を観光した。
 唐代の713年から90年間かけて作られたそうである。船に乗って船上から見た岸壁の「楽山大仏」は、流石に大きかった。(写真)



 午後はもう一つの世界遺産、天下の名山「峨眉山」(中国仏教四大聖地の一つ)の頂上3099mにあるホテルまで、途中、専用バスに乗り換えて2時間半、ロープウエーで3分間掛けて行った。
 所が2000m過ぎから霧が濃くなり、前方10m程しか見えない。ピンキングカーブの続く狭い山道を凄い早さでバスが走るので、事故にならないかと冷や冷やした。
 やっと着いたが、残念ながら山頂も霧に包まれ、夕日は見えなかった。ホテルには暖房が入っていた。
 予定では山頂の散策だったが、前日から腸を壊して絶食していた私は、その時間、部屋で休むことにした。

 六日目 予定では5時に起床し、6時に峨眉山山頂でご来光を見る筈だったが、霧雨で中止された。
 私は昨夜、散策できなかったので、朝食に行かず、その時間を一人で幾つもの階段を上り下りして、霧の中、頂上に建つ華蔵寺を目指した。行って見ると、階段の両側に真新しい金ぴかの大きな象が向かい合って並べられ、階段上の広場には巨大な金色の普賢菩薩像があった。(写真上はその台座の象)昨年5月に作られたばかりなのだという。私には、何か聖地とは似合わない様な気がした。
 華蔵寺には3体の優しい顔をした大きな真新しい金色の菩薩が並んでいた。普段は無信心の私だが、霧雨の中で出逢った菩薩に思わず手を合わせた。その途端、旅行中忘れていた病気の事を思い出し、「もう少しの間、元気で旅ができますように」と願った。そして、2年半前には全く想像もできなかったこんなに遠くの高山迄、元気で来れたかと思うと急に胸が熱くなった。横で寄進を受け付けていたので、寄進帳に名前を書き、僧侶に10元差し出した。
 
 相変わらず霧雨が降る中、ロープウエーで薄暗い峨眉山を後にして、バス乗り場で待っていた専用バスで、来た道を戻った。雨で勾配のきつい道路が滑りやすいので、運転手に特に安全運転をお願いしてくれるよう私からガイドに頼んだ。中腹から霧が晴れたのでほっとした。
 楽山に戻り、ツアーのバスに乗り換えて、また成都に向かった。
 高速道路で立ち寄ったトイレは真新しい綺麗なトイレだが、仕切はあってもドアが付いてなかった。中国ではやっぱりまだ、こんなトイレが作られているのだと知り、写真を撮った。(前に楊貴妃の墓の傍でトイレを借りた時、ドアは無かったし、隣との仕切もせいぜい50cm程だった事を思い出した。それに比べたら立派なものだと思った。)





 成都では四川料理店で麻婆豆腐などの辛い昼食が出たが、私は豆腐を2~3切れとスイカを一切れ口にするだけにした。
 料理店の前に桃売りが3人来た。(写真上右) 初めの人は売り子の言い値通り、3個10元(170円)で買った。次々と仲間の人が値段の交渉をし始めた。10元で4個になった所で数人の人が買った。一段落して誰も居なくなった所へ私が行き、6個10元と言ってみた。初めは渋っていたが「良いよ」と言われて交渉成立。そのやりとりを後ろで見ていた人から、「上手いね」と感心された。中国の桃は日本の水蜜よりも小さくて硬めだが、凄く美味しいのだ。その夜から数日間、味を楽しむ事ができた。

 その夜は、四川名物の「川劇」を見に行った。有名な変面の場面では、10人位の仮面を被ってマントを着た男性が出て来て、次々と瞬時に数回、仮面を変え、最後には素顔を見せるのだ。片手を上げる瞬間に仮面が変わるのだが、どんな仕掛けなのか不思議だった。(写真)


 

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中国四川省の自然と世界遺産に触れた旅(2)

2007年06月23日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省
 三日目 ホテルから15分歩いて「九さい溝」観光の乗り合いバスの発着場に行く。
日曜日なので中国人が大勢来ていたが、欧米人は少ししか居なかった。日本人は私達を含め今日一日で300人だそうである。私達は一台の専用バスになった。
 「九さい溝」は、民山山脈からの湧き水が、カルシウム、マグネシウム、銅を多く含む独特の土質によって濾過されて澄んだ緑色の水になり、100以上もの透明で美しい湖や池、川、大小の滝が720k㎡もの広い地域に散らばっていて、世界遺産に登録されている。
 入り口は標高1990mだが、最も高い場所にある「長海」は標高3150mの地点にあるのだ。万歩計を持っていた人によると、私達は一日で2万歩の距離をハイキングした事になったそうである。
 私は持参した登山用の杖を使い、弱い方の膝にはサポーターを巻いて上り下りしたので、何とかみんなについて行けた。かなり足腰が疲れたが、二つの大きな滝を含む景観は、どこも息を飲むほど素晴らしかった。(写真は底の石が透けて見える湖)

 

 四日目 7時半に弁当持参でバスに乗り、午前中、棚田の様に湖沼が連なる世界遺産「黄龍」のハイキングの予定だった。
 しかし、行く途中で交通事故が原因の交通閉鎖となり、3時間半、バスは立ち往生させられたままだった。
 何十台ものバスや車が渋滞する前方1km程の所で事故は起きたようだ。
 あるバスの前を歩いて渡ろうとしたチベット族の20歳の男性が轢かれて死亡し、老人が大けがをしたらしい。事故の解決のため、チベット族の集落の人達大勢と家族が集まり、話し合いをしたがもめ、ついには武装警察と軍隊まで出動したが事故処理に時間がかかったらしいのだ。私達は中国の少数民族の立場を思いやった。(下は、バスが動いた時にバスから撮影した事故現場の軍隊の写真。バスの反対側には武装警察がいた。)
 ガイドから、交通事故死の場合の国の保障は、人民元20万元(日本円で330万円)だと説明された。バスから見ていても、自転車、バイク、歩行者は、車を余り気にしている様には見えない。バイクの運転手にはヘルメットの義務は無い。ガイドは「中国は勇気優先」だと言った。しかし、滞在中、私達は何度も交通事故の現場に出逢った。

 私達がバスを降りて立ち話をしていた時、どこからともなくチベット族の男性が数人、石の置物やヤクの切り取ったばかりに見える角、薄汚れた巻物などを手にして売りに来た。石の置物は偽物のガラス細工らしかった。
 また、前に止まっていたボンゴ車の若いチベット族らしい運転手が、段ボールのゴミを車外に捨てた。それを見た私は、他の人を誘ってドアを開き、「ゴミを拾うように」とその運転手に抗議した。なかなか拾おうとしなかったが、大きな声で何度も言っていたら、私達のガイドがバスから降りて来て、「世界遺産を汚すな」と中国語で言ったら、彼はやっと拾った。私はホットした。私は、中国人が当たり前のマナーを身につけるのには、まだまだ時間がかかりそうだと思った。

 3時間近く止まっていたら、私達の後ろのバスの乗客達が、飛行機に間に合わないので1時間半歩き、町から別の車に乗ると言って、ぞろぞろトランクを引っ張って前方へ歩き出したので驚いた。(写真)



 この3時間半の渋滞のため、私達は仕方なく「黄龍」行きを諦めて、レストランで昼食後、「黄龍」の手前の4007mの峠までバスで行き、そこから5588mの雪宝頂を臨んだ。
 峠の一部はチベット族の聖地となっていて、旗や紙銭で飾られていた。峠にはチベット族の女性と男性が小さな馬を引いて、写真撮影する人を募っていた。ブルーのポピーと黄色い花が咲いていた。
 私は15分程上の方を散策したら息苦しくなり、バスに戻って携帯用酸素ボンベを借りて吸った。ガイドが用意してあった11本の酸素ボンベは、みんなで回しながら使ったら直ぐに空になった。頭痛を訴える人も居たが、私はそれ程でなかった。


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中国四川省の自然と世界遺産に触れた旅(1)

2007年06月23日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省
 6月15日~22日の8日間のツアー旅に参加した報告をしたい。
 先ずは日程順に、それから現代中国をかいま見た私なりの感想を書く事にする。ツアーの人数は30人、添乗員一人だった。

 一日目 新千歳空港19時25分離陸して上海空港に、2時間40分かけて行った。(上海泊)
 中国東方航空の機内は左右3列ずつ、機内食が出たが、味が無く、不味くて食べられなかった。
 機内で「入国カード」「税関申告書」「健康検疫カード」の3枚のカードを作製した。「健康検疫カード」は、過去7日間に家禽や鳥と接したか、鳥インフルエンザの患者と接したか、性感染症・エイズ・精神病・肺結核などに罹っているか、などの調査項目があった。
 上海空港に着いた所で、日本との時差1時間分、腕時計を遅らせる。全乗客がリムジンバスに乗っても、公安の車が来て機内を点検するまで、かなりの時間、バスは機体の傍に止まったままだった。上海国際空港は凄く大きな空港だが、さらに国内便の空港を統合する工事がされていた。
 ホテルの水は黄色っぽく、消毒の臭いだろうが変に黴くさかった。部屋にはミネラルウオーターが2本「贈品」と書かれて置かれていた。

 二日目 上海空港から成都空港まで3時間かけて飛ぶ。千歳から上海までよりも時間がかかった。
 上海空港までの車窓から見た所、数カ所で大規模な街路樹の植樹をしていた。オリンピックを控えて緑化をしているのだろう。広いゴミ捨て場で何人かの大人がゴミを拾っている姿も見た。

 成都は人口400万人の四川省の首都で、中国四大都市の一つであり、高層建築や高層アパートがぎっしりと建ち並んでいたが、その中にかなり古いアパートもあり、住宅格差を思った。



 成都空港は標高450m程だそうだが、私達はそこから更に乗り継いで、標高3500mの九さい溝空港まで45分かけて飛んだ。
 その空港は、4000m前後の山々が連なる高地に2003年に作られた空港だという。(空港が無かった時は、成都からバスで11時間かかったそうである) 高地で空気が薄く、酸素が少ないので、歩くだけで胸が苦しくなった。気温がかなり低い場所なので、私は毛のカーデガンの上にゴアテックスの上着を着た。飛行場にはダウン入りの防寒ウエアーの売り場があった。(写真)




 私達は空港からバスに乗り、標高1500mの九さい溝の中心地にあるホテルまで1時間15分かけて山道を下った。
 所々にチベット族の集落や家が見えた。独特の模様と色彩を施してあり、何本もの経文を書いた長い旗が立てられていた。(写真)  
 彼らはヤク、山羊、馬を放牧して暮らしているそうである。
 飼育役の男性は、家畜を夏は高地に連れて行き、秋に低地に戻る生活をする。家族は昔から『一婦多夫』が多く、夫同士は互いに競争して良く働き、子どもはどの父の子か分からないため、夫全員の子として育てるそうだ。(かなり前にNHKTVでも放映された。その時の夫は兄弟二人で、遊牧地から交互に妻がいる家に帰って来ていた。) ヤクの糞は燃料として使うそうである。
送電線が走っていたが、今では電気がつき、山岳地帯なので衛星放送を受信しているとの事だ。私は、新しい情報はチベット族の若者に影響を与えずにはおかないと思った。
 次の日、チベット族の人が経営する土産物店に行ったが、まだ50代になっていない様な経営者は、去年の収入は私が一番だったとえばっていた。空港ができ、道路が整備され、電気が通って観光客がどんどん流入するようになると、それまでの伝統的な少数民族の生活スタイルは、きっと大きく変化するだろうなと私は感じた。

 途中に石造りの町があった。地元で採れる石を重ねて、内部に木材を使っているというホテルや住宅が沢山建っていた。
 やっとホテルに着き、夕食後外を見たら、中国の西の端なので、夜8時になってもまだ薄明るい状態だった。

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